先日、お袋が小間物を整理整頓していたら、何と私自身が千葉市中央区内に在住していた1969年春から71年春まで通っていた市立某中学校の制服校章バッジが見つかりました。
転校後、約半世紀余りに亘って、実家内にて眠っていたことになりますね。(微笑)
因みに、この中学校のすぐ西隣りには県立某高校があり、今なお著名な進学校です。かの東大に進学される方も少なくありません。この中学校の卒業生の成績優秀な約1割の者が、西隣りのこの県立高校に進学されるようだ。
この某中学校。特に理科や技術科教育には終戦直後の開校当時から力を入れていたようだ。
当時の理科第一分野では殆ど所定の教科書を使用せず、専ら実験でデータを生徒に取らせて後日にレポートを提出させていましたね。因みに、その理科の先生は1年生当時のクラス担任でもあり、熱量(カロリー値)のデータ取りは大変でしたよ。なかなか厳しい先生でしたわ。
技術科でも旋盤とか電気・無線機器、溶接工具等が置いてあり、私自身も不器用ながら本棚や椅子、塵取りなどを造ったものでした。まるで県立の工業高校みたいだったなぁ。
この中学校は残念ながらも鉄道研究クラブこそありませんでしたが、技術クラブではゴーカートを造り上げたり、無線クラブではアマチュア無線電話級技士(いわゆるハム)の資格を取った部員らがしきりに見知らぬ相手と交信を楽しんでいたものでした。
化学クラブでは、リケジョのはしりとも思えたクラス外女子同級生もいたかな。きっと、その彼女は技術系か医薬系の職業に就いたのだろうね。(微笑)
特に、この特徴豊かな理科教育は全国的にも古くから有名で、転校先の名古屋市中区内の市立某中学校でも教科担任のある理科教師から以前、視察に訪れたことがあると聞かされて、ホンマに驚きましたわ。
この千葉市立某中学校。今なお健在のようだ。尤も昨今の少子化で生徒数は激減したらしいが。うん。
今はどうかは分からないが、とにかく成績面でも出来る子、出来ない子の能力差はかなり大きかった印象ですね。やや両極端にも思えましたが。
…………また高台な位置なこともあり、授業中には国鉄千鉄局の引退が迫った蒸気機関車(主にC57、C58)の汽笛や、茶色い73系通勤型電車の吊り掛けモーターによる走行音も教室内にまで、心地良かったそよ風に乗ってよく聞こえたものでしね。この路線は房総東・西線だった筈。
その当時はようやく千葉〜木更津〜君津が電化開業したばつかりでしたよ。東線は新土気トンネル建設のこともあってか、まだ複線電化は計画段階。西線は君津〜千倉が電化工事中でしたね。京成電鉄千原線(千葉中央〜ちはら台)は小湊鉄道千葉新線(京成千葉〜海士有木)という免許計画路線の扱いでした。その後、程なく旧千葉急行電鉄に移管されたが。
今は房総東・西線とも全区間電化されて、JR外房線、内房線になっていますね。うん。