銀河夢急行

公共交通の話題を中心に、幅広く取り上げます。
都合により無予告で投稿を休止することもありますが、宜しくお願い致します。

名鉄金山駅、ホームドア設営はホンマに可能なのかな??甚だ疑問だ………

2023年06月10日 22時06分23秒 | 鉄軌道
名鉄が金山駅にホームドアを設営するとアナウンスしてから早くも丸5年が経過。
しかしながら、私自身も思っていた通り、1200系や2200系、2000系から9500系や9100系まで多種多彩な形式車が矢継ぎ早に乗り入れる金山駅ですから、具体化はナシのつぶて状態でしたね。
金山駅にも程近いと聞く名古屋盲学校とか白杖会などの苛立ちぶりは、さぞや想像を絶しよう。
ホンマは物理的にも不可能とチャイまっか??(苦笑)
まさか、あの名鉄が莫大な費用を掛けてまで、フルスクリーン方式、いわばキタウメ方式を採用するとも思えないが。うん。
また比較的簡単な方法として、今の特別車両すべてを車体更新という形にて片側3扉にすることも考えられようが、現実的ではない!!
でも、名鉄側は既に2023年度内には金山駅にてホームドアの実証実験を始めると大っぴらにも豪語。何か知らんが、ずっとオフレコにし続けているほどの全く新たな秘策でも既に確立しているのかしら??
なお、近鉄では名古屋駅については全くの新方式にて、独特なホームドア設営を考えているようだが。
ちなみに、JR中央西線のホームドア設営の動きはまだ見られませんね。ここでも、今後とも315系のほかに383系が停車する筈だ。

旧運輸省指定の地方鉄道車両A'規格に東急デハ3700形を忘れていた………名鉄3880系の思い出も

2023年06月10日 16時44分07秒 | 鉄軌道
名鉄は去る1975年6月頃に東急の中古車両、デハ3700形計12両を購入。
これは後の6000系設計の足掛かりにもなりましたね。
3両組成☓4本となり、豊橋寄りからク2881〜4、モ3882・3884・3886・3888、モ3881・3883・3885・3887と改称。冷房車ではなかったが、扇風機は完備。そして、その翌年には3889、3891、3893Fも加わり、6000系第一次車6本の補佐的な運用にも入りましたね。
とかく吊り掛け駆動の古い車両が多い名鉄にまた旧性能車か?……という声も決して少なくはなかったが、車内は底抜けに明るく整備。ただ出力はAL車とほぼ同じ、2M1T編成により加速性能はSR車並みにもかかわらず、弱め界磁はなく、結局は単独運用に終始。高速域は劣り、最高運転時速はせいぜいHL車並みの85キロだったらしい。せっかく車体寸法がA'規格のために導入されたのだが。
また、ジャンパや空気管の位置もあり、岐阜寄りにM車と、AL車とは逆になってしまいましたね。
これと前後して、豊橋鉄道渥美線でも東急から類似形式を購入。モ1700形として直流600ボルト電化のまま活躍を始めています。こちらも、まあまあ歓迎されていたような。この編成も当時の新川検査場で再整備され、デキ600型やEF65型やEF58型に牽かれて刈谷駅経由で柳生橋駅付近の花田検査場に甲種輸送。
あの明るかった赤とクリーム色のツートンカラー。今後の純新車のラインカラーにもしたいところだが。
今でも渡り線だけはどうにかJR線と繋がっているようだ。今ならば当然、搬入作業はDD200型の仕事の筈だが。うん。
名鉄3880系は単独ながらも、当時としては、なかなか中身の濃い運用だったね。
平日夕方は東岡崎〜八百津間の一般特急とか、朝には須ケ口〜常滑間の準急で6両編成を演出していたものでした。
後者は確か神宮前駅にて分割。
その頃には、AL車による8両編成列車(通称・エッパチ)もあり、朝には神宮前駅にて分割していた蒲郡・鳴海行きの急行とか、刈谷経由吉良吉田・豊明行きがその代表格でした。あのサボも誇らしげに。
3880系は時には3400系の代走として急行・蒲郡行き、同じく刈谷経由吉良吉田行きにも使われましたが、高速域の性能の悪さから運転現場ではいささか嫌われていたのかもしれません。岐阜〜一宮〜東岡崎間の一般特急代走としても使われましたが、最悪の性能だったらしい。吊り掛け駆動ながら高速域が優れていた3400系ならば岐阜〜美合間の一般特急のほか、1976年での安八水害で新川検査場がやられた際は栄生〜豊橋間の一般特急(高速)、急行にも一度だけながら使われたほどらしい。
さらに3850系とか3900系、初代5000系や5200系も電動カム軸自動進段ではなくて、単位スイッチ式。現場でもかなり嫌われていたそうな。3800系や5500系の方が、いかにコンパクトで運転しやすかったのか、自ずと分かろう。
そして、1980年頃からは順次、6000系に置き換えに。今ではそれらの後継輸送力列車は殆どがECB車化されたものとみられ、切り離しも鳴海駅に変わったのだろう。
今の若い平成生まれの名鉄乗務員やファンも殆ど、ご存じないのでは??
1979年当時の豊橋行きの一般特急や急行はごく一部が6000系のほかは、5500、7700系や初代5000系とか5200系にて運用。今でこそ、その姿は紛れもなく2200系+3150、9100系や特急色になった3100系ですね。
あの初代パノラマカー似の5700系はゆくゆくは豊橋行きの急行の代表格になる筈でしたが、そりゃあ、はかないものでしたわ。あまり増備されないまま、あっけなく今の3500系8両編成に移行しましたね。
さて、3880系は早くも1981年から廃車が始まり、85年3月には6500系鉄仮面型に置き換わる形で姿を消しています。
3880系は最盛期には豊橋駅にも昼間の普通列車として姿を見せたり、正月ダイヤでは豊川稲荷駅にも元気な姿で顔を出していました。
その後も名鉄では3両組成が数回はデビューしていますが、どれも短命に終わっていますね。やはり今の時代の名鉄では、奇数両編成では扱いにくいらしい。
一方、渥美線は将来的にも3両組成のワンマン運用で十分!!
やはり、名鉄4000系並みの3両組成が最適な気がしますね。特にSiC素子がもっと安くなれば、その実現性もさらに高い??
残念ながら名鉄3880系の画像は、こちらでは、もはや入手不能。何卒ご了承願います。
………あのA'規格ですが、そもそも発生の由来は終戦直後での資材不足対策とか。そのため、もはや存在意義も薄れており、今の大半の狭軌私鉄でもJR在来線の車体規格に。名鉄線と、名鉄渥美線を引き継いだ豊鉄だけは経費節減のためか未だに生きているような。
関西の標準軌私鉄は近鉄を除けば、A'規格にプラスアルファしたような寸法になり、阪急や阪神、京阪なとが代表格に。山陽電鉄は戦後、広軌63形と呼ばれた20メートル車がいて、700形とか2700形を標榜。後には車体更新もされましたが、2000系に置き換わる形で姿を消しています。あのまま20メートル車が残されていれば、今の近鉄特急の電鉄姫路駅乗り入れも割合に早く実現していたのでは?ちなみに最新の山電6500系も阪急並みの19メートル車ですね。
名鉄のキハ8500系とは別に、パノラマスーパーのク1000、1100形もほぼ20メートルのためか、吉良吉田駅を通れないそうです。2200系ならば恐らく問題なかろうが。
画像は、これから急速に姿を消していく名鉄の鉄仮面型です。


全国の地方鉄道で、元来の車両定規を未だに厳守しているのは名鉄と豊鉄だけ??

2023年06月10日 16時02分15秒 | 鉄軌道
まず本題に入る前に………。
大阪市交通局改め大阪メトロでは、このほど中央線用の400系が相次いで落成。大阪港・コスモスクエア〜奈良県の登美ケ丘間にて試運転も始まっているようですね。
私自身はまだまだここ暫くは情報を集めるだけになりそうだが、この前頭部が物凄くキモい!!
まるで宇宙船みたいな顔だわ。(苦笑)
まあ、遊び心というか、クロスシートまで設けての凝りようだ。近鉄けいはんな線側もよく受け入れたものだわ。
どうせ近鉄奈良線に直通して伊勢志摩に向かったり、数々の踏切を通るわけでもないから、まだ良いが、何だかグロテスクな印象だな。(苦笑)
こんな前頭部。まさか、名古屋市交通局や東京都交通局、東京メトロないし直通先の各鉄道事業者が気持ち良く思うのかしら? 名鉄だと、幹部や日常利用者らはきっと「ふざけるな!!」と怒り出す方々も出よう。保守的な東武鉄道でもほぼ同じだろうに。
私自身もこんなおかしな格好の電車を設計する暇があったら、むしろハイブリッド集電列車の早期かつ真面目な開発・実用化を強く望みたいほどだ。
まず出現の可能性は極めて低かろうが、都営地下鉄5500系とか東急2020系のような半流線形ならば名鉄でも辛うじて何とか受け入れられそうな感じ。今の3500系や9500系と併結させても、さして違和感はないと思うが。うん。
………さて、昨今は不採算、つまり輸送密度4000人未満の地方鉄道の存廃論議が国交省などから取り沙汰されていますね。特に弘南鉄道とか北陸鉄道(特に石川線)、岳南鉄道、大井川鐵道、上毛電鉄の辺りなどは心配だ。JR線では関西本線中部、山陰本線西部、米坂線、陸羽東・西線、芸備線や福塩線の北部の辺りか? 城端線や氷見線のように電気式気動車の導入が具体化されているほどならば、そう心配もしていないが。
これら地方鉄道でも私鉄は戦前戦後を通じて、原則的には一般狭軌(1067ミリ)、架線電圧は直流600〜1500ボルト、車体幅は2744ミリ以下、車体長は17000〜18000ミリと定められてきました。
連結面間距離も片側250〜365ミリが一般的です。
戦後の旧運輸省は、この寸法を地方鉄道A'規格と敢えて指定。
名鉄では他でもない初代モ3800形から適用され、車体幅は2740ミリ、車体長は17000ミリ、連結面間距離は片側415ミリに。いわば、18.83メートル車となり、その後、今の6500系や3500系などでは車長17100ミリとはなりますが、全体的には18.83メートル車。9500系や3300系などでも頑なに守られています。
なお、2000、2200系では、車幅はなぜか2700ミリ。2000系は車体傾斜装置による振れの範囲が考慮されたそうで、2200系ではコストダウンのため、2000系と車体サイズを揃えたためとみられます。
この規格は車体更新された旧性能車にも適用。日本車輌製造では、松本電鉄のモハ10形とか、北陸鉄道のモハ6000形、岳南鉄道の銀電がそれらの代表でしょうね。
ただ、1960年代に入ると、旧国鉄からの車両払い下げもとみに増加。そうばつかりも言っていられなくなり、秩父鉄道や上信電鉄、長野電鉄、富山地鉄、富士急、果ては大井川鐵道や三岐鉄道までも建築限界寸法を旧国鉄並みにする形に至りました。なかなか純新車を導入出来ないような中小私鉄は競って改修することに。
当時の国鉄車両規格はモハ63形とか113系などを見れば、車長は19500ミリ、車幅は2950ミリ、連結面間は片側250ミリに。
また、特に黒い2軸貨車はあらゆる地方鉄道に乗り入れられるよう考慮されていたか。
ワム90000形などは名鉄岡崎市内線にもビューゲル付きの電動貨車に牽かれて、大樹寺や三河広瀬に向かっていたようだ。車幅は2743ミリで、今のコキ107形からは恐らく想像も出来まい。あの時にせめてZパンタがあれば、乗務員も遥かに楽だった筈だが。
昔の新名古屋駅では、黒いデキ600型に牽かれたワム70000形も見掛けた覚えがあります。やはり、スカーレットやブルーよりは、黒が遥かに似合うような印象でしたよ。
非電化の小湊鉄道や島原鉄道などは、当時の国鉄線乗り入れの関係からから早くから改修されていたようだ。そう言えば、過去には島鉄の冷房車が博多や長崎に急行“出島”として乗り入れていましたが、昨今での長崎本線西部の再度非電化もあり、少なくとも長与や長崎、出来れば新大村までは直通を再開させたいね。ただ、小湊鉄道もそうだが、島原鉄道にとってはYC1系は余りにも高い買い物だが。
また“出島”“弓張”“いなさ”の列車愛称も似合いそうにない。
小湊鉄道も国鉄千葉駅に一時的ながら乗り入れたことはありますが、その復活には、いっそのことJR東海のキハ85系を再整備して活用してみるのもそう悪くはない。
………実は終戦直後の名鉄でも運輸省から割り当てられたモハ63形を初代3700系として栄生〜豊橋間の一般特急や急行に使われたことがあったらしい。車体カラーは茶色のままで、連結器は自動式に交換。豊橋寄りからモ3700、ク2700の編成だったようだ。勿論、私自身はまだ生まれてはいなかったが。
但し、枇杷島橋付近の急カーブ通過不可のこともあり、栄生駅以西には入れず、僅か数年で東武鉄道や小田急に引き取られ、その代わりに3800系71両が急造されたとか。
もしあの時に枇杷島橋付近が改修されていたら、今の名鉄本線系の車両はJR東海315系並みのサイズになり、挿し込み型密着連結器も採用されていたに違いない。さらに、JR東海と名鉄の相互乗り入れが日常的になっていたのかもしれないね。
そして30年後には名鉄100系がデビュー。本格的な20メートル車にはなりました。このサイズは300系にも受け継がれていますね。しかし、車幅は2730ミリ、車長は19300ミリ、連結面間は350ミリで、315系に比べるとやや小ぶり。やむを得まい。名鉄式20メートル車とでも呼ぼうか。
その後も100系や300系並みのサイズの4扉車を名古屋本線や河和線、常滑線などの本線系にも置けとの声も一部ではありますが、もはや無理だ。さらに、100系や300系のほかに、キハ8200系は名古屋本線の岐阜駅には乗り入れ不可だったとか聞いたが、真偽は如何に?
その結果、未だに古臭い地方鉄道車体定規を頑なにも守っているのは名鉄本線系や瀬戸線、豊橋鉄道渥美線ぐらいだけか。
今の豊鉄渥美線がなかなか車両更新出来ないのも、これが原因には違いあるまい。


都営地下鉄5300系、相次ぐ廃車解体!!京成3700系も廃車が始まったらしい………

2023年06月10日 11時53分54秒 | 鉄軌道
あるサイトで画像を見ましたが、都営地下鉄浅草線や京成線、京急線にて親しまれた東京都交通局の5300系の廃車解体処分がここのところ急速に多くなっているらしい。
車幅は2800ミリながらも、車長は17500ミリ。建築限界寸法の関係で豊橋鉄道渥美線には難しいが、一般狭軌用に改造すれば、まだまだ十分に使えそうなVVVF車ですね。
あの高松琴平電鉄への譲渡にも大いに期待されていたのだが、琴電は古くから元京急車王国。最近は京急1500系の譲渡話も出ているような噂さえあり、どうやら解体は必然的と言わざるを得まい。
一方、京成電鉄でも3700系の廃車解体が始まりつつあるような。界磁チョッパ制御ならばやむを得まいが、3800系や3900系ならばVVVF車かな?
こちらの方は何とか琴電に渡れば……とも思うのだが。うん。
ところで京成電鉄では今、新3200系を鋭意開発中。編成両数変更がしやすいそうで、もしかしたら、連結器も挿し込み密着式に変わるのかな??

ここのところ在来車の廃車解体が矢継ぎ早の名鉄。次はどの編成?? 6R車とSR車との併結裏話…

2023年06月10日 10時05分32秒 | 鉄軌道
名鉄は昨今の新型コロナウイルス禍の中、2022年度は9509〜9512F、9107Fの計18両を新造。6028〜6030F、6045F、6002Fのほか、6801、6802、6505、6507各Fを解体処分しましたね。6800系は車齢33歳とまだ若くて勿体なさを禁じ得ません。
次の廃車有力候補は6803、6506Fの辺りだろうか??
6500系は当初はステンレス車体や電気指令式ブレーキの採用さえ検討されたそうだし、パノラマスーパーの1000系も再度、電気指令式ブレーキやワンハンドルマスコンの採用が一度は考えられていたようだ。
しかしながら、まだチョッパ制御機器自体が高価で、全体的には車両不足気味。6000系や他のSR車との併結運転も考慮せざるを得なかったそうです。まだまだステンレス車体も高値の花だったか。
ちなみに東急は8500系、東武鉄道でも10000系が鋭意増備中の時代でしたね。
………6R車と異形式車両との併結については、今は犬山駅〜犬山検査場間の回送にて早朝や深夜に比較的よく見られたとか。5700系と6800系の組み合わせが特に多かったらしい。
また、定時の回送としては、2000系と3R4もしくは9R4編成との併結が今なお有名ですね。今でも、5000系と6500、6800系との併結回送は健在なのかな??
1800系は当初、5000系との定期併結運用を持っていたのだが、やはりエラーも多くて長続きしなかったとか。今は1200系が専らの相手だが、性能面ではやはり無理も多く、1800系はいささか引っ張られたり、押し出されたり、しばしば空転したり……。やはり、あんなに疲弊しているのでは、新5200系への車体更新までには到底におぼつくまい。
過去には8800系と6014Fの併結運用試験も豊川線や尾西線などで行われたそうだが、やはり問題点も多かったようだ。
………私自身は今季は6500、6800系鉄仮面型があと1本ずつ廃車されてから、すぐに(7月初め頃??)9513〜9515F、9108〜9110Fが搬入されて一段落を迎えるものと読んでいますが。実際のところは、まだ分かりません。
さて、6001Fは三河線のワンマン運用を離れ、再び本線系に転じたとみられます。
あの7001Fに倣い、ク6001とモ6201は静態保存でもされるのかな?
ブルーリボン賞に輝いたのは紛れもない事実ですから。うん。
6518、6519Fはリニューアルされたものの、どうやらワンマン対応化は準備施工だけらしい。さては6523、6524Fのリニューアル待ちでしょうか?
また、今は舞木検査場に何と6516Fがいますね。分割されて留置中らしく、恐らく今回は廃車ではなくて、検査だとみられます。


“市営百年史”、100部だけの限定出版!!抽選で販売も!…

2023年06月10日 08時01分41秒 | 交通一般
名古屋市交通局は去る1973年に出版した“市営五十年史”の後継資料として、“市営百年史”をこのほど刊行しました。
価格そのものは1万円ですが、僅か100部の限定出版!!
従って、抽選での限定販売になります。
まあ、一般のファンはまず購入する方々もおられまい。
詳しくは交友社公式サイトや名古屋市の公式サイトにて。
さて市電や、あの郡道市バス路線などのことは、どう扱われたのやら??
いずれにせよ、市内の公立図書館とか中日新聞の資料部など公的機関には1部だけ置かれるだろうか、貸し出しはまず不可能だろうね。

日本国内にも戦前は唯一無二?の標準軌非電化路線が存在していた!! 塩江温泉鉄道!!

2023年06月09日 13時56分16秒 | 鉄軌道



標準軌間の電化私鉄である高松琴平電鉄。その仏生山駅から戦前の数年間は何と標準軌で敷設された非電化鉄道線がありました。

なお、画像の標準軌間の線路は鹿児島市電のものです。

あの南満州鉄道線(満鉄)や朝鮮鉄道線(鮮鉄)などを別にすれば、日本の領土内にて敷設された国際標準軌間(1435ミリ)の鉄軌道営業路線は必ず電化されており、仏生山駅から分岐していた路線の塩江温泉鉄道だけが非電化だったとか。
古くは旧国鉄横浜線の小机駅付近にて2120型蒸気機関車を標準軌用に改造して三線軌化されていた区間を疾走し、好成績を収めたこともありましたが。うん。また後の9600型は車体幅もやや広く、将来的な標準軌化も考慮か。戦時中ではC51型やスハフ32、4110型などの一部が標準軌用に改造されて大陸に渡ったらしいとも聞いたが、詳しいことは分かりません。
当時の鉄道省は在来線全面標準軌化決定の場合、まずは単線非電化だった播但線から試験的に着手するつもりだったらしい。
旧東横電鉄もデハ3450形は標準軌化が前提にされていましたね。三浦海岸方面への直通乗り入れの夢もあったとか。
近鉄田原本線はもともと非電化で一般狭軌でしたが、標準軌化に当たり、同時に直流600ボルト電化に。
さて、塩江温泉鉄道の方は特に電化の予定もなく、ガソリンカーにて運行されたとか。将来的な琴電線直通乗り入れも考慮された事情もありました。
しかしながら、戦時中に不要不急路線とされ、僅か12年で廃止になってしまい、残念ですね。晩年は琴電塩江線になりましたが、結局、非電化のままでした。
そして、あれから数十年が過ぎ、琴電ではワンマンなど合理化のため志度線と長尾線にレールバスの導入も一度は検討。もし実現していれば標準軌用の小型気動車が出ていたのかもしれませんが、結局、陽の目を見なかったようですね。
なお、松山近郊の伊予鉄の郊外鉄道線の一部にはもともと標準軌だった区間もあるとか。かつての松山電軌線ですが、こちらも伊予鉄への合併時までには日本一般狭軌(1067ミリ)に改められて、現在に至っています。
よくよく考えれば、標準軌用のPC枕木や分岐器は決して安い買い物ではなく、それほどの高速性や上質な乗り心地が要求されなければ、日本国内ではあまりメリットがない??
・追伸(6/10)………あれからウィキペディアなどで調べたところ、C51型は戦時中に16両が標準軌用になり、スハフ32形19両とともに華中鉄道に渡ったらしい。もともとC51型の設計も将来的な標準軌化が考慮されていたようですね。狭軌で残されたものは関西本線名古屋口にも1965年頃まで見られたそうだが。また、D51型の標準軌版も華中鉄道には存在したらしい。
但し、C51型は余りにも性能が良すぎたのか、敢えて莫大な費用を掛けてまで標準軌にする必要はないと判断されたか。結局、在来線の改軌計画は取りやめになりましたね。

伊予鉄、鉄道線に純新車を導入計画!!琴電には京急1500系導入の噂も!!北鉄石川線は?

2023年06月08日 20時51分37秒 | 鉄軌道
松山市近郊を巡る伊予鉄道。
伊予鉄はこのほど、路面電車の松山市内線(直流600ボルト電化)に近代的軽量LRTを増備するほか、郊外鉄道3線(同750ボルト電化)にも純新車を導入することを明らかにしました。なお変電所も改修するそうで、この際は1500ボルト化も視野に置いたらどうか?
運賃値上げに対する見返りとか。注目の鉄道線新車両の詳細は後日にも明らかにされます。
一方、豊橋鉄道でも豊橋市内線と渥美線の運賃値上げが示唆されていますが、特に渥美線は一向に新車の投入の動きはなし。
伊予鉄道が実に羨ましい限りだ。
そりゃあ線路や電柱、枕木の更新も大事だが、特に渥美線は電車(元東急7200系こと豊鉄1800系)の老朽化がとみに著しくなり、やはり3両組成で取り敢えず2本程度の名鉄4000系並みの純新車への更新ぐらいはそろそろ真剣に考えてもらわないと………。あれでは、不満の声が次第に高まるのもごく当たり前だ。
豊鉄バスの近代化は相対的に目覚ましいね。最近は、いすゞ製のニューエルガも豊川線(94号系統など)でお目見え。名古屋市交通局に先駆けて、白単色LED方向幕も広く採用し、昼間でも読みやすくなりましたね。ICカード対応化も近いらしい。また、この車両からは側面表示の位置がなぜか名鉄バスの新車のような位置に。まさか、前乗り後ろ降りの名古屋市営バスがまねることもあるまいが。
また高松琴平電鉄も来年度から車両更新を再開か。京浜急行電鉄の1500系アルミ車両が譲渡されるような噂も。VVVF制御かどうかは分からないが。これにより、元700系や1000系、元名古屋市営地下鉄東山線用の250、300形は徐々に姿を消しそうだ。
なお、可能性は極めて薄いが、万一にも純新車を導入する場合は今後も標準軌で通すかどうかも再検討を。LRT的なものならば標準軌でも別に構わないが、鉄道線的な車両ならば一般狭軌化を図り、JR線に直通させる手もあろう。それに線路保守費も今よりは安くつく筈だ。
さらに北陸鉄道では、石川線を今後も存続させる場合は純新車を導入する方針。既に昇圧された浅野川線は上下分離方式で何とか存続の見込み。石川線は未だに直流600ボルト電化のままですね。まだ、路線そのものの存廃の結論はなお持ち越されており、まだまだ新車導入の話は流動的です。

名鉄の初代6000系列は終始、二軍選手的な存在に………3500系の後継車両は?

2023年06月08日 18時29分43秒 | 鉄軌道


名鉄は戦時中の一時期を除けば、6000系が1976年暮れにデビューするまでは一貫して片側2扉、クロスシートを頑なに守り続けてきましたね。
その背景には、名古屋鉄道(株)の看板車両は観光利用客誘致や見た目の高級感を強調したいという、あの土川元夫氏(鬼籍)の思惑もありました。
土川氏の他界後、後任の竹田弘太郎氏(鬼籍)はその考え方を改め、観光客と日常通勤通学客の輸送を分けて考え始め、1974年には初めて片側3扉、全面ロングシートの冷房車を16両発注する方針を決めましたが、この計画は実は当時のAL車のモ800、830、850形をタネ車にしたもので、恐らく先頭部は7300系、側面部は3780系を3扉にしたようなイメージだったのでは?
もし予定通りにデビューしていたら、3870系とか6000系と命名されていたのでは?
同時に発注されたパノラマカーの中間車12両ことモ7050形7100番代は予定通りに落成しましたが、肝心の通勤型は車体更新費の高騰や日程調整不都合から結局、東急から中古車を購入。3880系と命名され、85年3月まで活躍しましたね。
やはりパノラマカーやスーパーロマンスカーに比べれば、通勤型車両はまだまだ軽くみられていたらしい。
さすがに名鉄側は大量投入の場合、単なるAL車の車体更新ではまずいと判断したか。結局、今の6000系を多数、投入することに。
しかしながら、パノラマカーと同じ馬力を得るにはMT編成の場合、モーターは150キロワットが必要。当時の狭軌鉄道では130キロワット程度が限界とされていたようだ。
またモーター数を半減するにはそれなりの牽引力も必要。ギア比も旧国鉄113系並みの4.875から6.07と103系並みにしたため、最高時速は100キロとAL車並みのスピードに落ちてしまったような。
加速性能はアップしたとは言えども、あまり実感は湧きませんでしたね。しかしながら、コストダウンには成功したと思いますが。うん。
6000系は85年まで新造が続きましたが、AL車並みの性能なためか、岐阜〜豊橋間の一般特急・急行、ことに伊奈〜豊橋間の乗り入れ列車には充当が敬遠されていたとみられます。確かに、季節ダイヤとか不慮の代走、平日朝の輸送力列車には例外的に豊橋駅にも乗り入れ、AL車やOR車の充当だけは絶対に避けていたのだが。
後の6500、6800系は回生ブレーキを搭載させ、ギア比を5.6に。何とか最高時速を110キロに持ち上げましたが、6000系と共通運用や併結もされたためか、6000系同様、名鉄としてはお世辞にも看板車両、一軍選手とまでは言えませんでしたね。八百津や御嵩、常滑、蒲郡、碧南、津島方面など支線直通急行が活躍の中心でした。
まだまだ、5500、7000、7500、7700系が看板車両で、非冷房の初代5000、5200系もその本線特急運用を補佐していたような。
通勤型車両が看板になったのは、やはり94年3月に今の3500系が豊橋駅にも日常的に乗り入れるようになってからだろう。
3500系からはギア比5.65。モーターも170キロワットに。最高時速は120ないし130キロですね。但し、VVVF制御の三相交流誘導モーターのため、直流モーター換算ならば、ギア比4.82に相当か。

早いもので3500系がデビューしてから30年。ワンマン未対応編成はまだまだ一宮〜豊橋間の急行としても現役で大活躍中。
既にリニューアルされて各務原線や知多新線のワンマン運用に当たっているような編成は、きっと長生きしようが、それ以外のものは、そろそろ気掛かりに。あの鉄仮面型も先日にあっけなく解体されたほどだから。うん。
もしかしたら、3500系の後継車種問題もこれからは意外に早く浮上するのかもしれない。
さては、名鉄9300系とか9700系という形で、今の近鉄5800系(シリーズ21)みたいに必要に応じて即座にクロスシートにもロングシートにも容易に形を変更出来るような、新たな高級通勤型車両でも現れるのか??
但し、昨今のSiC素子が非常に安定しているため、名鉄では恐らくPMSMなんかは採用しないだろう。
まぁ、楽しみの一つではあるが、果たして日の目を見るのは、いつのことやら?
少なくとも暫くは先の話だろうね。

JR名駅の線路、駅ホーム展望席近くにて賞味した、ボンゴレあんかけスパ!!

2023年06月08日 15時26分49秒 | グルメ

最近は“ふらつき慣れ”?が少ししてきたのか、ようやく可能な範囲内で外出にも再び努めています。血圧も120、70でここのところは推移。ごく最近での血液検査でも殆ど異常値はないとか。心因性か頸性の可能性が濃厚?
但し、仮に“浮動性めまい”が本当だとしても、あちこちで聞く範囲内では、まだごく軽い方とか。回転性が皆無なのが幸いらしい。また、聴覚障害も特に認められないとか。
かかりつけ医や行きつけの心療内科、神経内科等でもこうした程度の症状は誰でも多かれ少なかれあるから気にしないで、とにかく動き回れ!!との仰せ。一体、どんな状態が健常なのか分からなくなってきたなぁ………。
画像は、名駅ゲートタワービル内の通称・JR線展望席に程近い場所にて賞味したボンゴレあんかけスパです。
本日昼は、お袋から頼まれた買い物もありましたから。
………さて、ここで鉄道ネタ。
名鉄では、ここのところ廃車の動きが風雲急を告げていますね。
先の6507、6802Fに続いて、今度は6505、6802Fが解体に。
また、6008、6052Fも今月内の廃車は決定的になりました。
どうやら、鉄仮面型はここ数年内には全廃の方針らしい。
さらに蒲郡線と御嵩方面のワンマン編成。あの6009〜6013Fもかなりくたびれ果てており、そろそろ6800系金魚鉢型にでも交代させたいところだ。
私自身が思うには6823〜6827Fの辺りが改造の有力候補??
しかしながら、単に運賃箱や整理券発行機を取り付けるだけでは改造の意味もあまりなさそうだ。
やはり、車両を更新するからには、ぜひともmanaca等のICカードに簡易方式でも構わないから対応させたい。
ちなみに6823F、最近は平日昼の河和線一般特急によく充当されているような。
一方、JR東海では、関西本線・名古屋〜亀山間にて315系3000番代も就役。今のところはC102編成が早朝、夜間に入っているだけらしく、C101編成は引き続いて東海道本線・豊橋〜熱海間の辺りにて試運転か。まだ暫くは残りそうな211系6000番代との併結確認試運転も一度やっておいた方が良かろう。勿論、313系2300、2500番代とも然りだが。
中央西線での315系もどうやらC17編成までが揃い、211系全廃に向けていよいよ追い込みだ!!
さらに、JR貨物愛知機関区ではDD51のほか、DE10も殆ど姿を消しました。
但しDE10-1557だけはなぜかぽつんと寂しそうに残されていますね。何を隠そう、最近までの名鉄新車両甲種輸送において最もよく働いてくれた機関車です。もう甲種輸送には当たるまい。それに1972年の製造ながらも、JR貨物大宮工場としては最後のDE10の定期検査出場機らしい。
恐らく衣浦臨海鉄道線でのKE65の代走用だと思われますが、こちらも衣鉄側が今後いつDD200を新製導入しても不思議ではなく、予断は許されませんね。