銀河夢急行

公共交通の話題を中心に、幅広く取り上げます。
都合により無予告で投稿を休止することもありますが、宜しくお願い致します。

名鉄金山駅、ホームドア設営はホンマに可能なのかな??甚だ疑問だ………

2023年06月10日 22時06分23秒 | 鉄軌道
名鉄が金山駅にホームドアを設営するとアナウンスしてから早くも丸5年が経過。
しかしながら、私自身も思っていた通り、1200系や2200系、2000系から9500系や9100系まで多種多彩な形式車が矢継ぎ早に乗り入れる金山駅ですから、具体化はナシのつぶて状態でしたね。
金山駅にも程近いと聞く名古屋盲学校とか白杖会などの苛立ちぶりは、さぞや想像を絶しよう。
ホンマは物理的にも不可能とチャイまっか??(苦笑)
まさか、あの名鉄が莫大な費用を掛けてまで、フルスクリーン方式、いわばキタウメ方式を採用するとも思えないが。うん。
また比較的簡単な方法として、今の特別車両すべてを車体更新という形にて片側3扉にすることも考えられようが、現実的ではない!!
でも、名鉄側は既に2023年度内には金山駅にてホームドアの実証実験を始めると大っぴらにも豪語。何か知らんが、ずっとオフレコにし続けているほどの全く新たな秘策でも既に確立しているのかしら??
なお、近鉄では名古屋駅については全くの新方式にて、独特なホームドア設営を考えているようだが。
ちなみに、JR中央西線のホームドア設営の動きはまだ見られませんね。ここでも、今後とも315系のほかに383系が停車する筈だ。

旧運輸省指定の地方鉄道車両A'規格に東急デハ3700形を忘れていた………名鉄3880系の思い出も

2023年06月10日 16時44分07秒 | 鉄軌道
名鉄は去る1975年6月頃に東急の中古車両、デハ3700形計12両を購入。
これは後の6000系設計の足掛かりにもなりましたね。
3両組成☓4本となり、豊橋寄りからク2881〜4、モ3882・3884・3886・3888、モ3881・3883・3885・3887と改称。冷房車ではなかったが、扇風機は完備。そして、その翌年には3889、3891、3893Fも加わり、6000系第一次車6本の補佐的な運用にも入りましたね。
とかく吊り掛け駆動の古い車両が多い名鉄にまた旧性能車か?……という声も決して少なくはなかったが、車内は底抜けに明るく整備。ただ出力はAL車とほぼ同じ、2M1T編成により加速性能はSR車並みにもかかわらず、弱め界磁はなく、結局は単独運用に終始。高速域は劣り、最高運転時速はせいぜいHL車並みの85キロだったらしい。せっかく車体寸法がA'規格のために導入されたのだが。
また、ジャンパや空気管の位置もあり、岐阜寄りにM車と、AL車とは逆になってしまいましたね。
これと前後して、豊橋鉄道渥美線でも東急から類似形式を購入。モ1700形として直流600ボルト電化のまま活躍を始めています。こちらも、まあまあ歓迎されていたような。この編成も当時の新川検査場で再整備され、デキ600型やEF65型やEF58型に牽かれて刈谷駅経由で柳生橋駅付近の花田検査場に甲種輸送。
あの明るかった赤とクリーム色のツートンカラー。今後の純新車のラインカラーにもしたいところだが。
今でも渡り線だけはどうにかJR線と繋がっているようだ。今ならば当然、搬入作業はDD200型の仕事の筈だが。うん。
名鉄3880系は単独ながらも、当時としては、なかなか中身の濃い運用だったね。
平日夕方は東岡崎〜八百津間の一般特急とか、朝には須ケ口〜常滑間の準急で6両編成を演出していたものでした。
後者は確か神宮前駅にて分割。
その頃には、AL車による8両編成列車(通称・エッパチ)もあり、朝には神宮前駅にて分割していた蒲郡・鳴海行きの急行とか、刈谷経由吉良吉田・豊明行きがその代表格でした。あのサボも誇らしげに。
3880系は時には3400系の代走として急行・蒲郡行き、同じく刈谷経由吉良吉田行きにも使われましたが、高速域の性能の悪さから運転現場ではいささか嫌われていたのかもしれません。岐阜〜一宮〜東岡崎間の一般特急代走としても使われましたが、最悪の性能だったらしい。吊り掛け駆動ながら高速域が優れていた3400系ならば岐阜〜美合間の一般特急のほか、1976年での安八水害で新川検査場がやられた際は栄生〜豊橋間の一般特急(高速)、急行にも一度だけながら使われたほどらしい。
さらに3850系とか3900系、初代5000系や5200系も電動カム軸自動進段ではなくて、単位スイッチ式。現場でもかなり嫌われていたそうな。3800系や5500系の方が、いかにコンパクトで運転しやすかったのか、自ずと分かろう。
そして、1980年頃からは順次、6000系に置き換えに。今ではそれらの後継輸送力列車は殆どがECB車化されたものとみられ、切り離しも鳴海駅に変わったのだろう。
今の若い平成生まれの名鉄乗務員やファンも殆ど、ご存じないのでは??
1979年当時の豊橋行きの一般特急や急行はごく一部が6000系のほかは、5500、7700系や初代5000系とか5200系にて運用。今でこそ、その姿は紛れもなく2200系+3150、9100系や特急色になった3100系ですね。
あの初代パノラマカー似の5700系はゆくゆくは豊橋行きの急行の代表格になる筈でしたが、そりゃあ、はかないものでしたわ。あまり増備されないまま、あっけなく今の3500系8両編成に移行しましたね。
さて、3880系は早くも1981年から廃車が始まり、85年3月には6500系鉄仮面型に置き換わる形で姿を消しています。
3880系は最盛期には豊橋駅にも昼間の普通列車として姿を見せたり、正月ダイヤでは豊川稲荷駅にも元気な姿で顔を出していました。
その後も名鉄では3両組成が数回はデビューしていますが、どれも短命に終わっていますね。やはり今の時代の名鉄では、奇数両編成では扱いにくいらしい。
一方、渥美線は将来的にも3両組成のワンマン運用で十分!!
やはり、名鉄4000系並みの3両組成が最適な気がしますね。特にSiC素子がもっと安くなれば、その実現性もさらに高い??
残念ながら名鉄3880系の画像は、こちらでは、もはや入手不能。何卒ご了承願います。
………あのA'規格ですが、そもそも発生の由来は終戦直後での資材不足対策とか。そのため、もはや存在意義も薄れており、今の大半の狭軌私鉄でもJR在来線の車体規格に。名鉄線と、名鉄渥美線を引き継いだ豊鉄だけは経費節減のためか未だに生きているような。
関西の標準軌私鉄は近鉄を除けば、A'規格にプラスアルファしたような寸法になり、阪急や阪神、京阪なとが代表格に。山陽電鉄は戦後、広軌63形と呼ばれた20メートル車がいて、700形とか2700形を標榜。後には車体更新もされましたが、2000系に置き換わる形で姿を消しています。あのまま20メートル車が残されていれば、今の近鉄特急の電鉄姫路駅乗り入れも割合に早く実現していたのでは?ちなみに最新の山電6500系も阪急並みの19メートル車ですね。
名鉄のキハ8500系とは別に、パノラマスーパーのク1000、1100形もほぼ20メートルのためか、吉良吉田駅を通れないそうです。2200系ならば恐らく問題なかろうが。
画像は、これから急速に姿を消していく名鉄の鉄仮面型です。


全国の地方鉄道で、元来の車両定規を未だに厳守しているのは名鉄と豊鉄だけ??

2023年06月10日 16時02分15秒 | 鉄軌道
まず本題に入る前に………。
大阪市交通局改め大阪メトロでは、このほど中央線用の400系が相次いで落成。大阪港・コスモスクエア〜奈良県の登美ケ丘間にて試運転も始まっているようですね。
私自身はまだまだここ暫くは情報を集めるだけになりそうだが、この前頭部が物凄くキモい!!
まるで宇宙船みたいな顔だわ。(苦笑)
まあ、遊び心というか、クロスシートまで設けての凝りようだ。近鉄けいはんな線側もよく受け入れたものだわ。
どうせ近鉄奈良線に直通して伊勢志摩に向かったり、数々の踏切を通るわけでもないから、まだ良いが、何だかグロテスクな印象だな。(苦笑)
こんな前頭部。まさか、名古屋市交通局や東京都交通局、東京メトロないし直通先の各鉄道事業者が気持ち良く思うのかしら? 名鉄だと、幹部や日常利用者らはきっと「ふざけるな!!」と怒り出す方々も出よう。保守的な東武鉄道でもほぼ同じだろうに。
私自身もこんなおかしな格好の電車を設計する暇があったら、むしろハイブリッド集電列車の早期かつ真面目な開発・実用化を強く望みたいほどだ。
まず出現の可能性は極めて低かろうが、都営地下鉄5500系とか東急2020系のような半流線形ならば名鉄でも辛うじて何とか受け入れられそうな感じ。今の3500系や9500系と併結させても、さして違和感はないと思うが。うん。
………さて、昨今は不採算、つまり輸送密度4000人未満の地方鉄道の存廃論議が国交省などから取り沙汰されていますね。特に弘南鉄道とか北陸鉄道(特に石川線)、岳南鉄道、大井川鐵道、上毛電鉄の辺りなどは心配だ。JR線では関西本線中部、山陰本線西部、米坂線、陸羽東・西線、芸備線や福塩線の北部の辺りか? 城端線や氷見線のように電気式気動車の導入が具体化されているほどならば、そう心配もしていないが。
これら地方鉄道でも私鉄は戦前戦後を通じて、原則的には一般狭軌(1067ミリ)、架線電圧は直流600〜1500ボルト、車体幅は2744ミリ以下、車体長は17000〜18000ミリと定められてきました。
連結面間距離も片側250〜365ミリが一般的です。
戦後の旧運輸省は、この寸法を地方鉄道A'規格と敢えて指定。
名鉄では他でもない初代モ3800形から適用され、車体幅は2740ミリ、車体長は17000ミリ、連結面間距離は片側415ミリに。いわば、18.83メートル車となり、その後、今の6500系や3500系などでは車長17100ミリとはなりますが、全体的には18.83メートル車。9500系や3300系などでも頑なに守られています。
なお、2000、2200系では、車幅はなぜか2700ミリ。2000系は車体傾斜装置による振れの範囲が考慮されたそうで、2200系ではコストダウンのため、2000系と車体サイズを揃えたためとみられます。
この規格は車体更新された旧性能車にも適用。日本車輌製造では、松本電鉄のモハ10形とか、北陸鉄道のモハ6000形、岳南鉄道の銀電がそれらの代表でしょうね。
ただ、1960年代に入ると、旧国鉄からの車両払い下げもとみに増加。そうばつかりも言っていられなくなり、秩父鉄道や上信電鉄、長野電鉄、富山地鉄、富士急、果ては大井川鐵道や三岐鉄道までも建築限界寸法を旧国鉄並みにする形に至りました。なかなか純新車を導入出来ないような中小私鉄は競って改修することに。
当時の国鉄車両規格はモハ63形とか113系などを見れば、車長は19500ミリ、車幅は2950ミリ、連結面間は片側250ミリに。
また、特に黒い2軸貨車はあらゆる地方鉄道に乗り入れられるよう考慮されていたか。
ワム90000形などは名鉄岡崎市内線にもビューゲル付きの電動貨車に牽かれて、大樹寺や三河広瀬に向かっていたようだ。車幅は2743ミリで、今のコキ107形からは恐らく想像も出来まい。あの時にせめてZパンタがあれば、乗務員も遥かに楽だった筈だが。
昔の新名古屋駅では、黒いデキ600型に牽かれたワム70000形も見掛けた覚えがあります。やはり、スカーレットやブルーよりは、黒が遥かに似合うような印象でしたよ。
非電化の小湊鉄道や島原鉄道などは、当時の国鉄線乗り入れの関係からから早くから改修されていたようだ。そう言えば、過去には島鉄の冷房車が博多や長崎に急行“出島”として乗り入れていましたが、昨今での長崎本線西部の再度非電化もあり、少なくとも長与や長崎、出来れば新大村までは直通を再開させたいね。ただ、小湊鉄道もそうだが、島原鉄道にとってはYC1系は余りにも高い買い物だが。
また“出島”“弓張”“いなさ”の列車愛称も似合いそうにない。
小湊鉄道も国鉄千葉駅に一時的ながら乗り入れたことはありますが、その復活には、いっそのことJR東海のキハ85系を再整備して活用してみるのもそう悪くはない。
………実は終戦直後の名鉄でも運輸省から割り当てられたモハ63形を初代3700系として栄生〜豊橋間の一般特急や急行に使われたことがあったらしい。車体カラーは茶色のままで、連結器は自動式に交換。豊橋寄りからモ3700、ク2700の編成だったようだ。勿論、私自身はまだ生まれてはいなかったが。
但し、枇杷島橋付近の急カーブ通過不可のこともあり、栄生駅以西には入れず、僅か数年で東武鉄道や小田急に引き取られ、その代わりに3800系71両が急造されたとか。
もしあの時に枇杷島橋付近が改修されていたら、今の名鉄本線系の車両はJR東海315系並みのサイズになり、挿し込み型密着連結器も採用されていたに違いない。さらに、JR東海と名鉄の相互乗り入れが日常的になっていたのかもしれないね。
そして30年後には名鉄100系がデビュー。本格的な20メートル車にはなりました。このサイズは300系にも受け継がれていますね。しかし、車幅は2730ミリ、車長は19300ミリ、連結面間は350ミリで、315系に比べるとやや小ぶり。やむを得まい。名鉄式20メートル車とでも呼ぼうか。
その後も100系や300系並みのサイズの4扉車を名古屋本線や河和線、常滑線などの本線系にも置けとの声も一部ではありますが、もはや無理だ。さらに、100系や300系のほかに、キハ8200系は名古屋本線の岐阜駅には乗り入れ不可だったとか聞いたが、真偽は如何に?
その結果、未だに古臭い地方鉄道車体定規を頑なにも守っているのは名鉄本線系や瀬戸線、豊橋鉄道渥美線ぐらいだけか。
今の豊鉄渥美線がなかなか車両更新出来ないのも、これが原因には違いあるまい。


都営地下鉄5300系、相次ぐ廃車解体!!京成3700系も廃車が始まったらしい………

2023年06月10日 11時53分54秒 | 鉄軌道
あるサイトで画像を見ましたが、都営地下鉄浅草線や京成線、京急線にて親しまれた東京都交通局の5300系の廃車解体処分がここのところ急速に多くなっているらしい。
車幅は2800ミリながらも、車長は17500ミリ。建築限界寸法の関係で豊橋鉄道渥美線には難しいが、一般狭軌用に改造すれば、まだまだ十分に使えそうなVVVF車ですね。
あの高松琴平電鉄への譲渡にも大いに期待されていたのだが、琴電は古くから元京急車王国。最近は京急1500系の譲渡話も出ているような噂さえあり、どうやら解体は必然的と言わざるを得まい。
一方、京成電鉄でも3700系の廃車解体が始まりつつあるような。界磁チョッパ制御ならばやむを得まいが、3800系や3900系ならばVVVF車かな?
こちらの方は何とか琴電に渡れば……とも思うのだが。うん。
ところで京成電鉄では今、新3200系を鋭意開発中。編成両数変更がしやすいそうで、もしかしたら、連結器も挿し込み密着式に変わるのかな??

ここのところ在来車の廃車解体が矢継ぎ早の名鉄。次はどの編成?? 6R車とSR車との併結裏話…

2023年06月10日 10時05分32秒 | 鉄軌道
名鉄は昨今の新型コロナウイルス禍の中、2022年度は9509〜9512F、9107Fの計18両を新造。6028〜6030F、6045F、6002Fのほか、6801、6802、6505、6507各Fを解体処分しましたね。6800系は車齢33歳とまだ若くて勿体なさを禁じ得ません。
次の廃車有力候補は6803、6506Fの辺りだろうか??
6500系は当初はステンレス車体や電気指令式ブレーキの採用さえ検討されたそうだし、パノラマスーパーの1000系も再度、電気指令式ブレーキやワンハンドルマスコンの採用が一度は考えられていたようだ。
しかしながら、まだチョッパ制御機器自体が高価で、全体的には車両不足気味。6000系や他のSR車との併結運転も考慮せざるを得なかったそうです。まだまだステンレス車体も高値の花だったか。
ちなみに東急は8500系、東武鉄道でも10000系が鋭意増備中の時代でしたね。
………6R車と異形式車両との併結については、今は犬山駅〜犬山検査場間の回送にて早朝や深夜に比較的よく見られたとか。5700系と6800系の組み合わせが特に多かったらしい。
また、定時の回送としては、2000系と3R4もしくは9R4編成との併結が今なお有名ですね。今でも、5000系と6500、6800系との併結回送は健在なのかな??
1800系は当初、5000系との定期併結運用を持っていたのだが、やはりエラーも多くて長続きしなかったとか。今は1200系が専らの相手だが、性能面ではやはり無理も多く、1800系はいささか引っ張られたり、押し出されたり、しばしば空転したり……。やはり、あんなに疲弊しているのでは、新5200系への車体更新までには到底におぼつくまい。
過去には8800系と6014Fの併結運用試験も豊川線や尾西線などで行われたそうだが、やはり問題点も多かったようだ。
………私自身は今季は6500、6800系鉄仮面型があと1本ずつ廃車されてから、すぐに(7月初め頃??)9513〜9515F、9108〜9110Fが搬入されて一段落を迎えるものと読んでいますが。実際のところは、まだ分かりません。
さて、6001Fは三河線のワンマン運用を離れ、再び本線系に転じたとみられます。
あの7001Fに倣い、ク6001とモ6201は静態保存でもされるのかな?
ブルーリボン賞に輝いたのは紛れもない事実ですから。うん。
6518、6519Fはリニューアルされたものの、どうやらワンマン対応化は準備施工だけらしい。さては6523、6524Fのリニューアル待ちでしょうか?
また、今は舞木検査場に何と6516Fがいますね。分割されて留置中らしく、恐らく今回は廃車ではなくて、検査だとみられます。


“市営百年史”、100部だけの限定出版!!抽選で販売も!…

2023年06月10日 08時01分41秒 | 交通一般
名古屋市交通局は去る1973年に出版した“市営五十年史”の後継資料として、“市営百年史”をこのほど刊行しました。
価格そのものは1万円ですが、僅か100部の限定出版!!
従って、抽選での限定販売になります。
まあ、一般のファンはまず購入する方々もおられまい。
詳しくは交友社公式サイトや名古屋市の公式サイトにて。
さて市電や、あの郡道市バス路線などのことは、どう扱われたのやら??
いずれにせよ、市内の公立図書館とか中日新聞の資料部など公的機関には1部だけ置かれるだろうか、貸し出しはまず不可能だろうね。