くつろぎの隠れ家風古民家【丹波篠山まつかぜ屋】

名古屋コーチン・丹波篠山牛・猪肉料理など。完全予約制。駐車場有り。駅弁「新デカンショ弁当」の予約販売も。

青山通り

2010年01月04日 | Weblog
信号機の下に、「青山通り」とありますね。

丹波篠山城の初代城主は、徳川家康の実子である松平康重でしたが、9代以後は青山家が藩主となり、明治の廃藩置県を迎えるまで、篠山を治めていたことに由来しています。

また、その青山家の江戸屋敷があった場所が、あの有名な東京の「青山通り」だそうです。
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商店街4

2010年01月04日 | Weblog
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商店街3

2010年01月04日 | Weblog
誓願寺を過ぎて、篠山商店街を進んでいきます。
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楼門

2010年01月04日 | Weblog
誓願寺の楼門です。

見事なものですね。
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誓願寺

2010年01月04日 | Weblog
篠山商店街の中(篠山市魚屋町)にある、清浄山 誓願寺(せいがんじ)《浄土宗》です。

以下は、「丹波篠山五十三次ガイド」からの引用です。

『城下町篠山の西北、西町から北上する道路から北上する道路がT字型に交わる要所に、誓願寺が砦のように建っている。楼門は、室町時代後期の様式を残しており、その彫刻は見事である。

御本尊は、阿弥陀如来像である。三岳修験道の小金ヶ岳・廃福泉寺より移したもので、法道仙人作と伝えられている。

八上城主波多野秀治公が高城山の山麓に、天正年間(1573~92)の初め、覚山天誉上人を開山として八上誓願寺を創五月、父が松永久秀らに殺されると、京都の覚願寺に逃れ、父の菩提を弔うために仏門に入った。それを秀治公が保護したのである。八上誓願寺は中本山として、十二カ寺の末寺をもつまでに発展したが、覚山は晩年、西紀町宮田の廃浄福寺に隠棲し、そこで亡くなった。

篠山に築城されると、当寺は民心の安定と城下町造りの拠点として、この地に移築された。本堂・山門は当時のままで、秀治公の肖像画と八上城合戦図絵が残り、「知新館」跡の碑がある。』

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篠山商店街2

2010年01月04日 | Weblog
通りの向こうに見える青空が、いいですね。
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今日の丹波篠山

2010年01月04日 | Weblog
数年ぶりに、篠山商店街でカメラ小僧になってきました

途中、後ろから声を掛けられて振り向くと、「シルバーエコーささやま」団員の松尾さんでした♪
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コメント紹介

2010年01月04日 | Weblog
1月2日夜に、「シルバーエコーささやま」団員の杉村さんから、コメントをいただきました。

内容は、下記のとおりです。

『明けましておめでとうございます。
昨年は「読み専」でしたが、大いにエンジョイさせていただきました。
どうぞ今年も楽しいブログを作り続けてくださいネ。
今日は朝から「箱根駅伝」のテレビに釘ずけでした。
それにしても東洋大学の5区の柏原君は大したもんですね。』

今年は、ぜひ「読み専」を卒業していただいて・・・
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