やがて、淡路夢舞台の東浦ゲートに到着しました。
ここで、6人ずつのグループに分かれ、ボランティアガイドさんの案内で、フィールドワークをしながら、環境学習をします。
淡路夢舞台がどういうものか概略を知って頂くために、以下に、当日いただいた「淡路夢舞台の自然再生(ECOLOGY STUDY GUIDE) ~環境学習ガイドブック~」の「はじめに」に記載されている文章を転記させていただきます。
『淡路夢舞台は、かつて「灘山」と呼ばれ、東浦町大磯と淡路町鵜崎の両地区にまたがる里山として、人々に親しまれていた場所でした。
しかし、1963年から1994までの31年間にわたり、関西国際空港など大阪湾ベイエリアの埋め立て土砂の採取場として利用され、その姿を大きく変えました。
土砂採取場としての灘山は、日本の経済成長の一翼を担う一方で、139haもの自然を失いました。
1990年代頃からは、従来の環境問題に加え、地球温暖化やオゾン層の破壊など、地球規模の環境問題への対応の重要性が広く認識され、自然環境の保全・創造に向けた動きが急激に高まってきました。
こうしたなか、土砂採取場跡地に失われた自然を取り戻し、国際会議場やホテル、展望テラス、温室、野外劇場、レストラン、淡路島国営明石海峡公園など、多様な交流施設を備えた森の中の国際交流拠点として、国と兵庫県が連携し、「淡路夢舞台」を整備しました。
整備にあたっては、荒れた大地に甦る緑と花、そして豊かな海が織りなす美しい自然、これらと交流施設群とが調和する”環境創造ミュージアム”をめざしました。
2000年には、淡路夢舞台を会場として、”人と自然のコミュニケーション”をテーマとする国際園芸・造園博「ジャパンフローラ2000」が開催され、ここでも、これまでの開発型ではなく「環境創造型」博覧会として、自然再生への取り組みや、環境共生型の会場づくりが行われました。
今日、博覧会を契機に高まりつつある自然との関係を見つめ直す意識や、環境を守り自然を回復させようとする機運を、さらに向上させるための取り組みが求められています。
美しい自然を次世代の子どもたちに引き継いでいくことは、私達に課せられた使命であり、本冊子が、人と自然の関わり方を見つめ直し、人と自然が共生する地機器作りに参加していただくきっかけとなれば幸いです。』
ここで、6人ずつのグループに分かれ、ボランティアガイドさんの案内で、フィールドワークをしながら、環境学習をします。
淡路夢舞台がどういうものか概略を知って頂くために、以下に、当日いただいた「淡路夢舞台の自然再生(ECOLOGY STUDY GUIDE) ~環境学習ガイドブック~」の「はじめに」に記載されている文章を転記させていただきます。
『淡路夢舞台は、かつて「灘山」と呼ばれ、東浦町大磯と淡路町鵜崎の両地区にまたがる里山として、人々に親しまれていた場所でした。
しかし、1963年から1994までの31年間にわたり、関西国際空港など大阪湾ベイエリアの埋め立て土砂の採取場として利用され、その姿を大きく変えました。
土砂採取場としての灘山は、日本の経済成長の一翼を担う一方で、139haもの自然を失いました。
1990年代頃からは、従来の環境問題に加え、地球温暖化やオゾン層の破壊など、地球規模の環境問題への対応の重要性が広く認識され、自然環境の保全・創造に向けた動きが急激に高まってきました。
こうしたなか、土砂採取場跡地に失われた自然を取り戻し、国際会議場やホテル、展望テラス、温室、野外劇場、レストラン、淡路島国営明石海峡公園など、多様な交流施設を備えた森の中の国際交流拠点として、国と兵庫県が連携し、「淡路夢舞台」を整備しました。
整備にあたっては、荒れた大地に甦る緑と花、そして豊かな海が織りなす美しい自然、これらと交流施設群とが調和する”環境創造ミュージアム”をめざしました。
2000年には、淡路夢舞台を会場として、”人と自然のコミュニケーション”をテーマとする国際園芸・造園博「ジャパンフローラ2000」が開催され、ここでも、これまでの開発型ではなく「環境創造型」博覧会として、自然再生への取り組みや、環境共生型の会場づくりが行われました。
今日、博覧会を契機に高まりつつある自然との関係を見つめ直す意識や、環境を守り自然を回復させようとする機運を、さらに向上させるための取り組みが求められています。
美しい自然を次世代の子どもたちに引き継いでいくことは、私達に課せられた使命であり、本冊子が、人と自然の関わり方を見つめ直し、人と自然が共生する地機器作りに参加していただくきっかけとなれば幸いです。』