八幡神社(本殿および拝殿)についての記述です。
『万寿元年(1024年)男山八幡の別宮として創建後、明智光秀の丹波攻めで戦火にあったが、天正十年(1582年)豊臣秀吉が武将堀尾茂助に命じて再建させた。
構造形式は本殿拝殿がつづいた複合社殿で、三間社流造桃山期の手法で各部の彫刻は室町時代の様式です。
大正二年国の特別保護建造物、昭和二年国宝、昭和二十五年国の重要文化財に指定され、昭和五十年一月から二十一か月をかけ、国庫補助事業として本殿は半解体、拝殿は解体修理が行われた。』
『万寿元年(1024年)男山八幡の別宮として創建後、明智光秀の丹波攻めで戦火にあったが、天正十年(1582年)豊臣秀吉が武将堀尾茂助に命じて再建させた。
構造形式は本殿拝殿がつづいた複合社殿で、三間社流造桃山期の手法で各部の彫刻は室町時代の様式です。
大正二年国の特別保護建造物、昭和二年国宝、昭和二十五年国の重要文化財に指定され、昭和五十年一月から二十一か月をかけ、国庫補助事業として本殿は半解体、拝殿は解体修理が行われた。』
どうも様子がおかしいので、通りがかりの人に尋ねると・・・どうやら、すでに大祭は終わったしまっていたようです。
お祭りの出店者らしき人達も、もう、ほとんど片づけを済ませてしまっていました。
ちょっと楽しみにしていたのですが、仕方ありません。
気まぐれで行動すると、こんなことも・・・。
ですが、せっかく柏原まで来たのだからと、上まで上がって、お参りして帰ることにしました。
お祭りの出店者らしき人達も、もう、ほとんど片づけを済ませてしまっていました。
ちょっと楽しみにしていたのですが、仕方ありません。
気まぐれで行動すると、こんなことも・・・。
ですが、せっかく柏原まで来たのだからと、上まで上がって、お参りして帰ることにしました。