今回は、ちょっとくだらないテーマを割と真剣に綴ります(笑)
自宅でステーキを焼く
私は肉料理が好きですが、例えばステーキが食べたくなったら、肉を買ってきて家で焼くのか、レストランなどで外食するか、デリカテッセンで購入して内食にするかで、毎回迷います。
他の肉料理でも、同じように迷います。
本日の夕食は、昨日買っておいたステーキ肉を焼いて食べましたが、実は我が家で肉料理を食べるのは、結構いろいろな手間がかかるのです。
肉料理を食べるのは私だけ
肉料理なんて、手の込んだビーフシチューやローストビーフを作るのでなければ、簡単に作れるレシピがたくさんあります。
家計的にも、肉の特売日にある程度買っておいて冷凍保存などしておけば、食べたいときに取り出して、さっと調理できます(解凍する時間が必要な時もありますが)
しかし、我が家の場合、母が肉全般食べることができません。
肉料理を作るとなると、私ひとり分だけ。
そして、母には別の料理を作る必要があります。
そう、私が家で肉料理を手作りする場合は、おかずを余計に1品作らなければならないのです。
おかず1品程度、そこまで手間じゃないし、ステーキなら焼くだけだから楽だろう、と誰しもが思うでしょう。
ところが、我が家の場合、物凄く気を遣いながら肉料理を作らなければいけないのです。
肉料理を我が家で作る場合
母が肉を食べられない理由は、アレルギーだとかドクターストップだとかは全く関係ありません。
あるトラウマがあって、食べられないのです。
このような表現だと、いろいろ想像させてしまうので、はっきり書きますが、母のトラウマは幼いときに肉の解体現場を見てしまったことです。
物心つく前だったら、記憶に残らなかったかもしれないのですが、ある程度大きくなってからの出来事だったので、それ以来食べられなくなってしまったとのこと。
そして、少しでも肉が入っていることがわかると、どんなに好きなメニューでも、食べることができなくなってしまいます。
日本は、肉エキスを使った食品が、割と多いですよね。
最近になって、やっとハラル料理などを意識した食品が出てくるようになりましたが、例えばカレーのルウなどは、ほとんどの商品に肉エキスが使われています。
母は、カレーは好きですが、肉エキス入りのルウは絶対に使えません。
ですから、一からルウを手作りするか、肉エキスを使用していないルウを探す必要があります。
ただ、今まで肉エキスが入っていなかった商品が、改良されて肉エキス入りになることがあるので、母のような人も、アレルギーの人も、宗教の関係で食べてはいけない人も、いきなり食べられなくなる食品って、意外と多いのです。
と、まあ、それはそれで、別の問題なのですが、我が家で母に肉料理や肉エキス入りの料理を食べさせないために、私は買い物の段階からかなり気を遣わなければなりません。
そして、調理するときも、かなりの気遣いが必要になるのです。
まず、肉を煮たり焼いたりしたナベやフライパンを、母が食べる料理に使いまわしたらダメです。
使う場合は、しっかり洗剤で洗ってからにするか、先に母のおかずを作る必要があります。
洗い物を少なくしたいので、母のおかずを作ってから肉料理を作るようにしていますが、本気で時短をするときは、ガスコンロは同時に2口使いますし、どちらかの料理をレンジで温めて、手抜き料理をするときもあります。
また、肉を扱っている最中に、母が食べる料理の材料を同じ調理台に置けません。
それを見られてしまったら最後、母はその料理には手を付けてくれなくなります。
そして、盛り付ける際の菜箸や杓子などの調理器具も、別々にしなければいけません。
料理の内容によっては、鍋やフライパンは2つ以上使う必要がありますし、箸や杓子も2倍必要です。
そして、そうなった場合は、洗い物も当然増えます。
もう、ここまで説明したら、どれだけ面倒かがお解りいただけたかと思います(苦笑)
肉を我慢する日々
調理行程や片付けのことを考えると、肉料理を諦める日も少なくありません。
しかし、どうしても肉料理が食べたい日もあります。
家計を優先させてしまうと自宅で作らなくてはなりませんが、調理から片付けまでの全工程を考えると、自分の負担が増えます。
自分の負担を減らしたいならば、デリカテッセンや肉がおかずの弁当を買いに行く必要があります。
外食でも負担は少なくなるのですが、母の料理を作ってから食べに行くことになるので、返って時間がかかりますし、お金もかかります。
このように、いつも肉料理が食べたくなったら、考えてしまうのです。
今回は、家で作るのか、調理済みのモノを買ってくるのか、外食するのか。
そして、考えることそのものに疲れて、最終的には肉を我慢して、母と同じモノを食べることに落ち着く日がほとんどです。
肉を食べずとも、死にはしませんし健康のことを考えると、食べる回数は少なくてもいいと思うのですが、好きなのでどうしても食べたくなってしまうのです。
いっそ、肉が食べたくなる欲が無くなってしまえば楽なのに、とさえ思います。
肉料理を自宅で作るのはやめることにする
実は、本日肉を焼いて後片付けをするまでの間、本気で疲れている自分に気が付きまして、もしかしたら、自宅で肉料理を作るのはストレスになっているのでは?と考えました。
そして、今後は肉料理を自宅で作ることをやめようと、本気で考えています。
そんな、大したことでもないのに、決意表明のようなことを言う自分もどうかと思いますが、小さな負担や不満は、思い切って取り除いた方が楽しいと思うのですよね。
たかが肉料理ですが、ストレスを感じながら自宅で調理していたら、たぶん出来上がった料理も美味しくないでしょうから、美味しくいただくためにも肉料理は、調理済みのデリカテッセンや、肉が入ったお弁当か、外食で徹底してみます。
ただ、私の好きな牛肉料理は、近所のスーパーのデリカテッセンコーナーでは売られていないのですよね。
牛肉弁当は見かけますが、牛肉のデリカテッセンは、ローストビーフの薄切りくらいしか見かけません。
あとは、牛肉巻きおにぎりくらいです。
豚や鶏を使ったデリカテッセンは、たくさんあるのに、どうして牛肉は少ないのでしょうね。
脂が凝固しやすいからでしょうか?
理由は何にせよ、デリカテッセンで牛肉を食べるのは、結構ハードルが高いです。
肉料理で自分の暮らしも見えてきた
肉料理を手作りする際に、調理器具が増えて、洗い物も増える、と言いましたが、工夫次第では調理器具も洗い物も少なくて済むはずです。
なのに、そのアイデアが浮かばないのは、もしかしたら調理器具の数が多いからなのかもしれません。
また、食器もまだまだ多いのでしょう。
私と母のおかずを別々に作る際に、いくつもの調理器具を使ってしまうのは、そういうことなのかな、と。
もし、食器の数もギリギリで、調理器具も最小限しかなかったら、もっと効率の良い調理方法を工夫すると思うのですが、今の私は調理器具が余っている状態なので、つい余っている調理器具に頼ってしまう傾向があるのでしょうね。
作ろうとしている料理も、もっと他に思いつくものがあるはずなのに、考える努力をしないのは、おそらく調理器具を見て作れる料理を考えているからだと思います。
これは、調理器具の間引きをするべきときが来た合図かもしれませんね。
調理に限らず、実はモノに頼って余計なことをするときは、割とあります。
クリアファイルは、書類を汚さず、かつ見やすく保管するのに適していますが、実はクリアファイルには入れない方が保管しやすい書類も存在します。
バスマットは、専用のモノを買わなくても、ヘタってきたバスタオルで代用できます。
飲み物は、マグカップひとつあれば、冷たい飲み物も熱い飲み物も入れられます。
丼飯は、少し深さがあるお皿に盛りつけても、何の問題もありません。
本当は、ひとつで何通りも使えるアイテムはあるのに、シーンに合わせてモノを選ぶことができるのは、アイテム数が多いからですよね。
しかし、たくさんのアイテムをシーンごとや目的ごとに、あるいは自分の自己満足に使用してしたら、いつまでもアイテムが減ることはないし、うっかりすると増やしてしまいます。
モノが多いということは、ひと手間ふた手間を増やすことにも直結しているのだということを、今回改めて感じたような気がしましたし、それがストレスとして表に出てしまった気がします。
モノを減らしたつもりでも、まだまだ、私の周りにあるモノは多すぎるのかもしれません。
たった1枚のステーキを焼いただけだったのですが、食べて気分を上げるはずが、逆に下がってしまったので、味をよく覚えていません(苦笑)
もっと、不要品を減らして、もう少し自分が暮らしやすい環境に近づいたら、ステーキも美味しく食べられるのかな。
環境ってとても大切な要素だなと、しみじみ思います。
自宅でステーキを焼く
私は肉料理が好きですが、例えばステーキが食べたくなったら、肉を買ってきて家で焼くのか、レストランなどで外食するか、デリカテッセンで購入して内食にするかで、毎回迷います。
他の肉料理でも、同じように迷います。
本日の夕食は、昨日買っておいたステーキ肉を焼いて食べましたが、実は我が家で肉料理を食べるのは、結構いろいろな手間がかかるのです。
肉料理を食べるのは私だけ
肉料理なんて、手の込んだビーフシチューやローストビーフを作るのでなければ、簡単に作れるレシピがたくさんあります。
家計的にも、肉の特売日にある程度買っておいて冷凍保存などしておけば、食べたいときに取り出して、さっと調理できます(解凍する時間が必要な時もありますが)
しかし、我が家の場合、母が肉全般食べることができません。
肉料理を作るとなると、私ひとり分だけ。
そして、母には別の料理を作る必要があります。
そう、私が家で肉料理を手作りする場合は、おかずを余計に1品作らなければならないのです。
おかず1品程度、そこまで手間じゃないし、ステーキなら焼くだけだから楽だろう、と誰しもが思うでしょう。
ところが、我が家の場合、物凄く気を遣いながら肉料理を作らなければいけないのです。
肉料理を我が家で作る場合
母が肉を食べられない理由は、アレルギーだとかドクターストップだとかは全く関係ありません。
あるトラウマがあって、食べられないのです。
このような表現だと、いろいろ想像させてしまうので、はっきり書きますが、母のトラウマは幼いときに肉の解体現場を見てしまったことです。
物心つく前だったら、記憶に残らなかったかもしれないのですが、ある程度大きくなってからの出来事だったので、それ以来食べられなくなってしまったとのこと。
そして、少しでも肉が入っていることがわかると、どんなに好きなメニューでも、食べることができなくなってしまいます。
日本は、肉エキスを使った食品が、割と多いですよね。
最近になって、やっとハラル料理などを意識した食品が出てくるようになりましたが、例えばカレーのルウなどは、ほとんどの商品に肉エキスが使われています。
母は、カレーは好きですが、肉エキス入りのルウは絶対に使えません。
ですから、一からルウを手作りするか、肉エキスを使用していないルウを探す必要があります。
ただ、今まで肉エキスが入っていなかった商品が、改良されて肉エキス入りになることがあるので、母のような人も、アレルギーの人も、宗教の関係で食べてはいけない人も、いきなり食べられなくなる食品って、意外と多いのです。
と、まあ、それはそれで、別の問題なのですが、我が家で母に肉料理や肉エキス入りの料理を食べさせないために、私は買い物の段階からかなり気を遣わなければなりません。
そして、調理するときも、かなりの気遣いが必要になるのです。
まず、肉を煮たり焼いたりしたナベやフライパンを、母が食べる料理に使いまわしたらダメです。
使う場合は、しっかり洗剤で洗ってからにするか、先に母のおかずを作る必要があります。
洗い物を少なくしたいので、母のおかずを作ってから肉料理を作るようにしていますが、本気で時短をするときは、ガスコンロは同時に2口使いますし、どちらかの料理をレンジで温めて、手抜き料理をするときもあります。
また、肉を扱っている最中に、母が食べる料理の材料を同じ調理台に置けません。
それを見られてしまったら最後、母はその料理には手を付けてくれなくなります。
そして、盛り付ける際の菜箸や杓子などの調理器具も、別々にしなければいけません。
料理の内容によっては、鍋やフライパンは2つ以上使う必要がありますし、箸や杓子も2倍必要です。
そして、そうなった場合は、洗い物も当然増えます。
もう、ここまで説明したら、どれだけ面倒かがお解りいただけたかと思います(苦笑)
肉を我慢する日々
調理行程や片付けのことを考えると、肉料理を諦める日も少なくありません。
しかし、どうしても肉料理が食べたい日もあります。
家計を優先させてしまうと自宅で作らなくてはなりませんが、調理から片付けまでの全工程を考えると、自分の負担が増えます。
自分の負担を減らしたいならば、デリカテッセンや肉がおかずの弁当を買いに行く必要があります。
外食でも負担は少なくなるのですが、母の料理を作ってから食べに行くことになるので、返って時間がかかりますし、お金もかかります。
このように、いつも肉料理が食べたくなったら、考えてしまうのです。
今回は、家で作るのか、調理済みのモノを買ってくるのか、外食するのか。
そして、考えることそのものに疲れて、最終的には肉を我慢して、母と同じモノを食べることに落ち着く日がほとんどです。
肉を食べずとも、死にはしませんし健康のことを考えると、食べる回数は少なくてもいいと思うのですが、好きなのでどうしても食べたくなってしまうのです。
いっそ、肉が食べたくなる欲が無くなってしまえば楽なのに、とさえ思います。
肉料理を自宅で作るのはやめることにする
実は、本日肉を焼いて後片付けをするまでの間、本気で疲れている自分に気が付きまして、もしかしたら、自宅で肉料理を作るのはストレスになっているのでは?と考えました。
そして、今後は肉料理を自宅で作ることをやめようと、本気で考えています。
そんな、大したことでもないのに、決意表明のようなことを言う自分もどうかと思いますが、小さな負担や不満は、思い切って取り除いた方が楽しいと思うのですよね。
たかが肉料理ですが、ストレスを感じながら自宅で調理していたら、たぶん出来上がった料理も美味しくないでしょうから、美味しくいただくためにも肉料理は、調理済みのデリカテッセンや、肉が入ったお弁当か、外食で徹底してみます。
ただ、私の好きな牛肉料理は、近所のスーパーのデリカテッセンコーナーでは売られていないのですよね。
牛肉弁当は見かけますが、牛肉のデリカテッセンは、ローストビーフの薄切りくらいしか見かけません。
あとは、牛肉巻きおにぎりくらいです。
豚や鶏を使ったデリカテッセンは、たくさんあるのに、どうして牛肉は少ないのでしょうね。
脂が凝固しやすいからでしょうか?
理由は何にせよ、デリカテッセンで牛肉を食べるのは、結構ハードルが高いです。
肉料理で自分の暮らしも見えてきた
肉料理を手作りする際に、調理器具が増えて、洗い物も増える、と言いましたが、工夫次第では調理器具も洗い物も少なくて済むはずです。
なのに、そのアイデアが浮かばないのは、もしかしたら調理器具の数が多いからなのかもしれません。
また、食器もまだまだ多いのでしょう。
私と母のおかずを別々に作る際に、いくつもの調理器具を使ってしまうのは、そういうことなのかな、と。
もし、食器の数もギリギリで、調理器具も最小限しかなかったら、もっと効率の良い調理方法を工夫すると思うのですが、今の私は調理器具が余っている状態なので、つい余っている調理器具に頼ってしまう傾向があるのでしょうね。
作ろうとしている料理も、もっと他に思いつくものがあるはずなのに、考える努力をしないのは、おそらく調理器具を見て作れる料理を考えているからだと思います。
これは、調理器具の間引きをするべきときが来た合図かもしれませんね。
調理に限らず、実はモノに頼って余計なことをするときは、割とあります。
クリアファイルは、書類を汚さず、かつ見やすく保管するのに適していますが、実はクリアファイルには入れない方が保管しやすい書類も存在します。
バスマットは、専用のモノを買わなくても、ヘタってきたバスタオルで代用できます。
飲み物は、マグカップひとつあれば、冷たい飲み物も熱い飲み物も入れられます。
丼飯は、少し深さがあるお皿に盛りつけても、何の問題もありません。
本当は、ひとつで何通りも使えるアイテムはあるのに、シーンに合わせてモノを選ぶことができるのは、アイテム数が多いからですよね。
しかし、たくさんのアイテムをシーンごとや目的ごとに、あるいは自分の自己満足に使用してしたら、いつまでもアイテムが減ることはないし、うっかりすると増やしてしまいます。
モノが多いということは、ひと手間ふた手間を増やすことにも直結しているのだということを、今回改めて感じたような気がしましたし、それがストレスとして表に出てしまった気がします。
モノを減らしたつもりでも、まだまだ、私の周りにあるモノは多すぎるのかもしれません。
たった1枚のステーキを焼いただけだったのですが、食べて気分を上げるはずが、逆に下がってしまったので、味をよく覚えていません(苦笑)
もっと、不要品を減らして、もう少し自分が暮らしやすい環境に近づいたら、ステーキも美味しく食べられるのかな。
環境ってとても大切な要素だなと、しみじみ思います。