女子サッカー日本代表チームと、ウクライナ代表チームとの親善試合が行われました。
テレビ中継番組のタイトルは
「国際親善試合 なでしこジャパン✕ウクライナ」
私、実はこの「なでしこ」という女子サッカー日本代表チームの愛称に対して、ずっとモヤモヤしているのです。
根本的な疑問です
日本代表チームに、わざわざ愛称をつける必要性ってあるのですか?
というところから、少々モヤモヤしています。
同じく、男子プロスポーツの日本代表を「サムライジャパン」と呼ぶことにも、少し抵抗があったりします。
おそらく「日本」という国をひとことでわかりやすく表現し、海外でも馴染みやすく日本語圏外の人々が言いやすいということから、海外で日本男性の代名詞的に使われる「サムライ」を使い始めたことが、女子チーム日本代表の「なでしこ」という愛称に繋がっているのだろうと思いますが、普通に「日本代表」だけでいいような気がしますし、マスコミ関連や中継するテレビやラジオは愛称が決まっていない他国の呼び方と合わせて「日本代表」か「ジャパン」という言葉を使えばいいのに、とモヤモヤしている次第です。
私個人としては、ファンや観戦している人が自然に「なでしこ」といい始めたのなら、おそらく気にしなかったと思うのですが(プロスポーツチームのファンは、応援しているチームに愛称をつけて呼んでいる人も多いので)、公共の電波を使ってアナウンサーやナビゲーターが正式名称であるかのように「なでしこ」「サムライ」を使っていることに、少し違和感があります。
「なでしこ」の意味
違和感の正体のひとつは、「なでしこ」が意味することです。
令和となった今では、若い人たちはおそらく「なでしこ」といえば日本代表の女子チームと認識しているかもしれません。
しかし、もともとは「大和なでしこ」の意味で(確か日本代表チームの愛称を決めるときも、この言葉から「なでしこ」になったはずで植物のナデシコからではなかったと記憶しています)美しい容姿や所作や気配りを兼ね備えている日本女性の理想像のことを指しています。
植物の「ヤマトナデシコ」のビジュアルが可憐で美しい様子から、女性の理想的なあり方として例えられるようになったようですね。
でもね、問題はこの女性の理想像としての「大和なでしこ」って、誰の理想像だと思いますか?
昔からある価値観という点からも想像できると思うのですが、これは男性が女性に求めている理想像なのですよね。
現代では、例えば茶道や華道、日本舞踊や日本古来の楽器を演奏するような伝統芸能などで、師範が女性の弟子に求める理想像でもあるのですが、それも元をただせば「男性に嫁ぐ女性の理想的なありかた」を育んでいた背景がありましたから、そもそもは「男性が気に入る女性像」ということになると思うのです。
あ、私の考えが古いですか?
だったらいいのですが、実際はどうなのでしょう?
そういえば「東洋の魔女」なんてニックネームもあったな
ふと思い出しましたが、私が幼い頃の女子バレーボール日本代表がとても強くて、いつの間にやら「東洋の魔女」と称されるようになっていました(中継アナウンサーが付けたのでしたっけ?)
「魔女」が表現しているのは、おそらく「モンスター級の強さ」だと解釈しているのですが、それにしても「魔女」って普通は絶対に誉め言葉じゃないのに、一周回って強さの象徴として定着しました。
こういう、自然に発生した愛称であれば、私もすんなり受け入れられたと思うのですが「なでしこ」に関しては、わざわざ募集して決定した愛称なので、はたしてそのネーミングを考えた人と選んだ人たちが、同じ思いだったかどうかは甚だ疑問ですし、申し訳ないですが言葉の中に「女性としての強さと同時に、可憐さ、しとやかさ、健気さも兼ね備えてこその女子日本代表」みたいなニュアンスが感じられて、余計なお世話だろう、と思ってしまうひねくれ者の私です(苦笑)
ただ単に「理想のトップ選手=代表」という部分だけを切り取って使っているならいいのですが、絶対にそうではない感じがあるので、私は女子日本代表を「なでしこ」と呼ぶことには、とても抵抗があります。
トップアスリートは競技者たちの理想です
体力や今までのスポーツの歴史から鑑みて、男性と女性を分けてチームを作ることは致し方がないとして、どうも日本は女性チームや選手をプロとしてではなく「スポーツの才能が抜きんでている女性タレント」的に扱っているように思えて、仕方がありません。
これは、主にマスコミの姿勢にもあるのですが、特に民放のバラエティ番組でそういう扱い方をしているときに、腹立たしさを感じます。
トップアスリートとして出演をオファーしているのであれば、競技や技術のことをもっと深掘りしてほしいと思うのに、プライベートではどんな生活をしているのか、彼氏はいるのか、結婚していれば家庭ではどんな妻なのか母なのか、そんなことばかりがクローズアップされて、結構イライラするのですよね。
しかしながら番組側としては、トップアスリートであり、家庭では理想的な女性(であるかもしれない)という部分を明らかにしたい意図があり、競技とは直接関係のないことを深掘りしているのだろうと思うと「あなた方(テレビ番組製作側の男性たち)の理想の女性かどうかを検証しているだけだろう」と、これまたひねくれた考えが過ってしまう私です(苦笑)
女性であれ、男性であれ、トップアスリートは主に競技者が理想とする人々です。
もちろん、内面的な部分や人間性も重要ですから、ある意味「なでしこ」も「サムライ」も共通する部分はありますが、それぞれ「異性の理想像」ではないのですよ。
いうなれば、人としての理想像となっているのであって、異性としての理想像では決してないのですから、もう少しテレビ番組やマスコミ関連の取材の在り方を、どうにかしてほしいと思ってしまいます。
詳しくないけどジェンダーレスの視点ではギリギリアウトな気がする
「なでしこ」も「サムライ」も、ジェンダーレスの視点に立つとどちらも表現としては間違っているような気がするのですが、思い過ごしですか?
よくわからないのですが、最近ふとした表現に「性別で差別している」となるのに、表現する側がいい意味で使っているとなると、そういう声は上がらない風潮がありますよね?
でも、私からしたら例え誉め言葉で使っているとしても「なでしこ」はないわ、と思いますし、そもそも私が「あなたは大和なでしこね」といわれても、少しも嬉しくないので、やはり女性の代表チームを表す愛称としては、なにかが違うような気がしてなりません。
(同じように「サムライ」もなにか違うと思っています)
私がこのように思うのには、アスリートの中にはLGBTの方も少なからず存在していて、その方たちが言葉の呪縛にかかっていやしないか、と思ったからです。
女子チームで活躍していても、もしかしたらその方は自分の性別に違和感を抱いているかもしれないし、女性としての理想を押し付けられることを嫌っている人もいるかもしれません。
また、プロスポーツのファンには年配の方々も多くいらっしゃって、まさに「なでしこ」は女性の理想像という刷り込みをされてきた年代でもありますから、時代が変わって理想像が変化してきていたとしても、漠然とした理想像に追い詰められてしまうアスリートもいるのではないかと思うと、わざわざ代表チームに愛称をつけたり、募集したりする意義はあるのだろうか、とも思います。
愛称をつけようとした人たちは、そこまで考えてはいないでしょうし、子どもから年配の方たちまでに受け入れられて、言いやすく親しみやすい愛称を付けることでチームに注目してほしいという意図があったのだと思いますが、「東洋の魔女」のように幅広く国民に知ってもらう条件として、強さや技術力の高さを世界に見せつけられるチームや選手であれば、自然と愛称は付くわけですから、わざわざ愛称を募集した時点で誰かの思惑が絡んでいるのではないかと、愛称が決まった当初は勘ぐっていましたね。
なにかと「なでしこ」が冠される
例えば、日本代表を務めた選手がテレビのバラエティー番組などに出演すると、新聞のラテ欄や番組CMなどに、必ずといっていいほど「なでしこ」が冠されます。
正直、うっとおしい(笑)
まあ、ご本人がどう感じているかは、ここではスルーします。
私が、うっとおしいと感じています(笑)
ひらがな4文字で、ラテ欄に収めやすい字数ということは理解できますが、それにしても多すぎる。
「日本代表」も4文字なのだから、そちらを積極的に使えと思ってしまいます。
これもね、字と言葉に込められた意味が関わっているのだろうと思います。
「日本代表」だと誇らしい気持ちになれますし、リスペクトの気持ちも湧きやすいですし、なによりその選手のプレーに関わる何かを放送してくれるのではないかと、番組への期待も膨らみます。
しかし「なでしこ」だと、バラエティ感が強い気がすることと、そもそもの「なでしこ」の意味からすると、スポーツ女子チームの日本代表だけが「なでしこ」ではなかろう、と思ってしまうことと、なにより「なでしこ」が冠される人物ってどんな人物だよ、となってしまうわけですよ、50代のおばさんは(苦笑)
あ、でも私のように言葉にこだわっている人は少ないと思うので、少数派意見として受け止めてくださいね。
あと、これは本当に私の偏見ですが、女子プロスポーツ選手の中には「なでしこ」には程遠い方もおられますよね?
それも「なでしこ」なのかと思うと、そもそもチーム全体を「なでしこ」と称する必要、ある?となってしまいます。
要するに私がひねくれた考え方をしているだけなのかもしれませんが、本日行われた女子サッカー日本代表とウクライナの親善試合のタイトルを見て、この気持ちを吐き出さずにはいられませんでした(苦笑)
まとまりのない内容で、本日はお届けしました(苦笑)
まあ、気にする方がどうかしている、と感じた方は最後までお読みになられていないと思いますが、このように私が感じてしまうバックグラウンドには、子どものころから周りの大人たちが「女の子だからこうしなさい」「女の子はこれをしてはいけません」と言われるたびに「好きで女の子に生まれたわけではないのに」という感情が湧いていたからだと思います。
たしかに、女子スポーツの代表ではあるけれど、わざわざ女性を表す(しかも理想像)愛称を付ける必要性があったのかどうかは、いまだに違う気がしてならないのでした。
テレビ中継番組のタイトルは
「国際親善試合 なでしこジャパン✕ウクライナ」
私、実はこの「なでしこ」という女子サッカー日本代表チームの愛称に対して、ずっとモヤモヤしているのです。
根本的な疑問です
日本代表チームに、わざわざ愛称をつける必要性ってあるのですか?
というところから、少々モヤモヤしています。
同じく、男子プロスポーツの日本代表を「サムライジャパン」と呼ぶことにも、少し抵抗があったりします。
おそらく「日本」という国をひとことでわかりやすく表現し、海外でも馴染みやすく日本語圏外の人々が言いやすいということから、海外で日本男性の代名詞的に使われる「サムライ」を使い始めたことが、女子チーム日本代表の「なでしこ」という愛称に繋がっているのだろうと思いますが、普通に「日本代表」だけでいいような気がしますし、マスコミ関連や中継するテレビやラジオは愛称が決まっていない他国の呼び方と合わせて「日本代表」か「ジャパン」という言葉を使えばいいのに、とモヤモヤしている次第です。
私個人としては、ファンや観戦している人が自然に「なでしこ」といい始めたのなら、おそらく気にしなかったと思うのですが(プロスポーツチームのファンは、応援しているチームに愛称をつけて呼んでいる人も多いので)、公共の電波を使ってアナウンサーやナビゲーターが正式名称であるかのように「なでしこ」「サムライ」を使っていることに、少し違和感があります。
「なでしこ」の意味
違和感の正体のひとつは、「なでしこ」が意味することです。
令和となった今では、若い人たちはおそらく「なでしこ」といえば日本代表の女子チームと認識しているかもしれません。
しかし、もともとは「大和なでしこ」の意味で(確か日本代表チームの愛称を決めるときも、この言葉から「なでしこ」になったはずで植物のナデシコからではなかったと記憶しています)美しい容姿や所作や気配りを兼ね備えている日本女性の理想像のことを指しています。
植物の「ヤマトナデシコ」のビジュアルが可憐で美しい様子から、女性の理想的なあり方として例えられるようになったようですね。
でもね、問題はこの女性の理想像としての「大和なでしこ」って、誰の理想像だと思いますか?
昔からある価値観という点からも想像できると思うのですが、これは男性が女性に求めている理想像なのですよね。
現代では、例えば茶道や華道、日本舞踊や日本古来の楽器を演奏するような伝統芸能などで、師範が女性の弟子に求める理想像でもあるのですが、それも元をただせば「男性に嫁ぐ女性の理想的なありかた」を育んでいた背景がありましたから、そもそもは「男性が気に入る女性像」ということになると思うのです。
あ、私の考えが古いですか?
だったらいいのですが、実際はどうなのでしょう?
そういえば「東洋の魔女」なんてニックネームもあったな
ふと思い出しましたが、私が幼い頃の女子バレーボール日本代表がとても強くて、いつの間にやら「東洋の魔女」と称されるようになっていました(中継アナウンサーが付けたのでしたっけ?)
「魔女」が表現しているのは、おそらく「モンスター級の強さ」だと解釈しているのですが、それにしても「魔女」って普通は絶対に誉め言葉じゃないのに、一周回って強さの象徴として定着しました。
こういう、自然に発生した愛称であれば、私もすんなり受け入れられたと思うのですが「なでしこ」に関しては、わざわざ募集して決定した愛称なので、はたしてそのネーミングを考えた人と選んだ人たちが、同じ思いだったかどうかは甚だ疑問ですし、申し訳ないですが言葉の中に「女性としての強さと同時に、可憐さ、しとやかさ、健気さも兼ね備えてこその女子日本代表」みたいなニュアンスが感じられて、余計なお世話だろう、と思ってしまうひねくれ者の私です(苦笑)
ただ単に「理想のトップ選手=代表」という部分だけを切り取って使っているならいいのですが、絶対にそうではない感じがあるので、私は女子日本代表を「なでしこ」と呼ぶことには、とても抵抗があります。
トップアスリートは競技者たちの理想です
体力や今までのスポーツの歴史から鑑みて、男性と女性を分けてチームを作ることは致し方がないとして、どうも日本は女性チームや選手をプロとしてではなく「スポーツの才能が抜きんでている女性タレント」的に扱っているように思えて、仕方がありません。
これは、主にマスコミの姿勢にもあるのですが、特に民放のバラエティ番組でそういう扱い方をしているときに、腹立たしさを感じます。
トップアスリートとして出演をオファーしているのであれば、競技や技術のことをもっと深掘りしてほしいと思うのに、プライベートではどんな生活をしているのか、彼氏はいるのか、結婚していれば家庭ではどんな妻なのか母なのか、そんなことばかりがクローズアップされて、結構イライラするのですよね。
しかしながら番組側としては、トップアスリートであり、家庭では理想的な女性(であるかもしれない)という部分を明らかにしたい意図があり、競技とは直接関係のないことを深掘りしているのだろうと思うと「あなた方(テレビ番組製作側の男性たち)の理想の女性かどうかを検証しているだけだろう」と、これまたひねくれた考えが過ってしまう私です(苦笑)
女性であれ、男性であれ、トップアスリートは主に競技者が理想とする人々です。
もちろん、内面的な部分や人間性も重要ですから、ある意味「なでしこ」も「サムライ」も共通する部分はありますが、それぞれ「異性の理想像」ではないのですよ。
いうなれば、人としての理想像となっているのであって、異性としての理想像では決してないのですから、もう少しテレビ番組やマスコミ関連の取材の在り方を、どうにかしてほしいと思ってしまいます。
詳しくないけどジェンダーレスの視点ではギリギリアウトな気がする
「なでしこ」も「サムライ」も、ジェンダーレスの視点に立つとどちらも表現としては間違っているような気がするのですが、思い過ごしですか?
よくわからないのですが、最近ふとした表現に「性別で差別している」となるのに、表現する側がいい意味で使っているとなると、そういう声は上がらない風潮がありますよね?
でも、私からしたら例え誉め言葉で使っているとしても「なでしこ」はないわ、と思いますし、そもそも私が「あなたは大和なでしこね」といわれても、少しも嬉しくないので、やはり女性の代表チームを表す愛称としては、なにかが違うような気がしてなりません。
(同じように「サムライ」もなにか違うと思っています)
私がこのように思うのには、アスリートの中にはLGBTの方も少なからず存在していて、その方たちが言葉の呪縛にかかっていやしないか、と思ったからです。
女子チームで活躍していても、もしかしたらその方は自分の性別に違和感を抱いているかもしれないし、女性としての理想を押し付けられることを嫌っている人もいるかもしれません。
また、プロスポーツのファンには年配の方々も多くいらっしゃって、まさに「なでしこ」は女性の理想像という刷り込みをされてきた年代でもありますから、時代が変わって理想像が変化してきていたとしても、漠然とした理想像に追い詰められてしまうアスリートもいるのではないかと思うと、わざわざ代表チームに愛称をつけたり、募集したりする意義はあるのだろうか、とも思います。
愛称をつけようとした人たちは、そこまで考えてはいないでしょうし、子どもから年配の方たちまでに受け入れられて、言いやすく親しみやすい愛称を付けることでチームに注目してほしいという意図があったのだと思いますが、「東洋の魔女」のように幅広く国民に知ってもらう条件として、強さや技術力の高さを世界に見せつけられるチームや選手であれば、自然と愛称は付くわけですから、わざわざ愛称を募集した時点で誰かの思惑が絡んでいるのではないかと、愛称が決まった当初は勘ぐっていましたね。
なにかと「なでしこ」が冠される
例えば、日本代表を務めた選手がテレビのバラエティー番組などに出演すると、新聞のラテ欄や番組CMなどに、必ずといっていいほど「なでしこ」が冠されます。
正直、うっとおしい(笑)
まあ、ご本人がどう感じているかは、ここではスルーします。
私が、うっとおしいと感じています(笑)
ひらがな4文字で、ラテ欄に収めやすい字数ということは理解できますが、それにしても多すぎる。
「日本代表」も4文字なのだから、そちらを積極的に使えと思ってしまいます。
これもね、字と言葉に込められた意味が関わっているのだろうと思います。
「日本代表」だと誇らしい気持ちになれますし、リスペクトの気持ちも湧きやすいですし、なによりその選手のプレーに関わる何かを放送してくれるのではないかと、番組への期待も膨らみます。
しかし「なでしこ」だと、バラエティ感が強い気がすることと、そもそもの「なでしこ」の意味からすると、スポーツ女子チームの日本代表だけが「なでしこ」ではなかろう、と思ってしまうことと、なにより「なでしこ」が冠される人物ってどんな人物だよ、となってしまうわけですよ、50代のおばさんは(苦笑)
あ、でも私のように言葉にこだわっている人は少ないと思うので、少数派意見として受け止めてくださいね。
あと、これは本当に私の偏見ですが、女子プロスポーツ選手の中には「なでしこ」には程遠い方もおられますよね?
それも「なでしこ」なのかと思うと、そもそもチーム全体を「なでしこ」と称する必要、ある?となってしまいます。
要するに私がひねくれた考え方をしているだけなのかもしれませんが、本日行われた女子サッカー日本代表とウクライナの親善試合のタイトルを見て、この気持ちを吐き出さずにはいられませんでした(苦笑)
まとまりのない内容で、本日はお届けしました(苦笑)
まあ、気にする方がどうかしている、と感じた方は最後までお読みになられていないと思いますが、このように私が感じてしまうバックグラウンドには、子どものころから周りの大人たちが「女の子だからこうしなさい」「女の子はこれをしてはいけません」と言われるたびに「好きで女の子に生まれたわけではないのに」という感情が湧いていたからだと思います。
たしかに、女子スポーツの代表ではあるけれど、わざわざ女性を表す(しかも理想像)愛称を付ける必要性があったのかどうかは、いまだに違う気がしてならないのでした。