馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

超意訳:南総里見八犬伝【第十三回 文を残して因果を自ら訴える/雲霧を払って、妖魔初めて止む】

2024-08-10 01:19:49 | 南総里見八犬伝

 長く暗い無明の眠りから、伏姫は覚めた。

 昨日、童子から思いがけずも話を聞かされたが、あれは夢ではなかったのか。童子の言葉の怪しさを疑う間もなく、思い出すと涙の雨にあふれるのだった。
 袖だけではなく、はらわたを絞る様に泣き、むせかえり、嘆き、そして沈んだ。しかし心映えは人並み以上で、日頃から雄々しい伏姫ではあったが、騒ぐ胸を押し鎮めて、顔に掛かる黒髪を掻き揚げて眼を拭った。

「情けない、前世の罪の軽重は分からないけれども、とうとうこの身に報いが来て、ここまで思い悩ませる恨みの執念の深さが怖い。親の上に降り掛かるはずだった祟りを負った、と聞かされては、この世は、そして来世まで奈落の底に沈もうとも、悔しくはない。ただ恥ずかしく、悲しいのは、親のため、人のため、邪まな心など持ってもいないのに、どうして犬畜生の気を受けて八つの子を身に宿しなくてはならなかったのか」

 姫は嘆いた。

「そもそもこの山に入った日から、お釈迦様が入滅なさった林に分け入り、お釈迦様が法華経を説いたという霊鷲山を仰ぎ、不退転の決意で読経の他は何も考えずに生きてきた。なのに仏もお救い下さらない、神さえお助け下さらない。身籠ったのが本当ならば寝所を別にしていても、それを証明する証はない。私だけではなく親の恥、九世輪廻転生をしたとしても、遂に潔白を示すことはできずに、ただ犬畜生の妻と言われ続けるだろう。生きてこの恥辱、死んでからの恨み、例えられるものがない。こうなるとは、露ばかりとも思わなかった」
 苦悩して、惑うのである。
「滝田にいた時に犬を殺して、私も自決しなかったことが悔やまれる。死すべき時がありながら、死に遅れたのも前世の罪の罰か。仏の教えにある善巧方便、臨機応変に手だてを講じて人を導くことと教えにある通り、因果応報というにもあまりな所業。子供が生まれるからと言って、父母や実家の幸福だとしても、犬の子供の出産では恥にしかならない、悲しいことに」
 と声を立てて、傍らに人がいるかの様に呟いた。賢しい心は乱れつつ思い悩んで、すすきの野原の下に横になるのだった。

 秋の日陰は心地良かった。昼間には暑さの名残りがあって、岸で水浴びをしていた鴉が山の頂近くで鳴き、伏姫は寝そべったままきっと仰ぎ見た。

 私以外に人間は誰もいない、この地は真に畜生道、この身を引き裂く剣の山道に追い立てられて登らされる阿鼻地獄、来世もきっと思いやられるだろう。

「それにしても、あの童は不思議な子だった。私の過去と未来を隅々まで知っていた。天眼通の予知能力で見ていたかの様だった。それだけではなく、話し方もさわやかで、山を走る川の流れよりも澱みがなく、吉兆を見通す力が明白だった。昔の陰陽師や俯せの巫女であっても童子にはかなわないだろう。あの童子は神のような力を持っているとでも言うだろうか」
 
 元よりこの安房には、年齢数百歳になるという医師がいるとは知らなったので、仕える童子もいるとは思わなかった。
 或いはあの童子は嘘を言っており、単なる薬師の弟子に過ぎず、薬草採取を仕事にしている者なのかもしれない。住んでいるところも定まっておらず、この山の麓に住んでいると言い、或いは洲崎にもいると言う。あの言葉から考えると、これはまた役行者の奇跡なのであろうか。

 そういえば昔もこんなことがあった。幼い時のことで詳しくは覚えていないけれども、入手した数珠はいつも身から離さず、祈りと読経を怠らずに過ごしていたので、再び奇跡を見せてくれたのだろうか。しかし遂に逃れられない因果応報には、神と仏もなすすべがない。
 私の様な凡人の悲しさは、境地を悟ることがなかなかできず、迷いやすいということだ。
 私のお腹にいるという八子は、形を作らないでここに生まれ、生まれた後にまた生まれる、とはどういうことなのだろう。
 また子を産む時に親に会い、夫に会うとは、更に訳が分からない。かりそめにも許婚の相手はいないのだ。このことだけは当たっていないが、もし父上がはるばる会いに来て下さるというのなら、合わせる顔がない。身重になったことを家族に知られて恥ずかしい思いをするより、流れる水に身を投げて亡骸も分からない様にしてしまえば、死に恥も隠せるはずだ。ああ

 姫は自問自答し、ようやく決心した。折り敷いた草に膝を突き立てて身を起こし、水際に立ち、
「しかしこのまま川に身を投げてしまえば、川の向こう岸にまで侍女たちを遣わしてくれた母上の慈悲を知らなかったことが罪に等しくなってしまう。一筆残しておけば、因果応報と諦めてくださるだろう、読む人がいなければ私の文も朽ちてしまうだろうが、それでも構わない。文を書く間、命を少しだけ伸ばしておこう」
 と独り言を言い、折って捨てた花をすくい上げたが、ほろほろと落ちていく。
 散り際を決めた伏姫は、心も足も弱々しく、元の洞に入っていった。

 そのころ八房は、自然薯の山芋や枝つきの木の実など咥えて持ち帰り、姫の帰還を待っていた。
 姫の帰りを見て一反(約12メートル50センチ)あまり走って出てきた。その長い袂にまつわりついて、後につき、前に立ち、尾を振って鼻を鳴らすのである。
 姫を迎え入れて、採ってきた食べ物を勧めるが、当の伏姫は八房を見るのも嫌で疎ましく、言葉を掛けたりもしない。石室の端に座って、硯で墨をすりながら残り少なくなった紙のしわを引き延ばして、自らの身の上から役行者の顕現まで言葉短く道理をつくして一生懸命書くのだった。

 折しも、水の音が轟き、古代中国の楚の詩人、屈原の亡国の恨みを思わせた。松の木は、山の上で詩を吟じた我が国の有間皇子の無常の死を示すのである。
 有間皇子は、斉明天皇と中大兄皇子こと後の天智天皇に対し謀反を謀ったとされ、絞首刑に処せされている。その時の辞世の歌が、

 磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む

「古から今の世まで、賢い者も愚かなる者も、正直な者も性根の曲がった者も、不幸にも屍を道や溝にさらされることがあるだろう。妻や子に至っては数え切れずさらしていることだろう。いろいろあるが、我が身は一つ、滅多にない理由で、骸も残さず死んだ、と聞けば、母上がお聞きになれば、そのまま母も息絶えておしまいになるかもしれない。そこまでいかずとも、愛娘を喪うという限りのない悲しみを、母に余計に与えてしまうかもしれず、それはまた不孝の罪であり、あがなう時はない。何度も死んでしまおうと思ったが、諦められないのがただ父母の恩愛の絆。どうかお許し下さい」
 と言えば、涙があふれ、遂には雫が川になるまでになった。深い思いを筆に言わせて記し、文を読み返し、文を巻きながらため息を吐いた。
 阿弥陀如来のお力を借りなければ、煩悩の手綱を断つことができはしない。冥土への旅の門出には、念仏の他にはないと思い返して、手折った菊の花に清水を注ぎ、仏に手向けようとした。
 そして襟に掛けた数珠を取って、押し揉もうとするといつもの音がしない。不思議に思って数珠を見返すと、如是畜生発菩提心の八文字は跡もなく、いつの間にか仁義礼智忠信孝悌に変わっており、その字は鮮やかに読むことができた。
 伏姫は奇跡を見ても尚疑いを解くこともなく、考え込んだ。

 この数珠には、始め仁義礼智忠信孝悌の文字があった。八房に伴われてこの山に入った頃、如是畜生発菩提心の八文字になり、文字通り八房もまたここに仏道に帰依した様である。しかしまた文字は変わり、元の様に人道八行たる仁義礼智忠信孝悌を示している。神仏のお導きは、自分の様な凡人には測りがたいのだ。あさはかな女の知恵で何と断じてわきまえてはいけないのだ。
 思うに私は犬の気を受けてただならぬ身となってしまい、遂に非業の死を迎えることは、畜生道の苦難の様だ。しかし仏法の功力にて、犬の八房さえ菩提に入った。来世は仁義八行の人間道に生まれることをここに示してくれたのだろうか。そうでなければ八房をも、我が手で殺してしまえば畜生の苦しみを取り除く手立てになる。
 いやそれは仁の道ではない。
 八房は、主人のため大敵である安西景連を滅ぼしたのだ。考えてみれば、これはこよなく忠の行為である。またこの山に入った私を去年から飢えない様にしてくれている。私を養ってくれた恩もある。来世、人と生まれて富豪の家の子になっても、忠を示して恩義がある者を、今無情にも刃で死に導くなど、忍びないことだ。
 今までの事情をありのままに話して、生死は八房自身に任せよう。
 
 そう思った伏姫は数珠を左手に掛けて、前足を突き立ててこちらを眺める犬に向かって、
「八房よ、私の言うことを良く聞きなさい」
 と呼び掛けた。
「この世に不幸な者が二人いる。一方幸福な者が二人いる。私とお前だ。私は安房国主の娘だが義を重んじた故に犬畜生に伴われることになった。これが私の身の不幸だ。しかし穢さず、犯されず、思いも掛けず世を逃れて、自得せねばならないところに仏のお導きを乞えば、遂には念願成就して、今日極楽浄土への往生の願いを遂げようと思う。これがこの身の幸福だ。またお前は犬畜生ではあるが、敵を倒した大功によって国主の娘を得た。人間と畜生の道は異なりお前の欲望は果たされることはないが、その耳に仏法の尊きを聞いて、遂には菩提の心を起こした。これがお前の幸福なのだ」
 伏姫は犬に言い聞かせる。

 しかし現世では命も形も変える方法がないので、四つ足の獣の苦しみから逃れられない。
 生きていてはそれ以上賢くなることもなく、死んでしまえば獣としてただその皮を剥がされるかもしれない。
 これはお前の不幸なのだ。
 八房が生まれて七八年、普通の犬や馬と比べればその命は短いとは言えない。
 いたずらに生を貪り、私が死んだ後に人里に戻れば、人々に疎まれ、嫌われ、鞭で打たれて、皆の呵責はたちまちお前の身に及ぶだろう。
 またこの山に留まるとしても、明日から誰がお前のために経を読むというのか。読経が耳に入らなくなれば、菩提の心を遂には失うかもしれない。

 もしかすると、生を終えて死を受け入れて、人間としての道を乞い願うなら、来世には人に生まれ変われるかもしれない。この道理を良く知ったのであれば、同じ流れに身を投げて共に彼岸に至るとしよう。しかし焦ることはない。私も浮世との別れが名残惜しい。

 まずお経を読んでから、心静かにあの世へ行くとしましょう。お前も良く経を聞いて、終わろうとする時に起き上がって水辺に赴きなさい。
 不覚にも命が惜しくなったのであれば、野原なり人里なり好きなところに行って老いて死ぬが良い。人道としての因果を得ることはできないけれど、その点は良く考えなさい。

 八房は伏姫の説教を聞きながら、頭を低くし憂いる様に、また尻尾を振って喜んでいるかの様に、そして感涙の涙を流している様にも見えた。
 伏姫は犬の有様をつくづく見て、八房が本当にある種の境地に達していると考えた。里見家を恨むものの化身であろうとも、すでに悟りを得たからには、弟の義成の子孫の代まで決して祟ったりしないだろうと。
 安心して、遺書と法華経の中の提婆達多品(だいばだったぼん)の一巻を手に取って、洞から少し出て、読経した。終わると遺書をお経に巻き、この石室に残すつもりで平らな石を机にして座り込み、遺書と経を額に押し当てて、しばらくの間念を込めた。
 また経を読むと、八房は耳をそばだてて一生懸命に聞くのである。その姿はどこか切なかった。

 そもそも提婆達多品は、妙法蓮華経の五巻にある。
 八大龍王の一人、娑竭羅龍王(しゃからりゅうおう)の娘が八歳にして賢くも聡明であり、深く禅定に入って仏門を悟り、菩提を得た話を記した経文なのだ。
 婦人には穢れがあり、元から仏道を極めることができない。またその身に五つのさわりがあるために悟りを得ることが難しいのだ。
 しかしこの八歳龍女は、幼いながらも完全なる悟りを得た。これは悟りを得た最初の女性なのである。

 伏姫はその最期に至って、自分のため、また犬のために提婆品の経を読んだ。今を限りと、声高く澄み渡り、流れる様に読む。蓮の糸を引くように極楽往生の縁を結ぶ様に。泉が走る様に美しく。
 山の峰を渡る松風は読経を助け、谷の木霊もそれに応じた。昔の僧は石を聴衆として、経を聞かせたと言う。伏姫は素晴らしい菩提心を持っていた。

 読経もそろそろ終わるころ、
「三千衆生発菩提心、而得受記、智積菩薩及舎利佛、一切衆生、黙然信受」(三千の衆生菩提心を発して授記を得たり、智積菩薩及び舎利弗、一切の衆会黙然として信受す)
 と読んでいると、八房がいきなり身を起こして、伏姫を振り返って見つめた。

 

【妙教の功徳、煩悩の雲霧を披く】

お、役の行者小角、神変大菩薩様と悪霊玉梓が並んでますよ。

 

 そして水際を指して歩くうちに、向かい側の岸から鉄砲の音が高く響いた。
 飛来した二つの弾の一つに八房は咽喉を撃ち抜かれて、煙の中にはたと倒れ込んだ。
 もう一つの弾は伏姫の右の胸を撃ち、あっと一声叫んで、経典を手に持ったまま、姫は横に転ぶのだった。

 昨年あたりから川より向うは靄が深く、晴れ間もなかったが、今の鉄砲の音とともに霧は晴れ渡って行った。その中から若い一人の狩人が柿色に染めた脚絆と甲掛けを身に着け、むしろで織った頭巾の緒を緩めながら、右手に鉄砲を持って現れた。
 狩人は向かいの岸に立ち、流れる水をきっと見て、浅瀬の見当をつけており、やがて岸から渡り出した。鉄砲は肩に掛けて、こちらを目指して歩くのである。
 川の流れは速かったが、思ったよりも底が浅く水は腿よりも低かったので、若者の狩人はますます勇んでいる。その勢いは猛虎が虎の子を背負っている様に、酔った象が牝の象を追っているかの様に、力強く足を踏み進めて、川幅十丈(約30メートル)あまりある流れを渡って、あっという間に岸に上がった。
 そして鉄砲を振り上げて、倒れた八房を五六十度も叩いた。骨を砕き皮は破れ、もう甦りそうもないのを見てから、若き狩人はにっこりと笑って、鉄砲を投げ捨てた。
 では姫上を、と石室の近くに進んだが、見ればまた伏姫も倒れており、息も絶え絶えだ。驚いて慌てて抱き起してみた。
 傷口を見ると、幸いなことに浅い様だ。狼狽して懐から薬を取り出して、姫の口に注ぎ入れ、しきりと名を呼び続けるが、手首の脈は絶えようとしており、全身は氷の様に冷たい。もし三国時代の名医華佗元化の医術を持ったとしても、助けられそうもない。
 若い狩人は天を仰いで、数回ため息を吐いて、
「悲しいことに私の行為も、考えるところも、ことごとく願いと食い違う。今までずっと晴れなかった霧もようやく晴れて、八房を撃ってみれば、あまった弾で、姫上さえ遂にこと切れてしまった。不意に出没する犬にも恐れず、元よりここは禁断の山と知りつつ身上を忘れて、命を捨てて姫上を救い出そうと思った忠義は不忠となり、また加えて万倍もの罪を犯してしまった。百回も悔い、千回も悔いても、今は覆すことができない。心ばかりの申し訳に、腹を掻き切って、姫上の冥土のお供仕ろう。お待ち下さい」
 と襟を開いて、腰の刀を抜いて手拭いを巻く。
 南無阿弥陀仏と唱えて、切っ先を脇腹へ突き立てようとした瞬間、誰が放ったか分からないが、常盤木の林から弦音高く放たれた矢が、狩人の右手の肘を射た。驚いて持った刃を落としてしまい、驚いて見返した。樹木の間から高い声で、


「むささびは木末求むとあしひきの山の猟夫にあひにけるかも」
(むささびが渡る梢を探していたら、山の猟師に出会ってしまった様だ)

 と万葉集の志貴皇子の古歌を口ずさむ声に、狩人は、
「これは誰の仕業か」
 と問えば、
「早まるな、金碗大輔、しばらく待て」
 そう呼びとめて、里見治部大輔義実が現れた。義実は熊の皮製の足を覆う毛皮を履き、豹の皮でできた太刀を雨露から防ぐ鞘、籠手を身に着けている。
 弓矢を携えて、木陰から進み出てきた里見義実には、後に従う従者はなく堀内蔵人貞行のみ従っている。堀内貞行は精悍な恰好であり、主人の左後ろに構えていた。
 里見義実は憂いた表情で、伏姫の亡骸を尻目にして、愛娘の最期のことについては何も言わないでいた。いち早く、辺りに落ちている数珠と遺書を見て、堀内貞行に拾う様命じた。
 堀内貞行は急いで拾い上げて、主人に渡した。里見義実は弓矢を捨てて、数珠を刀の柄に掛けて、まず遺書を一句一段嘆くことなく読み、堀内貞行にも見せた。
 その間、金碗大輔は慚愧し、その身を置くところがない。額には冷たい汗を流し、刃を膝の上に置き、ただ平伏するのみであった。
 里見義実は傍らの石に座り、金碗孝徳大輔に向かって、
「珍しいな、金碗大輔。お前は不覚にも法度を破ってこの山に入るどころか、今、伏姫と八房を撃ったのには訳があるのだろう。刃を収めて、詳しく話せ、どうだ」
 しかし金碗大輔は返事もせず、面目もない様子で、しばらくの間、頭も上げないのだった。
 この様子を堀内貞行は見かねて、
「大輔、殿の仰せである。まず刃をしまって、ご返答をいたせ」
 何度となく言われて、金碗大輔はようやく頭を上げて、刃を鞘に納めて脇差しとともに堀内貞行に渡した。少し引き下がって、堀内貞行に向かってこう言った。
「死に後れましたが、そのお陰で図らずも殿のご尊顔を拝し奉る喜びも、重ね重ねの落ち度ばかりで、今は後悔の他ございません。申し上げるべきたくさんのことも、この期に至っては詮なき所業、自分の非を飾る様ですが、ただひとくだりだけ申しあげます」
 金碗大輔と呼ばれた狩人の眼は、心なしか潤んでいた。
「去年安西景連に謀られて、救援のお使いの任を果たせず、逃れて帰る道すがら、追手の敵兵と戦いました。辛くも滝田へ立ち返りましたが、早くも安西の大軍が満ちておりました。幾重にも取り囲んで降りましたので、城に入ることは遂にかなわず、せめて堀内殿と力を合わして少しでも忠を尽くそうと思いまして、東條へ走りました。しかし、その甲斐もなく、東條も蕪戸訥平の大軍に囲まれていました。敵は城の虎口を退かず、夜はかかり火を灯し、番兵も油断せずにいました。翼なくしては城中に入ることができません。こうなれば一騎になっても敵陣へ突入して死のうと決心いたしましたが、よくよく考えてみれば、犬死は無駄なことと思いました。個々の力は一致団結した力に及ばないのです。滝田も東條も兵糧が乏しく、まことに蜀漢の諸葛亮が述べた通り、危急存亡の秋なのです。私は鎌倉へ推参し、鎌倉管領家へ急を告げ、援兵を頼んで両城の囲みを切り崩せば、と考えて」

 白浜から船に乗ったこと。
 鎌倉に赴いて事情を述べ、急を告げ、援兵を乞うたが、主君の書簡がないので信じてもらえないどころか疑われたこと。
 無駄な数日を過ごし、空しく安房に帰ると、仇敵安西景連がいつの間にか滅んでいたこと。
 里見の殿が安房一国を治める様になったこと。
 しかし喜んだものの、手柄もなくおめおめと帰参ができないこと。
 時節を待って必ず功を立てて、帰参するため、それまでの隠れ家として、故郷の上総にある天羽の関村に行き、祖父一作の親戚の百姓の家に身を寄せたこと。
 空しく年を越して、晩秋になったころ、姫の噂を聞いたこと。犬の八房に伴われ、富山の奥に入られたらしいということ。
 密かに富山に分け入り、犬を殺して姫上を救い出すことができるのであれば、前の失敗を償い、更に帰参できるはずだと思案したこと。
 隠れ家に戻って、準備した鉄砲を引っ提げて山に入ること五六日、姫上の行方をひたすら尋ねたが、岸は霧が深く、一日も晴れたことがないこと。
 水の音だけが凄まじく、広さも深さもまったく分からなかったが、聞いていた尼崎輝武の溺死のことを思い出し、この辺りに違いないと思ったこと。
 簡単には川を渡れないこと。川に隔てられてその奥を見ることができず、今日も空しく過ごすのかと苛立ったこと。
 とうとう疲れ果てて水際の松に腰掛けて眺めていると、見ようにも見えない谷川の遥か彼方から経を読む声がかすかに聞こえてきたこと。
 その声こそと騒ぐ胸を鎮めて、水際に進んで耳を澄ますと、やはり女性の声であること。
 疑うこともなく姫上に間違いない、と考えたが、いまだ姿を見ることができないこと。
 今こそ神明仏陀の助力を得なければと、安房の洲崎大明神、那古の観音大菩薩よ、この孝徳の忠義を空しくなさるな、この霧をどうか晴らして川をたやすく渡らせたまえと真剣に祈ったこと。
 しばらくして眼を開くと、不思議なことに今まで視界を隠していた川霧が拭われたかの様に晴れ渡ったこと。
 前方を遥かに眺望すれば、石室と思われた辺りに見えているのが、姫上だったこと。思ったより瀬は浅く、心が勇ましくなったこと。

 と今までのことを説明した。

「川を渡ろうとした時に、八房はこちらを見て、水際を目指して走って参りました。奴を近づけては都合が悪い。撃ち取ってから後で石室の方へ行こうと思い、鉄砲の狙いが良いところに来ました。持っていた鉄砲を構え直して、二つ玉を込めて狙い定め、火蓋を切れば、犬は水際で倒れました。狙い通りと流れの早い川の水より早く渡って、良く見れば姫上も玉に傷つけられて、犬と同じ様に倒られていました。しかし傷は浅く、何とかしてお救いできないかと心をつくし、手をつくしましたが、こときれてしまい、もはや手立てはござません。自分の不運とは言いながら、八房を倒すつもりが明らかに自分が失敗してしまい。後悔がもはや立ちませんので、せめて冥土のお供をしようとすでに覚悟をきわめたところに、思いがけなくも殿に止められました。死ねないのも天罰かもしれません。法度を犯してこの山へ忍んで入るだけではなく、姫上を失ってしまったことは、これ八逆の罪でございます。我が君が思うままに刑罰をお与え下さいます様乞い願う他はありません。堀内殿、どうかお縄をお掛け下さい」
 と背中に手を回して訴えた。

 堀内貞行は金碗大輔の真心を知り、言葉を聞くごとにうなづいた。そして主君の顔色を伺えば、里見義実の嘆きは大きかった。そしてしばらくしてから、口を開いた。成功と失敗は人間の力では何ともできず、凡人の知恵で図ってはならないのだ。大輔よ」
 里見義実は金碗大輔を見つめた。
「お前には罪がある。刑罰は逃れられないが、伏姫の死は天命である。もしお前に撃たれなかったとしても、姫は必ず身を川に投げていただろう。貞行、姫の遺書を読んで聞かせよ」
「承知いたしました」
 堀内貞行は、金碗大輔のそばで初めから終わりまで声を高くして読んだ。
 聞いていた金碗大輔はますます自分の行為を恥じ、伏姫の覚悟と気高さに涙をこぼしながら、ますます己の粗忽さを悔い嘆いた。
 遺書を聞き終えた里見義実は、また金碗大輔に向かって、
「伏姫の死を止めようとして、私はここに忍んで来たのではない。今回、五十子の病気は、伏姫を名残惜しんで心を病んでしまい、危篤なのだ。妻の願いはもちろんのこと、無事にこの山の奥を見れるかどうかが不安だが悩む折り、私だけでなく、堀内貞行ですら多くの奇跡を見たのだ。従者たちを麓に待たせ、私と貞行はこの山に登ったが、川を渡らずに遠く上流から巡ってこの石室の背後に到着したのだ。近づいた瞬間鉄砲の音がしたので驚いて、来てみれば、伏姫も八房も撃たれて倒れているではないか。折から川を渡る者がいて、聞かなくても伏姫の仇であると分かっていたので、しばらくの間木陰に隠れて様子を伺ってみれば、意外にも下手人は、いつも心に掛けていた金碗大輔であったとは」
 ため息を吐いた。
「お前は慌てた様な顔で、姫の手当てに手をつくしたが、とうとうかなわずに、自決の覚悟を決めていた。それは野心があって、姫を殺そうとしたものではないと分かったので、呼びとめたのだ。良く考えてみよ」
 金碗大輔は主人の顔を見上げた。
「犬を殺して伏姫を救えるものならば、この義実、こんな恥を忍んで、最愛の娘を山に捨て、今日までお前の手を待っていられるというのだ。賞罰は政治の要だ。論語に書かれている通り、言葉が一度出てしまえば、四頭立ての馬車も舌にはかなわない。戯れ言と言っても私は八房に伏姫を許してしまったのだ。この一言で強敵の安西は滅び、四郡は里見の領土になったことは八房の大きな功績であるから、私も約束を違える理由はない。姫もまた断らずに、そのまま犬に伴われて、深山に住むことになった。しかし」
 里見義実は声を振り絞って続けた。
「幸いにして姫は汚されず、読経の効力によって、八房はとうとう菩提の境地に入ってしまったのだ。それを伏姫は憐れんだが、憐れんだだけではなく心を深く合わせて、知らず知らずのうちにその気を感じ、身籠ってしまったのは、奇跡としか言い様がない。今、遺書の筆跡を見て、この災厄の原因、因果の道理に気づいた」
 過去を振り返るのだ。
「私が安房に義兵を挙げて山下定包を討った時、その妻である玉梓を生け捕った。あの女の陳謝弁明に一理があると思ったので、許してやろうと言ったのを、お前の父八郎孝吉が強く私を諫めて、玉梓の首を刎ねたのだ。これにより、あの女の怨恨が私たちに祟りをなしていると初めて分かったのが、八郎孝吉の自害の時、ぼんやりとしてはいたが、女の姿が我が眼に映ったのだ。あの玉梓の恨みはそれだけでは飽き足らず、犬の八房に生まれ変わり、伏姫を連れて山の奥深くに隠れて我らを悩ませ、その伏姫は思い掛けなくも八郎孝吉の子に撃たれた。皆これは因果があるのだ、ことの始まりは、ひとりこの私、義実の過ちから起きている。八房に伏姫を許したのは、許してはならなかった玉梓を助けてみてはどうかと言ってしまったこの私の罪。言葉の露の様なはかなさは、最後にはこの谷川に流れ落ちて、輪廻転生の苦しい海に向かっていく。しかし嘆いてばかりでは仕方がない」
 金碗大輔の頬を涙が落ちていった。
「神霊にはな、正しきものもあれば、邪悪なものもあるのだ。神の怒りは罰となり、鬼の怒りは祟りとなる。例の玉梓は悪霊なのだ。伏姫の死は祟りであり、大輔さえ逃れられず、罪を犯してしまった。悪霊のせいであるから、決して恨むではないぞ」
 と里見義実は自分自身を責めて、金碗大輔に丁寧に説明した。

 主人の叡智に感銘して、金碗孝徳大輔は思わず小膝を進めた。
「殿の仰せによって、父の自決も私の身の不運も良く分かりました。しかしまだ疑問があるのです。八房はすでに菩提を悟ったのであれば、悪霊の祟りには合わないのではありませんか。殿は神仏のお力によって姫上をお尋ねになったのに、例え因果応報であっても、今日一日は問題なく姫上はここにいたはずでございます。せっかく山に登られたのに、その甲斐なく、生前の姫とお会いできなかったのはどういう訳でございましょうか」
 と聞けば、堀内貞行も膝を打って加わった。
「大輔、良く申した。我が君だけではございません。一日たりとも晴れなかった川の霧がたちまち晴れたのは、大輔にとっても神仏のお助けがある様に思えましたが、実は違うのではないでしょうか。ああ、もう私には分かりません」
 そう真剣に言うので、里見義実はうなずき、
「神ではないから私にも確かには分からないが、禍福はあざなえる縄の如しと言う。人の命は天に定められているのだ。私がこの山に来れずに、このまま姫が死んでしまえば、ただの犬の妻と呼ばれてしまうに違いない。姫の純潔、志の高さと八房の菩提心を世の中に知らしめようと、神仏が導きなさったのであろう。そうでなければ、息があるうちに逢えなければ甲斐がない。また川の霧が晴れず、大輔に撃たれなかったら伏姫も八房も川の藻屑となっていた。例え遺書があっても、事情を知らない者に情死や遺恨が原因などと噂されてしまう。今更言うべきことではないが、大輔の父八郎は功がありながらも褒美を受け取らず、自害してしまったことは大変気の毒だった」
 父に触れて、金碗大輔は神妙な顔になる。
「何とかしてその子を取り立てて、東條の城主にして、伏姫を妻に取らせようと考えていた折から、大輔は使者に行ってとうとう帰ってこなかった。伏姫は八房に伴われて深山に入ってしまった。ここに至って、私の願望は絵に書いた餅になってしまい、恥ずべきものになった。伏姫と大輔の結婚は、いい加減に決めたものではなく、親である私が決めたものであるから、遺書に記された神童の言葉の親と夫に会うというのは、私とお前を指すのだ。しかしその結果、姫と犬は大輔に撃たれることとなった。神仏のなされ様の手際の見事さと言えば畏れ多い。この様な因果応報、誰を咎めて、誰を恨むというのか。弓の弦が強ければ必ず緩み、恨みが果たされば必ず無くなってしまう。今から我が里見家に悪霊の祟りはないはず、子孫ますます繁栄していくのかもしれん、そう思うとしよう」
 と諭すのだった。
 堀内貞行も金碗大輔孝徳も疑念の心がようやく消えて、共に落涙した。

 しばらくしてから金碗大輔は襟を合わせるなど、様相を改めて、
「身にも余る殿の厚恩、ご胸中にお隠しになっていた結婚のことなどは、承るももったいことでございます。事情を知らない人々は、許婚の姫上を救おうとしたなどと、後に言うかもしれません。どうか速やかに私の首をお刎ね下さい」
 とだけ言う。
 里見義実はそれを聞いてすぐに、
「おう、後でもちろんそうしてやろう。しかしながら良く見てみると、伏姫の傷は浅そうだ。もし蘇生することがあれば、お前を処罰するのは早過ぎるということになる。この数珠を良く見ると、如是畜生の言葉が最初に戻って仁義八行を示している。もしかしたら、霊験は失われていないかもしれん。姫が倒れた時には、数珠が身から離れていたので、浅傷だが息絶えたのだ。幼いころから、この数珠で危機を回避していたのだ。例え天命が尽きても、祈ればご利益があるかもしれないぞ。かなわずもそれは仕方がないことだ、やってみるとしよう」
 柄に掛けていた数珠を取って額に押し当てて、しばらく念じてから伏姫の首元にみずから掛けた。
 堀内貞行と金碗孝徳が左右から亡骸を抱き起して、役行者の名号である神変大菩薩を唱えて、ひたすらに祈った。するとすぐさまに伏姫が眼を見開いて、ほっと一息吐いた。
 堀内貞行と金碗大輔は歓喜の声を上げて、
「姫上、お気づきなさったか。堀内蔵人でございますぞ。大輔もおりますぞ。父君も来ておられます。ご気分はいかがでございますか」
 と聞かれて、伏姫は左右を振り返り、二人に取られていた手を振り放った。袖で顔を押し当てて、静かに泣いた。

 泣くのも当然と里見義実は近くに寄って、袖を取り、
「伏姫、その様に恥じらって泣くな。ここには主従三人しかいない。従者たちは皆麓にいる。この度は母の願いで、義実みずから来たのは偶然ではない。神仏の奇跡によるものなのだ」
 姫を落ち着かせるために里見義実は必死だった。
「お前の身に起きたこと、八房のこと、遺書を読んで分かったぞ。金碗大輔は去年から上総にいて、お前に起こったことを伝え聞き、ことの顛末も分からぬままだが、ただがむしゃらに救おうとして、私よりも先にこの山に入った。そして八房を撃った玉がお前にも浅傷を負わせたのだ。八房の死は不憫ではあるが、大輔に撃たれたことはまたこれも因果だ。私は彼を婿にしようと考えていた。だからお前が遺書に書き残した神童の言葉、親と夫に逢うというのはこのことなのだろう。さあ一緒に滝田へ帰り、病んでしまった母の心をどうか慰めて欲しい。さあ、伏姫よ」
 伏姫に優しく諭すと、堀内貞行も金碗大輔も一緒になって、
「ご帰還もことはもちろん、一度は義によって八房と一年あまり山に籠りなさったのです。約束は果たしたと考えてよろしいでしょう。いまだ遁世のお気持ちが深くとも、母上様への孝行には代えがたきことと存じます。さあ、帰りましょう」
 となだめすかして、姫を気づかった。
 伏姫はあふれ出る涙を何度も拭いながら、
「本来ならば、父上みずから迎えに来ていただき、その仰せに背くことなどできません。前世は山に棲む獣と違いがないというのに。鉄砲に撃たれてこの身を終えるのであれば、人並みから外れた私の罪の、罪滅ぼしになったでしょうに、それもかなわず恥ずかしいのです。この有様を親に見せ、人に見られて、おめおめとどこの里に帰れるでしょう。餌を求めて鳴く巣立ちのできない片羽の小鳥の可愛さも尚更に愛おしいとことわざに言いますが、本当でしょうか。あくまで私を慈しみ愛して下さる父母の嘆き悲しみは、とても深いものでございます」
 伏姫は濡れた眼で里見義実を見上げた。
「私は焼け野原で一人鳴く雉、涙の雨が降り、苦しいことばかりのこの世を今日抜け出そうと、筆に遺した遺書をご覧いただきましたでしょうか。火宅を出て、煩悩の犬を菩提の友として、この身は決して汚されず、犯されずに参りました。野山の暮らしで木の実を食べるうちに、心と心が結んだのです。帰ろうか、帰るまいか、いまだ決めかねているのです」
 苦しそうな声であった。
「また父上のご心中に、金碗大輔を婿にとお考えがあったとしても、この期になって、皆に言っては他人も知らない過ちを重ねるばかりではないでしょうか。例えば金碗大輔と夫婦になる話がなかったとしても、親の眼鏡にかなう相手ではなく、八房に従って山に入りましたので、女の生き方としてこの上なく不義になってしまいます。元より私は婿がいることを知りませんでした。私も金碗大輔も知らずに、父上ただお一人ご存じだったのであれば意味はございません。また八房を夫とするのであれば、大輔は私に取って仇になってしまいます」
 里見義実は思わず絶句した。
「八房は我が夫ではなく、大輔もまた夫ではありません。この身は独りで生まれ来て、人生は独りで帰る死出の旅。故郷へ帰ろうと誘って下さるのは慈悲深く、背くにはあまりにも情けなくなって参ります。もったいないほどの父上の恩、お迎えをお断りするのは不孝の上に不孝を重ねてしまいます。逢えなかった年月が長く、お眼に掛かれなかった父上の顔を眼にしながら滝田へ帰らないのは、とても重い罪。もはやどうしようもないことですので、どうかもう私をお見捨て下さいまし」

 伏姫はもう帰らないつもりなのだ、と皆は何となく理解した。

「私の言い分をどうか母上にお詫びを申し上げて、安房の百年の繁栄を願うのみなのです。とにもかくにもこの様に浅ましい姿をご覧になられたのなら、亡骸を隠そうとしても無益なことでしょう。死んだばかりの妊婦の亡霊は、皆血の池地獄に沈むと言います。それも逃れられぬ因果応報なのであれば、嫌がるのも仕方のないことでございます」

 姫は深く息を吸って続けた。

「この身に宿った種の父が誰なのか調べなくては。私の惑いも他の人々の疑いも解決しなくてはなりません、どうかご覧下さいませ」
 伏姫は持っていた護身刀を引き抜いて、腹へぐさと突き立て、真一文字に掻き切ったのだ。
 不思議なことに傷口から白い雲の様なものが閃き、襟に掛けていた水晶の数珠を包み、虚空へと登っていく。しかし数珠はたちまちふつとちぎれて、そのほとんどは連なったまま地上へ落ちていく。
 空に残ったのは八つの珠、それらは燦然として光り、飛び巡り入り乱れて、輝く光景は空に流れる星の様である。

 

【腹を裂いて伏姫、八犬子を走らす】

伏姫のお腹から8匹の仔犬が!!

金碗大輔、里見義実、堀内貞行がそれを見ております。

あれ?左のお婆さんは誰じゃろ?

 

 里見義実主従は今更に姫の自決を止められず、うわの空で蒼天を仰いで眼を白黒とさせている。あれよあれよと見るうちに、颯と山から吹く強い風が八つの霊光を四方八方に散らせていった。
 後は東の山に夕月だけが登っていく。

 正にこれは数年後、八犬士が現れて、里見家に集う兆しなのである。

 伏姫は深手にも関わらず、飛びさる霊光を見送って、
「良かった。私のお腹には、後ろめたいものは何もなかった。神仏が結んでくれた腹帯も疑いも解けました。もう心に掛かる雲もありません」
 姫にはもう何も見えないのだった。

「浮世の月を見残して、急ぐは西の空にこそ、導きたまえ阿弥陀仏」

 そう唱えると、鮮血に濡れた刃を抜き捨てて、そのまま倒れていった。
 心も言葉も婦人には相応しくないほどに逞しく、立派ではあるが、しかし最期は物悲しく寂しいものであった。

(続く……かも)


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誕生 (栗八)
2024-08-10 17:47:46
伏姫の経緯、長かったですが、詳しく書かれたことでよくわかりました。
かいつまんで話されては伏姫の真意はわからなかったです。
馬琴翁は、人間道と畜生道の違いを説き、それでもなお、説明のできない八犬士誕生の秘話
そこが重要なカギになる=玉梓の怨霊
まだまだわからないことが多かった時代…こんな展開をよく思いついたものです。

それにしても伏姫の気高さ無くしては、八犬士の奇跡は起きなかった…
馬琴翁さすがです。

二つの玉
玉の弾を2つ込めたということですかね?

親の眼鏡にか…
そういう言い回しはすでにあったのでしょうか?

今回も難しい話を分かりやすくしていただき、ありがとうございました。
次回は、どの場面からか?楽しみです。

伏姫の後ろは誰なのか、、気になります。
返信する
ちょっとくどい (馬鹿琴)
2024-08-11 00:52:33
くどいんですよ、少し(笑)
一番長く手間が掛かってしまいました。
後、仏教用語が面倒で(笑)

玉は2発撃っているようです。
連射式か2回引き金を引いたかは分かりません。
なぜなにで検証してみます、鉄砲の伝来も含めて。
一応これは室町時代のお話なんです。

>眼鏡
超意訳です、申し訳ありません。
ここ手直しが必要ですね、分かりにくいですから。
返信する
伏姫の後ろは誰なのか (馬鹿琴)
2024-09-02 01:58:32
今ごろですが大体わかりました。

伏姫の左隣のお婆さんですが、「おさめつかひ」と書いてある様なのです。
現代語で言うとおさめ使いです。
おさめを更に訳すと、雑用などを行った下級の女官、女官頭、老女を指すそうです。
納め、または収め。
この場合は40歳くらいと描写のあった柏田さんを指し示すと思います。
その隣も衣服だけ描いてあって、「をとめ使」と記されています。
乙女使いでしょうか、人はいないけれどこちらは若い方の梭織かな。20歳にもなっていないそうです、乙女ですね。

14回目を訳しててどうにか分かりました(笑)
返信する
おさめつかひ (栗八)
2024-09-02 06:28:15
そういうことでしたか!
拡大しても詠めませんでした。
挿絵は、できごとを時系列無視で描かれることありますよね。
そう考えると、右側の登場人物、シーンもそうですよね。

挿絵の解釈、むずかしいものですね!
返信する
登場人物 (馬鹿琴)
2024-09-02 23:24:36
分かってスッキリしました(笑)
返信する

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