2024年3月9日、柳本城、陣屋、黒塚古墳の後、幾つかの天皇陵に行って参りましたよ。
①崇神天皇陵
ほらもう目の前ですよ。国道169号の向こうです。
見えました、規模がかなり大きいですね。
全長375メートル!!
箸墓古墳が280メートルで結構大きいと思いました。それより更に大きいのです。
行燈山古墳という別名があるのですね。面白い。
宮内庁お墨つきでございます。
はえー大きいなあ、もっと近づきましょう。
崇神天皇と記してあります。
ちなみに神の字がつく天皇は3人です。神武、崇神、応神。
向うに渡ると、異世界に行けそうな感があります(笑)
きちんと管理されていてこれ以上は行けません。では、もう一つの天皇陵に行ってみましょう。
②景行天皇陵
崇神天皇陵から約1キロ歩きます。てくてく。
見えてきました!
こちらもまた神秘感に溢れていますね。渋谷向山古墳という別名があります。
全長300メートルですって。
宮内庁お墨つきがまた。
やはり鳥居の先は異空間なのでは?(昔ムーを立読みしたことがあります)
辛うじて景行天皇のお名前が読めますね。
景行天皇は日本武尊命のお父さん。そう言えば日本武尊命のお墓の塚も参ったことがあったなあ。
江戸時代には、景行天皇陵は崇神か景行かで揉めていたそうなんですよ。
私もまったく区別も見分けもつきません(笑)
12時過ぎ、ちょうど景行天皇陵の向かい側にお店がありますよ、入ってみます。
大和まほろば
私は親子丼+小うどんセット。
1,290円でした。親子丼美味しいなあ(笑)
このまま柳本駅まで戻ります、まだ13時ですもん、冒険したいのです。
JR柳本駅近くにあった石碑。陵ばかりですねえ。
でわ、次の冒険に向かいますよ。
戦国時代に古墳に気遣いしてる場合じゃなかったかと思うと、ここも陣屋とか砦として使われた可能性もあるでしょうね。
宇佐風土記の古墳が気になってまいりました。
ではこちらも。
続100名城の忍城の近くに、さきたま古墳群というものがあります。ご存じかも。
https://sakitama-muse.spec.ed.jp/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4%E7%B4%B9%E4%BB%8B
この頃は関東平野は住めなかったのですかね?
山の近く、川の近くが居住地ということだったのでしょうか?
また墳墓は方角とか既にあったのですかね?
一か所にあるということはなんか血縁関係とか?
宇佐風土記の古墳は、機会がなかったのですが、宇佐神宮関連で気になってきたものですから一度行ってみようと思っています。
最近、邪馬台国安心院説というのを読んで、ひっかかってるんですよね。
いつもありがとうございます。
1000年前の関東地方ですって。
http://fusanokuni.cafe.coocan.jp/No.15/yonemoto/page5.html
山を削って沼を埋めた徳川家の苦労が偲ばれます。
四谷、渋谷、阿佐ヶ谷、など谷がつく地名はその名残りと言われております。
この地図は大分東寄り(千葉寄り)ですが、埼玉ままで行けば、平らなところがあったのではないでしょうか。
それでも秀吉の北条攻めの際、石田三成は近くの忍城を水攻めしようとしていますから、何となく納得できますね。
栗八さん、鋭いです。私のAIはこう答えました。
Q:埼玉古墳群の古墳の方角が同じ方角を向いている理由は?
A:埼玉古墳群の古墳が同じ方角を向いている理由は、特定の方向に統一された配置が行われていたからです。
埼玉古墳群において、前方後円墳がほぼ同じ方向を向いて築造されていることが観察されています。
このような配置は、古代の人々が意図的に方角を揃えることで、特定の意味や信仰、宗教的な考え方を表現しようとした可能性が考えられます。
なお血縁関係は不明とのことでした^^
邪馬台国安心院説!
松本清張さんですかね、ちょっと調べてみましょうかね。
前方っていう理由もよくわかりませんが、、
円墳に前方がくっついたと思っていましたが…
古墳が廃れてきて、前方後円墳がめんどくさくて円墳だけ、、ってことはないのですか?
すいませんレベル低い質問で
https://note.com/ketano_nihonshi/n/nf10f6fea19e9
なかなか覚えられませんが分かりやすいですね^^
後期の6世紀から7世紀になると、もう仏教が入ってきてますね。
その影響も大きいのではありませんか。