2024年3月9日黒塚古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵の後、JR天理駅経由近鉄線で大和郡山城に登ってきました。
続100名城165番目で2回目の登城です。
近鉄郡山駅です、ここから徒歩ですぐですよ。
市役所前を通って近鉄線沿いに歩きます。
まだ手前ですが石垣が出てきましたぞ。
市役所の辺り、柳御門址と書いてあります。
同じく市役所の前。石垣が無造作に転がっています。
私好みの虎口。この分厚さが好きなんです。
鉄御門址ですね。
おっとマンホールは郡山名物金魚です、お城関連は見当たらずでした。
鉄門辺りは登りの坂道で、登って行きますと、
お堀です~
表門址、後ろは郡山高校なんですよ。
お城に入る入口は神社の入り口。殿様の名前から柳沢神社です。
城に入りますよ。
竹林門址。今、橋を渡っています。
これはあんまり見ませんね、続100名城の石碑。
柳沢神社の主祭神は、徳川5代将軍犬公方綱吉の側用人柳沢吉保なんですね。
神社にお参りをして無事の祈願をしてから奥に進みますね。
神社の社の奥に何か見えますね。テンションが上がってきますよ~
天守台です~
筒井順慶、豊臣秀長(小一郎)、増田長盛から水野(例の傾奇者の家系です)、松平、本多と来て、柳沢吉保の息子である吉里が郡山を治めます。
こんなところに埋門址。
さあ、登りましょうよ。
ヒイコラ言って登ってみると、
四方こんな感じ。天気も良くないので、あまり見栄えが良くありませんでした。
天守台の一部がてつかずで展示されているのです。
逆さ地蔵なるものがあるそうなので、天守台を降りて北側に行ってみます。
お地蔵さんが頭から石垣の中に突っ込まれているのですよ、分かりますかね?
カメラを入れてみましたが……分からんですね(笑)
お供えのお金がザクザクと。
北側から見た天守台。
お城の東に行くための橋にも門の跡。こちらも石垣がぎっしりとありました。
その名も極楽橋。
水がなく空堀状態でした。
橋の途中。
柳沢文庫側から見た極楽橋。
極楽橋の途中。新築ホヤホヤ感があります。
柳沢文庫を見学して御城印をいただきました。
なるほど、大和は和州なんですねえ。
東北側から見た天守台。後ろに柳沢神社の社が見えていますよ。
追手門です。
はえーしっかりした造りですよ。
外から中を見ております。梅の盆栽展をやっているのです。
ふー大体見て回りました。それでは帰りましょうか、でわ。
画面上部の石がそうでうよね?
その石の下の丸いのが、お地蔵さんの頭。
石積みがワイルドです!
戦国の城ですね。
空堀みたいになった濠にも衝撃です。
戦があったこと知りました。
ありがとうございました。
昨日のニュースで知りましたが、次の次の大河ドラマが「豊臣兄弟!」だそうで、秀長が主役になるそうですよ。
大和郡山城にもスポットが当たるでしょうねえ。
良からぬことが起こりますって!
豊臣兄弟
あまり取り上げられてませんよね?
やっぱり大坂の陣がクライマックスなんでしょうね。
再来年ですか~大河商戦開始ですね!
信仰深いと使いづらいですよね。
秀長は1591年天正19年に52才の若さで亡くなっています。
小田原攻めの翌年、ですから随分と早死にです。
彼が生きていれば、豊臣家も大分行く末が変わっていたでしょう。
郡山城の経緯と勘違いしてました。
すごい石高ですよね!
大きな領地でした~