クローバー 匍匐(ほふく) 福福

末梢神経鞘腫瘍で右前足と肩甲骨を切断したココのことや身の回りの出来事など日々感じたことを発信します。

医師との信頼関係

2023-08-30 21:14:45 | 

8月28日、弟と母の病院へ行きました。
この日の母は起こすのを躊躇うほど辛そうでした。

声をかけると目を覚まし、弟が覗き込むとにっこりしました。そして、持っていったココの印刷した写真を見せると嬉しそうでした。

でも、その後横を向いたままでした。





先生から、今までの経過を初めから話してもらいました。

私からは弟にかいつまんで話して来ましたが、弟は直に聞きたかったようです。


弟が一緒だったからでしょうか?前回と違って、穏やかに丁寧に話されました。

途中、先生が私に「大丈夫ですか?振えていますが…」と聞かれました。
自覚のなかった私は驚きましたが、

「これは精神疾患の薬の副作用だと思います。」と答えました。


<母の経過については今回は置いておきます。>





私は「前回、お話しをしていただいた時、今のように穏やかに見通しを持って、お話ししてくださっていたら良かったのですが・・・」と切り出しました。

「楽にしてあげたらどうですか・・?」

「今回だめだったとしたら、もう一回試しますか?それがだめだったらもう一回試しますか?どこまで試しますか?」と言う言葉は強く決断を迫られているようで、家に帰ってから辛くて辛くて・・・。」

「それは楽に死なせてあげましょうと言う意味ではないですよ。」と先生は言われましたが、

「楽にしてあげたらどうですか?負担になる、苦痛になることをあえてしますか?」という言葉はもう治療はやめたらどうですか?と私には聞こえました。」

「母を崖の淵に立たせて、後ろから先生が私に『いつ押すのだ。』と言われているようなイメージが浮かんできた。」と言いました。

「そのあと、どんなに辛くなってしまうか・・・。家族の気持ちに寄り添ってほしい。」と言いました。

「本当に辛かった。これから先生とお付き合いしていけるのかと思うくらい。

母の終末期を迎えるにあたって、家族にどれくらい寄り添ってくれる
のかと不安に感じた。」というと

主治医から「誤解を与えることがあったら、申し訳なかったと思う。」と謝罪の言葉がありました。

今日は母の経過もよく、これからの治療方針なども希望が持てるもので、少し心が落ち着きました。





次の日の朝、主治医から電話があり、「誤解を与えてしまって申し訳なかった。」
「これからはもう少し優しく丁寧に話すようにする。」と言われました。

私の精神疾患にも気遣って、いろいろ聞いてくださいました。

「私には双極性障害II型と言う精神疾患があり、大きなストレスがかかると発症することがある。」

「昨年も入院した。発症するととても辛い。今も定期的に通院し、薬も飲んでいる。」

「母の看取りを冷静に見守ることができるのかとても不安に思っている。」と伝えました。





29日にも弟とお見舞いに行きました。

母は昨日と比べるとずいぶん元気そうで安心しました。行くなり母の方から手を振ってくれました。

弟と私は何度も母のミトンの中の手を握りました。

その後、また先生が来られ、今の状況がいいことを説明してくれました。

「今回のがんの手術は“お寿司を食べられることを目標にしよう。”と執刀医が言って臨んだものです。食べれないまま終わってしまうのはとても辛い。」と言うと

「希望を捨てることは全くない。ただ、希望を叶えるために無理をしたら、全体像をかえって悪くしてしまう。」とのことでした。

明日も来ると伝えると「その時は声をかけてください。」と言われ、とても気を遣われいるのだなと思いました。

今後も今のように寄り添っていただけるとありがたいと思います。





今回、自分の感じたこと、こちらの状況を主治医に直に伝えてよかったと思いました。

母がどこまで元気になるのか期待する反面、ある程度、元気になったとしても、ただ、ベットに寝たきりで過ごすことが母にとって幸せなのかを見極めた上で判断しなければならないと思っています。

でも、急かされると決断ができなくなります。



2022.08.26 中之島公園

命の終止符

2023-08-24 21:39:54 | 
8月22日(火)やっと母に会えました。

まず、目に飛び込んできたのは、太いチューブを鼻から入れられ、それを取ろうとするのを防ぐための大きなミトンでした。

ミトンと言っても、上の方は開いていて、指は見えていました。
前の病院でも術後すぐははめていました。

こちらの病院はチューブが太く、しかも酸素の管も入っているので気持ちが悪いのでしょう。でも、穏やかな顔をしていたのでホッとしました。

前にテレビの好きなことを伝えていましたが、母がテレビと反対を向いていたので

『テレビが見れるようにはできないのですか?』と聞くと
「床ずれが起きないように定期的に体の向きを変えているのです。」とのことでした。

その時にタイマーを持ってこられ、10分経ったら、看護師詰め所持って来てください。」と言われました。

自分でタイマーを確認しながら、母との時間を有効に使えるので有り難いと思いました。

とにかく10分しかないので、母に具合の悪いところを聞きました。
とくに悪いところはないと、ミトンの中でOKサインをしていたので安心しました。

あとはスマホでココの写真や動画を見せてあげました。

ニコニコしながら食い入るように見ていました。
10分はあっという間でした。

看護師詰め所に行くと「何かご希望はないですか?」と聞かれました。

『とにかく食べられるようにしてほしい。』とお願いしました。

『母はほとんど耳が聞こえないので、コミュニケーションが取れているのか心配しています。』というと「ほぼ、コミュニケーションは取れていますよ。」と言っていただきました。

「主治医の先生がお話があるとのことですが、いつがいいですか?」と聞かれ、次の日の3時に行くことになりました。





8月23日(水)病院に行きました。先生が来るまで病室で待つように言われました。

すぐにスマホでココの写真や動画を見せてあげました。
見せるととても嬉しそうに笑みを浮かべながら見ていました。

その時、看護師さんが来られましたが、「いい笑顔をしていますね。こんな笑顔は見たことないです。」と言っておられました。





そのあと、主治医から話を聞きました。

「排液の量が下がったので、今日からチューブで胃に白湯を流し始めた。白湯が腸に流れないとしたら、栄養を入れるのは難しいかもしれない。
唾や排液、栄養分が気管に入って誤嚥性肺炎になるととても苦しい。」

「しんどい思いをさせないようにしようと思えば、今回の処置をやめといたらいい。
あきらめましょうと宣告しているようで言いづらいところはある。」

「水分が腸に入ったら、流動食を入れることになるけど、カロリーのあるものを入れるのは心配。栄養のあるものを入れると、消化液が出て、唾液も出てくる。唾液が肺に入ると誤嚥性肺炎を起こす。」

「水分は胃で吸収されるが流動食はタンパク質とかいろいろあるから、腸に流れていかないといけないのに流れていかない。量が増えると全部吸収しきれないので前みたいに戻すことになる。」

「何もしなくても戻す可能性は常にある。胃液が気管に流れたり、唾液による誤嚥性肺炎が起きたりする。そうなると、とても苦しい。それが一番問題。」

「楽にしてあげたらどうですか?負担になる、苦痛になることをあえてしますか?」

「今回だめだったとしたら、もう一回試しますか?それがだめだったらもう一回試しますか?どこまで試しますか?」

どうして、ここまで性急に終止符を打とうとするのでしょう?





今から考えると先生は最初から一度も母が食べられるようにしてあげようとは言っていないことに気が付きました。

誤嚥性肺炎や逆流性食道炎になるといかに苦しいかばかりを言ってこられました。

『先生はたくさんの方々を見られているからどういうふうになるかよくご存知なのですね。』と言うと、

「こういうことをすればこういうことが起きると大体分かる。」と言われました。

きっと苦しむ患者さんをたくさん見てこられたのでしょう。
もちろん、私は母を苦しめるような延命処置はしてほしくはありません。

でも、もう少し配慮のある言い方はできないのでしょうか?





7月29日に主治医から説明を受けた時には「大量に吐いたり、頻回に戻すようだったら点滴に切り替える。その時はなるべく、しんどい思いをしないような形で対応していく。」と聞いていました。

この間、大量に吐いたり、頻回に戻したりしたとは聞いていません。
最悪の事態を想定してのことだと思っていました。

母は元気そうで穏やかな顔をして、ココの写真や動画を見せるととても嬉しそうな顔をしています。切迫感は全く感じられません。

これで、何もしないで点滴だけで過ごさせることができるでしょうか?

『点滴だけだったら、どのくらい持ちますか?』と聞くと
「何もしないで点滴だけだったら、1、2ヶ月だろう・・・」





お寿司を食べることを目標に大手術に臨んだ母が何も食べられないままこの世を去ることになるなんてあまりにも可哀想すぎます。

写真や動画だけでなく、もう一度家に帰らせてあげて、ココを抱っこさせてあげたいです。

人の生きる価値は長さだけではないと思いますが、母はどんな思いでいるのでしょう?

苦しそうにしている母を見れば決断もしやすいですが、ニコニコして、元気そうな母を見たら、とても点滴だけにしてくださいとは言えません。

そして、少しでも、食べられるようにしてほしいと思います。

母にどういう最期を迎えさせてあげたらよいのでしょう。




<2016.9.01 布袋葵 藤原京>



面会制限解除!

2023-08-19 22:38:04 | 

8月15日、コロナの陽性になった母は無症状で10日間の観察期間を終えたと看護師さんから連絡がありました。

「母の腸閉塞がどうなっているか知りたい。」というと主治医から次の日に連絡がありました。

「当初、200ccあった排液は30ccになり、落ち着いている。逆流が少なくなった。

腸閉塞でお腹が痛くなるのは便が出ない時、母は週に1回か2回出ているのでお腹が痛くなる状態ではない。

もう一度、チューブで胃から腸に水分、次に栄養を入れ始めるがうまくいくかどうかは五分五分。流れないと誤嚥性肺炎を起こす。

様子を見ながら、最善策を取るしかない。」とのことでした。





5類になったコロナのことを聞くと

「陽性になっても症状の出ない人がとても多い。例えば病院に面会に来ても、本人はコロナにかかっていると認識していないので結果的にウィルスをばら撒いていることがある。」

「熱が出て、病院に行くことでコロナでない人がそこで感染するということがある。」ということでした。

私は母のいる病院の被害状況を気になりながら聞けずにいましたが、重症化リスクの高いお年寄りや病人などは重篤になる危険性は高いのだろうなと思いました。

5類は軽いと言ってもウイルスは無くなったわけではないという意識は常に持っておかなければならないと思います。





8月18日に病院からコロナによる面会制限を解除したとの連絡がありました。

8月いっぱいは無理かなと思っていたので驚くと同時にホッとしました。

8月19日に病院に行きました。

ところが「もう面会の時間は終わりました。」とのこと。

月曜日から土曜日の14時から16時の間で10分間だけだったのです。

私は前の病院の面会時間と勘違いしていました。
前は14時から17時でした。

15時頃、家を出ようと思ったのですが、あまりに
かんかん照りだったので、もう少し待とうと思ってしまいました。

明日は面会できません。日祝は面会できないのです。
21日は予定が入っているので行けません。

22日には何とか母の顔を見て来たいと思います。





19日に病院に行ったのはもちろん面会がメインですが、病院への支払いがありました。

通知書には未収金額38428円、預かり金5000円、差引不足額33428円と黒枠で書いてありました。それで33428円を支払いました。

すると預かり金の5000円がなくなってしまうので、あと、5000円出してほしいと言われました。

預かり金は入院の際、入院生活に必要なものを買う時に使うとして5000円支払ったので、どうなっているのだろうとは思いましたが・・・

「この通知書は分かりにくい。」と会計の方に言いました。

私は母と会計は別にしているので、あっちから出したり、こっちから出したりするとややこしくなってしまうのです。記憶力がかなり落ちているので余計です。

「入院料等は毎月病院に持ってこないといけないのですか?」と聞くと「振り込みすることはできる。手続きしますか?」というので、「振り込むように手続きをしたような気がします。」というと、別の人が「調べたら、手続きしていましたので8月からは銀行から引き落としになります。」とのことでした。

病院の主治医や看護師さんからはていねいな連絡があって、喜んでいましたが、この対応は残念に思いました。



2015.8.11フォレストガーデン 朝のコスモス


母の選択

2023-08-10 15:49:17 | 
母がコロナになったと聞いてから、母の様子が分からなかったので
8月7日に病院に電話をしました。

看護師さんが出られ、
「母のコロナは無症状で熱が出たのは最初だけ37.1℃あったが、あとは36℃台です。」
「しんどい表情はしておらず、穏やかな表情をしています。」とのことで安心しました。

穏やかな表情をしていると聞いて、ホッとしてしまい、母の食道や胃の状態を聞くのを忘れてしまいました。





こちらからかけようと思っていると、8月9日にリハビリを担当している方から電話がありました。

今はコロナによりリハビリの担当者でも院内に入れないのだそうです。
計画書に母のサインが必要だが書けるかどうかの確認でした。

その時、「2日前に母のコロナの状態はお聞きしたのですが、食道や胃の状態について聞くのを忘れてしまったのでお聞きしたい。」と伝えると





すぐに主治医から電話がありました。

まず、「コロナの状態を伝えなかったのは罹患して10日間は要観察期間で、15日までは様子を見なければいけない状況にあった。」とのことでした。

母の食道や胃の状態は

「排液は200cc超えあったが今は30〜70ccに下がって来ている。

コロナの肺炎と排液などによる誤嚥性肺炎が一度に起こると大変なことになる。」

私は「手術で食道と胃の接合部の癌を切り取ったのにどうして食道から胃に流れていかないのだろうと不思議に思っていました。」と伝えると

先生から「食道から胃には流れている。胃から腸に流れない。」とのことでした。





母はがんと聞いてショックを受けていましたが、生きたいと強く願って手術を決断しました。

私はもしかしたら手術をすると言わないのではないかと頭の片隅で思ってました。

施設の刺激や楽しみのない生活の中で生きる希望が萎えてしまっているのではないかと思っていたからです。(母はもともと知的好奇心の旺盛な人でした。)

とくに耳がほとんど聞こえなく、周りの人とのコミュニケーションも取れないのでさらに孤独を感じているのではないかとも思っていました。

「母はがんを切り取ることを選択し、手術にのぞんだので、ぜひ、応援したいし、なんとか乗り越えてほしいと思っている。」と言いました。





「どれが正解ということはない。どれを選んでも間違いではない。」との
主治医からの言葉になんだか救われたような気がしました。


母は麻痺性イレウス(腸閉塞)を起こし、物理的に麻痺して腸が動かないのだそうです。お腹が動き出すのを待つしかないとのことでした。

また、胃液が溜まっているのでベッドの頭の方を30〜45度にして逆流しないようにしているとのことでした。


 
2016.8.1 PLの花火(狭山池より)
風下側からの撮影になってしまいました。
2020年から花火大会は開催されていません。





母がコロナに!

2023-08-04 20:50:34 | 
8月4日(金)病院から連絡がありました。

母がコロナの陽性になったということです。

今のところ、熱などの症状はないので薬は飲んでいないとのこと





8月1日(火)にコロナの患者が出たので、面会は出来ないと連絡がありました。

それまで毎日のように主治医から母の病状について連絡がありました。

7月29日(土)
吐いて、誤嚥性肺炎の恐れがあるので鼻から胃へ栄養を流すチューブを抜いた。

今までの検査の結果の報告もあるとのことで病院へ。

7月31日(月)
少しよくなったのでチューブを再開した。

8月1日(火)
緑色のもの(胆汁)を吐いた。

胃に水を送っているが普通の人は腸に流れるのに母の場合は溜まったままで腸に流れていかない。

逆流性食道炎になる可能性がある。大量にもどすと誤嚥性肺炎になる。

胃の中にチューブは入れているがサイフォンの働きで胃の中のものを外に出している。その代わり、点滴をしている。

8月4日(金)
点滴は続けている。胃の中の水が減って来ている。良い方向。





目まぐるしく体調が変わり、一喜一憂している中、面会が出来なくなりました。

そんな中、今日、母がコロナの陽性になったとの連絡。

今のところは熱は出ていないということですが、かなり体力の落ちている母がこれから熱などの症状が出たら、一気に悪くなるのではと気が気ではありません。





お寿司を食べられることを目標に食道と胃の接合部のがんを切除したのにどうしてこんなことになってしまうのでしょう。


「どのくらいで面接ができるようになりますか?」と主治医に聞いたところ、「最低でも2週間、今までのことを考えると1ヶ月はかかるだろう。」とのことでした。

私の周りでもコロナが流行ってきていて、その感染力がとても強いことは聞いていましたが、病院でどのくらい患者が出ているのか、亡くなっている人は出ているのか気になります。

母は症状が出た時、水が腸に流れないのに薬は届くのでしょうか?





この頃、母が私たちにしてくれたこと、母の仕草などが思い出され涙が出ます。


<写真は2019年8月6日の伊吹山>