クローバー 匍匐(ほふく) 福福

末梢神経鞘腫瘍で右前足と肩甲骨を切断したココのことや身の回りの出来事など日々感じたことを発信します。

ココの記念日

2023-09-30 15:05:00 | 

ココは2年前の9月23日に我が家に来ました。
犬3匹、猫15匹のところからでした。

人が大好き、抱っこが大好き、散歩の大好きなココはどうしてたのかな?

近所の方にお聞きするとココが一番怒られていたそうです。


昨年の9月27日、ココは右前足を悪性腫瘍のため切断しました。

今年6月、手術した病院でMRI検査の結果、再発の可能性があると言われました。

その時に、同じ病気で足を切断した20頭のうち半数は1年以内に亡くなっていると聞かされました。

9月27日にその1年をクリア出来たのです。とってもとっても嬉しくて、ありがたいです。

ココが元気でいてくれているので、私も落ち込まずに済んでいると思います。


ところが、その日ココは体調が悪く大変な日でした。

数日前から下痢と嘔吐がありました。


でも、ココは元気そうでした。





26日に近くの田んぼの彼岸花を撮影に行きました。

ココは足が3本で疲れやすいので、よく抱っこをせがみます。それで、カートに乗せて行きました。





ところが27日、朝2回嘔吐と下痢をしたので動物病院に電話をしました。

元気がなくぐったりしていなければ、家で様子を見てもいいだろうとのことでした。
(車があれば、すぐに行くのですが、獣医さんと相談して出来るだけ行かずに済むようにしてもらっています。)

ところが、その後夜中まで血便が7、8回続きました。

ココはいつもシートの上で用を足すのですが間に合わないようでした。





夜中の11時頃、かかりつけの病院に電話をしたら夜間対応の病院を紹介されましたが休診でした。

私の知っている別の夜間対応の病院は当日を含む2日間休診でした。

夜、寝ている間どうなるか心配しましたが、大丈夫でした。





28日動物病院に行き、注射と点滴をして、新たな薬をもらってきました。

大腸炎だろうとのことでしたが大腸がんの可能性もあると言われました。

悪性腫瘍で手術しただけに少しは気になりますが、あくまでも可能性があることを言われたのだと受け止めています。

ココはお医者さんに行ってもお利口です。


29日にはやっと普通の状態に戻りホッとしました。




術後1周年のお祝い会を10月3日に行なう予定ですが、母がいつ逝ってもおかしくない状況になってきました。



とっても悲しい

2023-09-27 23:44:46 | 

今日(9月27日)母のお見舞いに行きました。

母は先週と違って土気色をしていました。

また、今までの病衣ではなく、白いガーゼのようなものを巻かれていました。

何か理由はあったのでしょうが、昨日はっきりと点滴だけにしてくださいと言ったあとなので複雑な気持ちになりました。(あとで確認すると入浴の準備だったそうです。)





24年前、母と私が行った中央ヨーロッパのアルバムを見せました。

目はアルバムを見ているようですが全く反応がありません。





顔を見ると吐いたのか薄い血の混じった液が口の周りに付いていました。

ティッシュを探しましたがなかったので持っていたもので拭きました。

それを捨てようとするとゴミ箱が見あたりません。


新型のヘリコプター?

すると同室の患者さんが「首がちぎれそう。呼んでください。」と大きな声で言われます。詰所に伝えに行きました。

その時にティッシュとゴミ箱がないことを言いました。
すぐに持って来てくれました。





母にアルバムを見せていると酸素の管の一つが鼻から外れていることに気付きました。

するとまた、同室の患者さんが「ベットを上げて!」と言われます。





10分しかないので私はどうしたらいいか迷いました。

あと少しの時間しかなかったので私は写真の中の母と私と母の大親友の写っているところを指さして見せました。

すぐにピピピとなりました。





タイマーを持って詰所に行き、まず、同室の方がベットを高くしてほしいと言っておられることを伝えました。

そして、母の酸素の管(鼻の穴に合わせて二つ)のうち一つが外れていることを看護師に伝えました。





母のところに来た看護師は驚いたことに「もう直してくださったのですか?」と私に聞くではありませんか?

「どうしたらいいか分からないので触っていません。」というと改めて母の顔を見て酸素のチューブを入れ直していました。





もしかして、母が土気色をしてしんどそうにしていたのは酸素が足りなかったからだろうかということが頭をよぎりました。

悲しくなりました。
もう、死に行くものには手をかけるつもりはないのかと思ってしまいました。

心安らぐ最期を看取ってほしいです。





実は昨日、主治医から「また一から白湯を入れます。」と電話がありました。

「先日(9月16日)、もう、経管栄養(白湯から)をやめて点滴だけにするということになったのではないですか?」というと「その辺のことをハッキリ言われてなかったので…」というので「もう点滴だけにしてくださって結構です。」と伝えました。(当日、排液が0になったらチューブを抜くと言われました。)

人の命を預かるのだから念には念を入れて慎重にしているのかも知れません。

でも、家族があれだけ大きな決断をしたことをしっかり受け止めてくれているのだろうかと思いました。

本当に患者や家族に寄り添ってくれているのでしょうか?

この病院の理念は『やさしく“生命”をまもる』です。





19日に行った時、母がココを抱いている写真を一番よく見えるところに飾ってくれていました。とても、嬉しかったです。

こういう小さな心遣いがどんなに患者や家族の心を優しく包んでくれることでしょう!

今日、見ると写真は他のものといっしょに下の台に積まれていて、母から見えないようになっていました。



撮影:上神谷 2023.9.26





龍王ヶ渕

2023-09-23 11:02:33 | 写真

奇跡の17分間でした。

この日の午前中、ネットを見ていると御射鹿池にそっくりなところが奈良にあることが分かりました。

御射鹿池は東山魁夷の「緑響く」のモチーフになったところです。

緑の木々をバックに池の向こう岸に白馬が佇んでいる幽玄な雰囲気のする絵を見たことのある人も多いのではないでしょうか?

前から行きたいと思っていましたが長野県の蓼科にあるので、もう行けないと諦めていました。



「龍王ヶ渕に行きたい!」と朝、弟に声をかけましたが、その時は返事はありませんでした。

この日とは9月16日、母の経鼻経管栄養をやめると主治医に伝えた日です。

病院を出ると弟は「気分転換に行こう!」とすぐに家に帰って、ココを迎え出発しました。15時頃でした。




地図で見るとそんなに遠くないと思っていました。ところが、奈良の桜井市のすぐ東と思っていましたが、行けども行けども辿り着きません。

途中、弟は「ここまで来たら、金沢に帰りたくなったわ!」と言っていました。

後から分かったのですが、龍王ヶ渕は奈良の北東部の宇陀市にあり、曽爾高原や室生寺が近くで三重県との県境にあります。

県道を外れると細い一車線で、龍王ヶ渕に近づくと車は一台も走っていません。

龍王ヶ渕は大和富士と言われる額井岳近くの標高530mの山中にある自然の湧き水や小川の水が溜まった池と湿地帯です。





車の中で調べると龍王ヶ渕は早朝がいいとあります。その時間帯は風が吹かず水鏡になって木々が水面に映り込みやすいそうです。

また、初夏がよく、夏を過ぎると水草が多くなり水鏡が見えにくくなるそうです。

日没までに着くかどうかも気になりました。

果たしてどんな龍王ヶ渕が見られるだろうと不安になって来ました。





17時40分頃に着きました。
あたりは暗くなりかけていましたが何とか撮影出来そうです。

ベストとは言えませんが水鏡になっていました。
慌ててシャッターを切りました。

風がなく、水鏡に木々の映った様は神秘的で静寂の世界でした。
まさにギリギリのタイミングでした。

ちなみに、龍王ヶ淵は針葉樹林が多くほとんど紅葉しません。



 
遊歩道があるので、時間があれば回ってみたかったです。湿地帯なのでぬかるんでいるところが多いそうですが・・・

今回は夕方だったので、もう少し早い時間に行けたらとも思いますが、その時間、その天候だったからこそ見れた絶景だったかも知れません。

母のことで大きな決断をした後の弟の計らいに感謝します。
しかもこんなに遠くまで・・・

一昨年、下の弟が亡くなった時、弟は「したい事が出来るのはあと10年やで。」と言っていました。

要介護1になって、だんだんしたい事が出来にくくなって来た私を気遣ってくれているのかも知れません。




往復5時間の旅でした。

現地では17分の滞在でしたが、奇跡的に水鏡に映った幽玄で神秘的な風景を見ることが出来ました。

一生忘れられない景色となりました。

尚、2017年に龍王ヶ淵は絶景プロデューサー詩音さんの「死ぬまでに行きたい!世界の絶景」新日本編に掲載されているそうす。




ココを連れて行きましたが、弟は新車だったのでココをリュックから出さないようにと言いました。(弟は犬を飼ったことがありません。)

ココは狭いリュックに入ったまま、私に抱かれていました。暴れることなく静かにしていました。

ココは前の家でよく車に乗せてもらっていたようで、車が大好きです。道路でよその車のドアが開くと乗ろうとすることがあります。





帰る途中、こんなに綺麗な夕焼けを見ました。
この夕焼けが水面に映ったらさぞかし綺麗だっただろうなと思いました。


帰りに家にココを置いてから食事に行こうと思っていましたが、遅くなり、お腹が空いたのと疲れてしまったので途中でお好み焼き屋さんに寄りました。

ココを車で待たせたていたので弟が急いで食べて、すぐに車に戻ってくれましたが、ココが静かに賢く待っていたと驚いていました。



敬老の日と決断

2023-09-18 16:58:35 | 
敬老の日の贈り物をしました。

何も食べられない、外に出かけられない母に何をしようかと考えて、お花を送ることにしました。

病院に確認すると、生の花ではなくケースに入ったものにしてほしいとのことでプリザーブドフラワーにしました。

買ったものの、ガラスの入れ物に入っているので、落ちて割れるのではないかと思い、一昨年亡くなった弟のために仏壇に備えたプリザーブドフラワーの入れ物があったので、それに入れました。





メッセージも悩みました。

元気になってとか長生きしてとかは今の母の状況を見ると書けません。

日頃の感謝の気持を込めて・・・と書きました。





テレビの裏だけど、母から見えるところに置きました。

ここなら、落ちにくいと思います。

この日は左目が開かないようでした。


9月16日に弟と二人でお見舞いに行った時、冗談好きの弟が『おふくろに似て男前に産んでくれてありがとう。』とホワイトボードに書いて見せたら、母が笑いました。

久しぶりの吹き出すような笑いに弟はとても喜びました。

もちろん私も嬉しかったです。

この頃、私たちが行ってもだんだん目をつぶっていることが多くなって来ました。

それに無表情な感じがします。

だから、余計に嬉しく思いました。


 

私たちは行くたびに母の手を握っています。

その日によって、暖かい時と冷たい時があります。

時々母の髪をヘアブラシでとかしています。

10分はあっという間です。





母に大親友からいただいた絵葉書を見せるとずうっと見入っていました。

この方とは20年くらいパソコンでメールのやり取りをしていましたが全部印刷して箱の中に大切にしまっています。

文学のこと、芸術のことでとても気が合うようでした。

同じツアーでこちらのご夫婦とご一緒した時、食事の時などに会話をしていましたがそのレベルの高さに私はついていけませんでした。





16日、主治医とこれからのことを話し合いました。

今後は積極的な治療はせずに点滴のみにすると決断したと伝えました。

1ヶ月くらい前まではもしかしたら回復するのではないかと希望を持っていましたが、来るたびに衰弱していっているように見える母にもう頑張ってもらうのはかわいそうかなと思うようになりました。

主治医は鼻から胃に白湯を入れ、それが腸に入ったら栄養を入れると言っていましたが、母は白湯の段階で何度も戻し、また一からですと同じことを繰り返して来ました。

私たちはそういう治療をするということは栄養が入る可能性があるのかと期待をしていましたが、後から聞くと主治医は私が経管栄養を望んでいたから続けて来たと言っていました。

8月末、主治医から、「楽にしてあげたらどうですか?」「今回だめだったらもう一回試しますか?それがだめだったらもう一回試しますか?どこまで試しますか?」と言われた時、決断を迫られているようで辛いと言いました。

それは何がなんでも経管栄養を続けてほしいというのではなく、そのような言い方が辛かったのです。

その後、こちらから「半分覚悟はできている。」「元気そうに見えるともうちょっと頑張れるかなと思うが頑張らせて過ぎたらいけないと思う。」と主治医に伝えてきました。

でも、今回ももう一度スタートするかどうか確認しないで再開しようとしていました。

自分の母親にだったらしないと言っていました。

私は少し前、治療法を変えたら、もしかしたら違う経過を辿るのではないかと他の病院をネットで探したり、役所や手術した病院に電話をして聞いてみようかと思いました。

弟は私のいうことは分かるが、今の状態の母を動かすのはかわいそうだということで諦めました。

「点滴だけにすると1〜2月と考えておいてください。」とのことでしたが、「その人の生命力であっけなく最期を迎えられる方もおられるし、最後の最後まで普通に会話しながら最期をスーッと迎えられる方もいる。」とのことでした。

排液を見ながら、排液が0になったら、今まで白湯を入れていたチューブを抜くということです。





私たちが帰る時、手を振って見送ってくれた母。

この時も弟はとても喜びました。一旦病室を出ましたが、私が「手を振ってくれたよ!」というとあわてて戻って手を振っていました。





これは今年の3月、母の通っていたデイサービスで91歳の誕生日を祝ってもらった時の写真です。

こうして、毎月2、3枚の写真を送って来てくれました。

とってもいいところだったので、新しい施設でも行かせてほしいと何度もお願いしましたが叶いませんでした。

旧堺燈台

2023-09-15 22:39:57 | 写真
9月13日、弟に旧堺燈台に連れて行ってもらいました。

旧堺燈台は堺の夕日スポットだそうです。

堺旧港の突端に位置する旧堺燈台は、明治10(1877)年に建築された建物です。

現地に現存する洋式木造燈台としては、わが国で最も古いものの一つとして、昭和47年に国の史跡に指定されています。

弟は金沢に住んでいますが、母の見舞いに1〜2週間ごとに来ています。来たら1週間近くいます。

以前、「全然写真を撮りに行けなくなってしまった。」というと「どこへ行きたいんや?」と聞いてくれました。





そこで、私のブログのお仲間のごま☆母さんがゆめ★ちゃんを撮っていた堺の燈台がとても印象に残っていたので「旧堺燈台に行きたい。」と言いました。

でも、行こうと思っていた日は天候が良くなくて、13日は3度目のトライでした。




素晴らしい夕焼けとはなりませんでしたが、海は広く、空は澄み渡り、綺麗な夕日で、心に爽やかな風が吹いたようでした。

母のこともありますが、私自身、あまり体調が良くなく、一人で出かけようという意欲が湧きません。











久しぶりにこんなに綺麗な夕日と海が見れて、とても幸せでした。





ココはカメラを向けられるのが嫌いなので、周りに恥ずかしいほど、大きな声で名前を呼んだり、訳の分からない擬態語で呼びかけます。





この後、マジックアワーにならないか少し待ちましたが、どんどん暗くなるばかりでした。




帰る途中、カメラの手持ち夜景モードで撮りました。

私は体のふらつきと震えがあるので、カメラを構えていると、弟が「震えてるで!」と言っていましたが、さすが、手持ちと謳っているだけあって、暗くてもそれなりに撮れていました。

撮り終えて写真を見ているとああ撮れば良かった、こうすれば良かったと思うところがたくさんでした。毎回のことですが・・・