クローバー 匍匐(ほふく) 福福

末梢神経鞘腫瘍で右前足と肩甲骨を切断したココのことや身の回りの出来事など日々感じたことを発信します。

メダカの近況

2021-08-17 00:24:37 | メダカ

以前のパソコンの調子が悪く、
作業に途方もない時間がかかっていました。

新しいパソコンを買いましたが設定に戸惑っています。

眼精疲労も酷く、
更新がままなりませんが出来る範囲で
アップさせていただきます。


🔶 🔶 🔶

メダカがたくさん増えました。
知り合いに声をかけたら、200匹以上
貰っていただくことが出来ました。

それでも、まだ貰っていただける方がおられたらと
門扉に張り紙をしました。
早速、近くの方が貰いに来てくれました。
今年もメダカ仲間がたくさん増えました。



メダカは日光浴が大好きです。
陽の光を浴びることで元気になります。
でも、今の時期、一日中当たりっぱなしでは
水温が高くなり過ぎるので、日よけをしています。
陽の当たり具合を見て、時々、調節しています。







ビオトープというほどのものではありませんが、
水生植物を入れています。
メダカは草の茎の間を行ったり、来たりしています。
お気に入りの場所の様です。





最近、今年生まれたメダカも卵を産むようになりました。





ナナの思い出④

2021-08-10 22:31:24 | 
昨日はナナの四十九日でした。
お世話になった動物病院からお花が贈られてきました。
お礼の電話をしようとした途端、病院での様々な出来事が甦り、
涙で言葉が出ませんでした。
 


毎日、ナナのお骨を抱いています。
始めのうちは涙なしには抱くことは出来ませんでしたが、
この頃はあまり泣かなくなりました。



ナナの遺影の前にトピアリーを飾りました。
これを見つけた時、樹木葬をイメージしました。
こんなところで元気に走り回ってくれていたらいいなと願います。


「ナナの日常」

ナナは母が食べていると何でも貰えるので
母の膝元へ行き、食べていました。
私はあげないので食べていても来ませんでした。
   


先代犬のルルは私が働いていたこともあって、
昼間はほとんど実家でした。
父も母も二人して、何でもやり放題。


先代のルル、今日、8月10日が誕生日でした。

ルルは標準体重が6㎏のところ、8.4㎏になっていました。

ある日、ルルと歩いていると後ろから
「あー、びっくりした!黒豚が歩いているのかと思った。」
と言われてしまいました。


太っていたルル

ルルは子どもの時から病気ばかりしていました。
獣医さんの指導もあって、何度も何度も
「あげないで!」とお願いしましたがダメでした。
父の部屋に入ると塩分がいっぱいの
ポテトチップスをあげていることもありました。

そんな状態でしたので、母は何度言っても
ナナにあげてしまいます。



ただ、私が家にいることが多かったので、
気付くことは多く、肥満になることはありませんでした。
ナナは10歳を越えるまではほとんど病気知らずでした。



ナナはバナナが好きでした。
朝、いつも一欠けあげていました。
 調子が悪いと食べないので健康バロメーターのような
役割をしていました。



ナナはお水がなくなると入れ物を鼻でついて、
ガッチャン、ガッチャンと音を立てて知らせました。
ナナは腎臓が悪かったのでお水を大量に飲みました。
出来るだけ水が無くならないように気を付けていましたが
知らせてくれるのはありがたかったです。



ナナはいつもということではありませんが
私がお風呂に入っているといつの間にか浴室の前に来て、
バスマットの上で待っていました。
 


ナナは時々、こうなることがありましたが
原因はよく分かりませんでした。

ナナはトイレがきちんと出来ると
ご褒美が貰えることを知っていました。
すぐにナナの大好きなボーロ(たまにジャーキー)を
あげていましたが、私が気付かずにいると
そばに来て、ジーッと私を見つめてきます。
その表情ですぐに分かります。
「ご褒美」の言葉も分かっていました。 



ナナは和室の畳が草原に思えるのか、
よく用をたすことがありました。
何度注意してもだめなので、
和室の襖は開けておくことが出来なくなってしまいました。




6年前、金沢に行く時に購入したカートです。


サンダーバード内のナナ

最寄りの駅まではタクシーで行きましたが、
あとはずっとカートの中でした。
サンダーバードにも乗りました。

それはそれはおとなしく、コトリともしません。
具合が悪くなっていないか、死んでしまってはいないかと
何度も覗き込んでしまうほどでした。


一緒に泊まったペンション。
ナナは一緒に外出できない時、
一人で賢くお留守番をしてくれました。

生まれて初めての一泊旅行

2008/05/04 京都 嵐山

ドッグランに行きましたが、ナナは、
ただ、じっとしているだけでした。

その時の様子を別の動画で私はこのように言っています。

「ナナはお家と全然違います。
固まっています。
ボールも取りません。お散歩もしません。
走りもしません。
ほかのワンちゃん来ても、知らん顔です。」

2010年4月 京都の亀岡・嵐山と2012年5月 淡路島は
友人のOさんに連れて行ってもらいました。

犬仲間のWさんからナナに贈られた花

アウシュビッツ①

2021-08-01 21:36:11 | 平和
1993年8月、私はアウシュビッツを訪れました。
「アンネ・フランクを訪ねる旅」でした。

「私たちは忘れない。もし、忘れさせようとする人々がいたら、
私たちはいっそう強く思い出すだろう。
忘れてしまったら、私たちに未来はないのだから・・・」
この言葉は博物館の碑に書かれているものです。

戦後76年たち、アウシュビッツについて
知っている人はどのくらいいるのでしょう?
「アウシュビッツ」「大量虐殺」『ホロコースト』
という言葉だけは知っているが、
内容を知らない人も多いのではないでしょうか?

元五輪開会式ディレクターの小林賢太郎氏が芸人時代に
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という言葉を使い、
ホロコーストを笑いのネタにしたことが問題になりました。

これは小林氏だけの問題ではなく、
日本の平和教育の問題でもあると思います。

戦争を体験した方は90歳を越える方が多くなって、
話を聞くことが難しくなっています。

家族や教師から戦争の話を聞く機会も
減っているのではないでしょうか?

テレビでもお笑いやバラエティばかりで
平和や戦争を扱った番組はほとんどないといっても
いいでしょう。

だからこそ、学校で史実に基づいて丁寧に次の世代の人たちに
教えなければならないのに、
教科書から戦争・原爆記述は減少しています。

さらに、日本の戦争を美化・正当化 するような
教科書も出てきています。


28年前の写真でセピア色になっている上、
硝子越しに写したものが多く、見にくいですが、
本などからではなく、
ここでは、あえて私の写した写真を
見ていただきたいと思います。
(少し明るさなど修正しています。)
書き添えた文章はほぼ当時のままです。

トップの写真はアウシュビッツの正門です。
「働けば自由になれる」と書かれています。

アウシュビッツ近くを走る鉄道

このように貨車で運ばれた。(模型)


収容所の有刺鉄線(高圧電流が通っていた。)
左側は収容所の台所

以下はアウシュビッツ内の展示品


チクロンB(毒ガス)


刈り取られた髪の毛と髪の毛で織った布
髪の毛はドイツの会社でマットレスと布地になった。


靴の山


ブラシの山


鞄の山


義手、義足の山


眼鏡の山


子どもたちの遺品


遺された日用品


収容された人々が写された三枚一組の写真


収容者が着せられた衣服