先週の日曜日天気が良かったので、最近妻が鉄分が多くなっていることもあり、高麗川まで廃線跡を歩きに行きました。
目指すは高麗川駅から太平洋セメントまで伸びている引込線跡です。
この線は1999年に廃止になったので、我が家の1994年版の埼玉地図にはまだ記載があります。
1994年時点では太平洋セメントはまだ日本セメントでした。
左が八高線、右が川越線、そして真ん中が引込線です。
少し先でレールが途切れ、通せんぼされています。
この線はレールがかなり残っていて、しかも距離も短いので、ビギナーにも優しい廃線跡です。
踏切も残っています。
普通に生活道路として使われているようで、向こうから買い物帰りと思われる人が歩いてきました。
向こうに太平洋セメントの工場が現れたとき、工場萌え属性の方が断然強い妻は色めき立ち始めました。
もう終点です。
道路で途切れた先は工場の敷地です。
工場内の廃線跡の横が一般道路なのでそこから撮影しました。
レールは全て撤去されています。
妻の意識は既に向こうの工場に向いています。
「ふみきりちゅうい」の立て札が残っていました。
この「ふみきり」の先は駐車場になっていました。
車止めに使われているのは枕木と思われます。
上の地図によると、この駐車場の場所は終点ではなく、まだまだ線は続くようですが、これ以上は進めませんでした。
(続きます)
目指すは高麗川駅から太平洋セメントまで伸びている引込線跡です。
この線は1999年に廃止になったので、我が家の1994年版の埼玉地図にはまだ記載があります。
1994年時点では太平洋セメントはまだ日本セメントでした。
左が八高線、右が川越線、そして真ん中が引込線です。
少し先でレールが途切れ、通せんぼされています。
この線はレールがかなり残っていて、しかも距離も短いので、ビギナーにも優しい廃線跡です。
踏切も残っています。
普通に生活道路として使われているようで、向こうから買い物帰りと思われる人が歩いてきました。
向こうに太平洋セメントの工場が現れたとき、工場萌え属性の方が断然強い妻は色めき立ち始めました。
もう終点です。
道路で途切れた先は工場の敷地です。
工場内の廃線跡の横が一般道路なのでそこから撮影しました。
レールは全て撤去されています。
妻の意識は既に向こうの工場に向いています。
「ふみきりちゅうい」の立て札が残っていました。
この「ふみきり」の先は駐車場になっていました。
車止めに使われているのは枕木と思われます。
上の地図によると、この駐車場の場所は終点ではなく、まだまだ線は続くようですが、これ以上は進めませんでした。
(続きます)