介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

父の迷言「年金」 その3

2011-04-30 16:29:10 | 日記

今回は、前回の最後に出てきた疑問点の解説。

○年金に関しての迷言 その3 『親父(私の祖父)やアキ(私の伯父)は、老齢基礎年金より高い年金を受け取っていた』
 (推測ですが)これは、祖父は軍人恩給を、伯父は農業者年金を受け取っていた為です。

 祖父の方はよく判らないので説明いたしませんが、伯父は「農業農業者年金」という国民年金の変型判に加入しておりました。
 ネット検索していただければ「農業者年金」について詳しい事が書いてあると思いますが、この年金に加入している者は、国民年金に加入している者よりも400円高い保険料を納めます。公的年金制度を多少でも勉強した方であれば『400円』で気付きますが、国民年金法に定められている付加保険料を毎月納付しているのです。その結果、老齢給付開始年齢(現在であれば65歳)になると、「老齢基礎年金の満額+200円×納付月数」の年金(年額)が支給されます。

 何で、伯父が農業者年金に加入していたと言い切っているのか?
 それはある事件があったのです。そう、あれは私が小学生2年生だった時の事です。
 当時、年金の保険料は、市から委託された集金人が台帳と収納印を持って1件1件集めに廻っておりました。有る日の夜、いつもの様に我が家に来て保険料を受取って帰ったのですが・・・私が玄関と玄関先の明かりを消して鍵を閉める為にサンダルを履こうとすると、先程、集金人の小父さんが持っていたのと同じ黒いバックが三和土(タタキ)に落ちています。中を見ると聖徳太子(当時は5千円と1万円は聖徳太子でした)・伊藤博文(千円札)・板垣退助(500円札)がたくさん入って言います。
 話を戻して、バックを手にして1分程度悩んだ(はっきり言えば、拾得物横領)末に、母にバックを拾った経緯を話すと、母は「まだ近くに居ると思うから」と言ってバックを持って表へ。やや暫くすると、母がその小父さんや伯父を連れて家に戻ってきました。あの時、大分褒められた事と、子供としては過分のお礼金がもらえたのが忘れられません。
 そのときに、農業をやっている家とそうでない家では年金の保険料額が違う事を聞き知りました。長じて、労働基準法や社会保険に関係する公的資格を勉強している際に、実力試しに民間資格を受験し、そのために使ったテキストに農業者年金の事も載っており、あの時に聞いた話はこのことなのだと知ったのです。[ムダに長い文章でスイマセン]
※因みにネットで物価を調べると、平成17年を100とした場合の昭和45年の物価は33.0です。
 ですから、1÷0.330≒3.0303と言う事で、その時の1万円は今では3.03万円以上ですね。
 http://chigasakioows.cool.ne.jp/ima-ikura.shtml


 と言う事で、農家の長男であり、農地を引き継いでいた伯父は「農業者年金」。農家の次男坊で、農地を貰わずに自営業扱いで製材所に勤めていた父は「国民年金(第1号被保険者)」。
 仮に、伯父が農業者年金に40年間(480月)加入していたとすれば、少なくとも年金の年額は200円×480月=9万6千円多くなります。
9万6千円を月額にすると8千円。年金は2ヶ月毎の支給[基本的にはということで]なので、1回の支給額は1万6千円。ことによると、推測間違いをしているのかもしれませんが、農業者年金の特徴はこれだけではないので、制度を知らない方に対してだったら言いくるめる事もできますね。


介護していません

2011-04-30 14:41:38 | 日記
土曜日なので、父のところへ行ってきました。本日も30分程度。珍しく、ご機嫌は上々でした。

出掛けに向かいに住む小父さん(注1)が車を洗車していたので、何時もの様に挨拶をすると「今日は何処へ」と聞かれたので、毎週土曜日には父のところへ行っていることを話し、施設の場所を聞かれたので「穏亡家の秀さんのところ」(注2)で通じてしまいました。

そういえば、父方の叔母の一周忌が1月に行なわれ、久しぶりに叔母4名(父は、兄1名と妹5名の7人兄妹。最近、親戚の話で知ったのですが、本当は姉に当たる方が1名いるそうです)が全員集まりました。同じ町内に住んでいる一番年下の叔母[60歳は越えている]が「秀こうのところだよな。春になったら、皆でお父さんの所へ見舞いに行くから、そのときには案内してよね。」と言っておりましたが、今のところ連絡がありません。

さて、2週間続けて施設の2階へ上がると父が通路を横切って食堂へ向かい姿を見ていたので、母と二人で『今日も横切るかな~』と話しながら数秒の間ですが通路を見ると・・・だれも通りません。
食堂手前にある職員詰め所のカウンター陰で頭が良く見えない方が、だれか1名が食堂に向かって居ますが、父であればもう少し頭が見える筈。案の定、別の方でした。
では、今、父は食堂か?部屋か?とりあえず、母を職員詰め所前の長椅子に座らせて、私が食堂を見に行きましたが、食堂には居ませんでした。では、『部屋に行きましょうか』ということで、職員詰め所から通路をすこし歩いた所、通路の東向き窓の前で日向ぼっこしておりました。
近付くと、本日もご機嫌が良い様で、手を挙げてニコニコしています。車椅子の横にはユキノシタの鉢植え(注3)。でも、この鉢、水浸しでユキノシタが水没状態。今に始まった事ではないのだけど、水が多すぎる事を指摘すると、いつもの父であれば『そんなにたくさんの水が溜まっている訳が無い(水没させて、鉢植えを幾つ駄目にした事やら)』『俺は植木を育てるのは上手い。草花しか育てた事の無いお前達に何がわかる。(あの~ユキノシタも草なんですけれど)』と怒り出すのに、今日は『遣る事が無いから、つい、水を足してしまう』としか言いませんでした。
『天気も良いし、偶には散歩に行こうと』と外出を進めたのですが、「特に話す事が無いから、もう帰れ」との指示なので、逆らわずに退散。

(注1)
 以前書きましたが、住んでいる町は村社会が残っている町でして、昔、大地主だった「三井」一族が一番偉く、町に残っているのは1件のみ。次に村の東と西を管轄していた「岩崎」「住友」の両一族が偉く、町に残っているのは4件程度。残りが私の一族で、町に数10件あります。ですので、私の一族は同族内での婚姻が多く、どの家も何らかの形で親族であり、『廻り一家』を形成している事の方が当たり前です。(尚、一族名は当然に仮称です)
 さて、この小父さん。父の祖父の妹が嫁いだ先の家の出で、その嫁いだ妹から見たら孫に当たります(たしか・・・子供のときにそう教わりました)。ですので、「父親から見たら祖父の妹の孫」⇒「父の祖々父母から見たら、父とその小父は曾孫同士」
 と言う事で、「遠い親戚より近くの他人」と言う慣用句がありますが、「遠い親戚・近くの小父さん」です。
(注2)
 「穏亡家」は屋号。読み方は「おんぼや」。漢字は当て字だと思います。
 屋号の謂れは、昔、火葬の仕事や仕事をする方々を「おんぼ」と呼んでおり、この家の初代がその仕事をしていたかららしいです。
 尚、地方によっては「おんぼ」は別の意味であったりするし、火葬の仕事を別の呼び名を使っている所もあると思います。他意は御座いませんが、もし、気に障るような事がありましたらお許し下さい。
 因みに、職業から付いた屋号には「紺屋(コウヤ・染物業の事)」「油家(アブラヤ)」「桶屋(オケヤ)」「籠家(カゴヤ)」「神主」「床屋」「大工」等がありますが、どの家も現当主は屋号とは関係ない仕事をしております。
(注3)
 父は、元気な頃は盆栽や植木作りが好きだったので、この施設の職員の方が半切りにしたペットボトルに水苔を詰めた簡易な鉢に、ユキノシタを入れた物を用意してくれた。