既知の調査により、ネバダ州とオレゴン州にまたがる火山からリチウムを含む多数の金属鉱脈が発見されています。2023年8月30日に発表された論文によると、この火山には推定2000万トンから4000万トンの「世界最大規模」のリチウムが埋まっているようです。 Hydrothermal enrichment of lithium in intracaldera illite-bearing claystones | Science Advances https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.adh8183
Lithium discovery in US volcano could be biggest deposit ever found | Research | Chemistry World https://www.chemistryworld.com/news/lithium-discovery-in-us-volcano-could-be-biggest-deposit-ever-found/4018032.article
The key ingredient to millions of EVs is buried under a former volcano — but there’s still a lot we don’t know - The Verge https://www.theverge.com/2023/8/30/23849619/lithium-ev-battery-thacker-pass-mine-mcdermitt-caldera ネバダ州とオレゴン州の州境にある火山「マクダーミット・カルデラ」は、約1630万年前から始まった一連の噴火を最後に活動が確認されていません。 2017年、とある研究チームの調査により、タッカー峠と呼ばれるカルデラの一角がこれまで発見された中で最大級のリチウム鉱脈である可能性を示す証拠が発見されます。アメリカでリチウム開発を手がけるリチウム・アメリカズとオレゴン州立大学の研究者らが調査を進めたところ、付近から発見された「イライト」という鉱物からなる珍しい粘土岩が既存の粘土岩の2倍以上のリチウム濃度をもっている可能性が浮上。この調査結果は2023年8月30日に報告されました。
by Ken Lund 研究者らによると、他の場所で見つかる粘土岩のリチウム資源は100g当たりせいぜい0.4%未満ですが、タッカー峠で見つかったものは100g当たり1.3%から2.4%のリチウムを含んでいたとのことで、タッカー峠付近には推定2000万トンから4000万トンのリチウムが眠っている可能性があるそうです。 研究を主導したリチウム・アメリカズの地質学者であるトーマス・ベンソン氏は「これまでの研究ではリチウムが火山ガラスから溶け出してカルデラに蓄積したことが示唆されていましたが、それだけでは驚くほど高濃度のリチウムがどのように蓄積されたのかを説明できませんでした。我々の推測によると、熱水濃縮と呼ばれる現象が発生し、地表の下を移動するマグマがリチウムを地表付近まで運んだのだと考えられます」と説明しています。
今回の研究は、マクダーミット・カルデラの採掘権を獲得しているリチウム・アメリカズが「どの場所を採掘すれば良いか」を考えるときの手がかりとなるそうです。ベンソン氏は「熱水濃縮は火山の北部では起きていません。我々はイライトが存在する南部地域に焦点を当てる必要があると思います」と述べました。 リチウム・アメリカズは2026年にリチウム鉱脈の採掘を始める予定としていますが、地元住民や環境団体からの強い反発も受けています。
GIGAZINE
高市早苗科学技術政策担当相は12日の閣議後会見で、慶応大発の医療ベンチャー「ハートシード」が人工多能性幹細胞(iPS細胞)から作った心臓の筋肉の細胞を球状に加工した「心筋球」を、重い心不全患者の心臓に移植する世界初の治験を行い、顕著な症状改善効果が見られたことに関し、「すごくうれしく受け止めている。再生細胞医療は萌芽(ほうが)期から導入期にある技術だ。患者の皆さまにとっては大きな希望になると期待している」と話した。 その上で高市氏は、今回の研究が日本医療研究開発機構(AMED)の支援を受けたことを踏まえ、「再生細胞医療分野での研究開発を着実に発展させ、いち早くその成果を社会に還元できるように取り組みたい」と強調した。
産経新聞
9月13日に記念例大祭
東京・赤坂の乃木神社は御鎮座百周年の式年を迎へてゐる。その当日祭は11月1日であるが、9月13日の例大祭も百周年を奉祝する午前の祭典と夕方の夕御饌(ゆうみけ)の儀が厳粛に斎行される予定である。
本年から溯つて百年といへば大正12年、関東大震災の生じた年である。御祭神である乃木希典将軍御夫妻が、明治天皇の御大喪の儀の当日、御霊轜(れいじ)の皇居御発軔(はつじん)の時刻を選んで殉死を遂げられたのが大正元年9月の此の日であつたから、その11年後に乃木神社の創建が実現した事になる。此は将軍の逝去の報が世に伝はると直ちに、御夫妻を神として祀(まつ)るべしとの声が広く揚つた事から考へると少々長い歳月を費やした様に見える。
産経新聞