最大震度7を観測した能登半島地震を巡り、台湾が現地に向けて準備していた救助隊の待機を解除した措置について、SNS(交流サイト)で波紋が広がっている。台湾メディアによれば、台湾側が確認したところ、日本側に支援のニーズがなかったためだという。被害が局所的で、被災地までの進入路の確保が難しいことなどが理由とみられる。ただ、X(旧ツイッター)では「中国に忖度したのか」「岸田文雄首相は『救命・救助に全力』というなら受け入れるべきだ」などと批判的な投稿が相次いでいる。
台湾の中央通信社の日本語版サイト「フォーカス台湾」などによれば、台湾は内政部消防署(消防庁に相当)が1日夜、地震発生を受けて国際人道救援に当たる医師を含む160人規模の救助隊の準備を完了。日本側の支援要請があり次第、チャーター機で派遣する方針だったが、3日午後2時に待機を解除した。外交部(外務省)が日本側に連絡したところ、支援のニーズがないことを確認したためとしている。
今回の日本政府の対応については、作家でジャーナリストの門田隆将氏もXで「1人でも〝命を救うために〟なぜ日本は受け入れないのか。岸田首相と上川陽子外相は日台の友好が深まることがそんなに嫌なのか」と疑問視した。京大大学院教授の藤井聡元内閣官房参与もXに「救援隊が足りているとは思えないが、岸田内閣は何かに配慮したのでしょうか」と投稿した。
一方、被災地支援については米国や英国、韓国、イタリア、フィリピンの首脳らも意向を表明しているが、日本政府は現時点で海外に支援を要請していない。政府関係者によると、被災地では道路などの被害が甚大で、現時点では陸路で救助隊員を大量に送り込むことが容易でない事情があるという。
東日本大震災のように、甚大な被害を受けた地域が広範に広がっているわけでもなく、物資の輸送ルートや仕分けなど受け入れが困難な側面もある。外務省幹部は「色々な国から『日本の要請があれば支援準備は整っている』といわれている。ニーズがマッチするものがあれば、検討していくが、その手前の状況だ」と語る。
能登半島地震を受けて台湾の蔡英文総統は1日、Xに「心よりお見舞い申し上げます。現地の皆さまがご無事であること、そして一日も早く日常生活を取り戻せるようお祈り申し上げます」と投稿している。(奥原慎平) 産経新聞
東京電力福島第1原発処理水の海洋放出を巡り、日本産水産物の輸入停止措置に踏み切ったロシアの漁船が、福島第1原発から50キロ圏の日本近海で操業していることが12日、漁船に搭載された船舶自動識別装置(AIS)のデータ解析から判明した。中国と足並みをそろえる形で輸入の全面停止を発表してから16日で3カ月。禁輸措置を講じながら日本漁船と同じ海域で操業する矛盾した状況が明らかになり、専門家は「ダブルスタンダード(二重基準)の対応だ」と指摘している。
AISを搭載した船舶の位置や操業状況を確認できる「グローバル・フィッシング・ウオッチ(GFW)」で調べたところ、昨年12月中旬以降、水産資源が豊富な北方領土周辺の海域で操業していたロシアの大型トロール漁船3隻(いずれも7千トン超)が太平洋側を南下、岩手県から宮城県にかけての沖合で操業しているのが確認された。AISは条約により、海外の港を行き来する全ての旅客船や300総トン以上の全船舶に搭載が義務付けられている。
2隻は12月13~14日に福島第1原発から32~41キロの海域まで接近していたことも判明。サバやイワシを漁獲しているとみられる。海上保安庁関係者によると、海保も大型無人航空機などでこうし動きを捕捉。水産庁と情報を共有している。
産経新聞がGFWで解析したところ、2隻はロシア・カムチャツカ地方の中心都市、ペトロパブロフスクカムチャツキーを昨年9月29日と11月3日に出港。1隻は12月3日に韓国の釜山港を出港し、日本海側から津軽海峡を抜け、北方領土周辺の海域に到達していた。
処理水放出開始後、中国の漁船も福島や北海道沖の北太平洋でサバなどの漁を続けている。同じ海域で漁をする日本漁船の「日本産」は禁輸しつつ、自国産は国内で流通させており、矛盾した状況が浮き彫りとなった。
東海大の山田吉彦教授(海洋政策)は「ロシアの禁輸措置は中国に迎合した政治的圧力以外の何物でもない」と指摘。元第3管区海上保安本部長の遠山純司氏は「自国の漁業の実態に目をつぶり処理水放出のみ非難しているのは、国際的なバランスを欠いた恣意的な主張だ」と話している。
(大竹直樹、西山諒) 産経新聞
1日発生した最大震度7の能登半島地震で、火災で全域が焼失した石川県輪島市中心部の観光名所「輪島朝市」周辺では、警察や自衛隊などによる大規模捜索が続いている。現場では主に取り残された人がいないかを確認しているが、焼けずに残った輪島塗の漆器や陶器の小皿などをきれいに並べる陸上自衛隊員の姿もあった。
「これはコニシさんの家から出てきたものだから、コニシさんの家の前に並べて」
11日午後、大規模捜索に参加する陸自隊員の一人が指示を出した。別の隊員が指示に従い、がれきの中で割れずに残っていた茶碗(ちゃわん)や小皿などを焼け跡の中から取り出し、近くの歩道に置いていく。
漆器などはすすで汚れていたが、内側に繊細な花模様が描かれたものもあった。ひと通り取り出し終えると、今度は家があった場所の前に丁寧に並べていった。
なぜここまで丁寧に作業をするのか。陸自第10師団の広報担当者は「あくまで捜索なので、皿などを丁寧に置くように、とまでは命じられていない」としながらも、背景には平成23年の東日本大震災があると説明する。
「津波で壊滅した地域を捜索した際、思い出の写真など流されずに残った品を自宅と思われる場所に置いたのが、後で戻った被災者のためになったと感じる隊員がいた」。広報担当者は当時の経験を振り返り、「今回も同じようにしたのではないか」と語った。
(橘川玲奈) 産経新聞