石川県が2次避難呼びかける中“孤立集落”に残る―仲間で手を取り合う生活「ここにいたら自由ですから」 (2024年1月24日) (youtube.com)
能登半島地震で被災し、孤立集落に残る住民がいます。なぜとどまる決断をしたのか。その背景にある思いを聞きました。 雪が積もった石川県輪島市の農道。ビニール袋を片手に歩くのは、岡田健二さん(63)です。 倒れた木々を通り抜け、地震で崩れた自宅に戻ります。 岡田さん 「Q.周りはいま何人残っているんですか?金沢とか子供の所に行っとる(避難している)ので4人だけ」 岡田さんが生まれた時から暮らす三井町細屋は、山に囲まれた小さな集落。地震による土砂崩れで道が塞がれ、外からの接近が困難になる「孤立集落」となりました。 また、家の中も…。 岡田さん 「流しと風呂が全滅。座敷も全滅。食器棚が倒れてしまって、ガラスが割れてしまった。俺そこで寝とってんけど、タンスが落ちてきて頭割ってしまって、病院行くにも行かれんし。でも自衛隊が来て応急処置してくれた」 築100年を超える家は、倒壊こそ免れたものの、見る影もない状態に。 一緒に暮らしていた高校1年の長男は地震の後、小松市の親族の家に避難しました。 岡田さんは今、支給された食料や山で汲んだ水をもとに1人で暮らしています。 安全面を理由に市からは2次避難を勧められていますが、簡単に決断できないのが現状です。 岡田さん 「残るか残らないかは分からん。考えが進まん。生まれ育った家やし、今から新しい家建てる訳にはいかんし。直して住めたらいいなとは思う。しばらくの間はここに。道路が通らないことにはどうにもならん」 この集落に住む垣地太良三郎さん(75)も自宅に残ることを決めた1人です。 垣地さん 「現状見た感じで異常もないし住めますから。集団生活に入って不自由な生活をしたくないし、ここにいたら自由ですから」 一方で、残ることを決めた理由は共に育ってきた仲間の存在もあるといいます。 垣地さん 「1人だったらこんな所にいない。はっきり言って、1人になれば。いまは4人いますから。それがどういう方向にいくか。減っていけばそれなりに考えなくてはと思う」 地震で暮らしは一変しましたが、仲間で手を取り合うことで、生活が成り立っていました。 垣地さん 「(岡田さんとは)毎日しゃべっている。毎日安否確認している。一番奥で遠いから1日1回必ず出てこいよと言っている。 Q.選択の大きな要になっているのは4人いるということ? そうですね。そうでなかったら多分出ると思う」