安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

国体護持という考え方について

2023-08-14 02:30:30 | 政治
保守系の人が良く口にする言葉に「国体」とか「国体護持」とか、「万世一系」というものがあります
「万世一系」という言葉は、高天原にまします日本神道の主宰神を先祖として、「カムヤマトイワレヒコ」つまり神武天皇を初代として
男系男子を中心とする相伝によって260数代続いてきた天皇家により、国としての形を維持してきたことを指します
この天皇を中心として、一つの国としてまとまってきたことによって、国としての形が決まってきた。。。これは紛れもない事実です

神武天皇の御代には有力豪族がひしめき合っており、後の時代のような「万世一系」ではなく、有力豪族の合議制による治世であったと思われますが
やがて天皇家の力が固まってきて、古事記、日本書紀などの日本正史が作られ、国として固まってきたものと思われます
こうした歴史を尊び、日本の国を歴史と誇りある国として末代まで残していきたい、という気持ちは至極もっともなことであり
私もまた、まさにそうあればいいなと思うものであります。。。その気持ちに嘘偽りはありません

ただ。。私は、保守系の方々が言っていること以外にも、「本当に大切なこと」があるような気がするのですよ
それはね、日本の国体を護持できていた背景にある、「信仰」というものだと思うのです
保守系の人たちの話を聞いていると「日本は歴史ある国だから守らなければならない」と言っているように私には聞こえます
「他所の国にこんな国はない、だから歴史的にも価値があるので、日本は凄い国なんだ」ということでしょう
ですが、私には、歴史よりも重要なこととして、宗教精神の大切さ、重要性を指摘しておきたいのです
私は、いかなる長い歴史よりももっと価値があるのは、本当は、国の中で培われてきた宗教的精神だと思っています
保守の方々が、この日本の国体を維持したいと願う、強い気持ちは分かるのですけれども
形だけの伝統を重んじ、宗教的精神を失った場合、長期的に見て、その国の国体を護持することはおそらく無理であろうと思います
大変残念なことですが、そもそも今、日本の信仰の中心である皇室からして、宗教的精神を失いつつあるように、私には見えるのです
日本の保守系の人が、まだ考えが多少甘いと感じることは
とにかく形だけ伝統を重んじ、国体護持を唱えても、それだけでは本当の意味で国体を護持することはできないであろうという事です

そもそも日本の保守の方々は、日本の主宰神と呼ばれている存在が、霊的な存在として本当に存在していることなど、信じちゃいないでしょう
要は、根本では唯物論を信じていて、高天原の神々など、神話の作り話だと思っているのではないでしょうか?
そういう、信仰心を失った国体護持など、魂の抜けた泥人形のようなものだと思うのです
私は、高天原の神々と呼ばれる存在も、本当に存在していると思っています
そして、その「神々と呼ばれた存在たち」は、今もインスピレーションなどを降ろしつつ、日本の政治家や思想家たちを指導していると思います
いや、それだけではなくて
彼らは人間としても生まれてくることがあって、ときどきこの地上に生まれ変わってきているはずです
そうしたこともまた、霊的な真実としてあるのだということ、これを信じている方々はどれほどいらっしゃるでしょうか?

残念なことなのですが、日本神道には霊的な実相を教える教義。。。つまり、教えの中身がありません
これを補ってきたのが、日本では仏教なのですが、今の日本では仏教は唯物論の親戚になっていて、単なる唯物論哲学になってしまっています
仏教には生まれ変わりという思想があり、天国・地獄という世界観があります
しかし、神道にはそうした中身のある教えがなかったことも事実です
この、「教え」「教義」の欠落こそが、日本神道が世界宗教にならなかった一番の要因だと、私は考えています
要は、教えの中身がなく、宗教としての「普遍性」が欠けていた、ということです

ここからは私の想像の産物でしかないのですが
おそらく、日本神道には歴史上、こうした霊的な実相世界の教えも含め、教義を編める人物がいなかったのではないでしょうか?
例えば、日本における仏教の要であり中興の祖である行基や空海のような人物がいなかった、ということでしょう
だからこそ、民を教え、国を治める学問として、仏教を用いることにした。。。
私は、神主が唱える祝詞や、古事記、日本書紀などをどれほど教えようとも
神道の教えでもって、日本の民に善悪を教え、自らの身を修めるための修身思想を教えることはできなかったであろうと思います
ですから、日本の国民に本当の意味での善悪の違いを教え、民度の高い民衆を育てたのは、やはり仏教だったことは間違いありません
奈良時代に布施の精神を教えたのだって、奈良の大仏を建立させた行基でしたし
仏道修行をする修行者に布施することの功徳を教えたのは、ほかならぬ空海でした
仏教は他にも高徳と言われる仏教僧をたくさん輩出しています
そして、歴史上、日本の文化や国力が興隆した背景には、やはり仏教の隆盛があったことは事実です
仏教こそが、質の高い民を育てた背景にあった。。。仏教は人間教育機関そのものであったのです

最近わかってきたこととして、日本神道の神々は、すべてとは言いませんが、どちらかと言えば主流は妖怪・天狗だと言われてますし
日本神道の主宰神と言われるかたでさえ、実は神の仮面(お面)をかぶった、いわゆる「裏側」と呼ばれる霊存在でした
だからこそ、人を導く教えを説かなかったことも頷ける、というものです
いや、説かなかったんじゃなくて、「説けなかった」のでしょう
だから、「礼節を重んじる」ことを中心とし、自らを主宰神として、「教えを説かずとも我は尊い」という立場に立ってきたのだと思います

何度も言いますが、神道の「形と礼節を重んじる信仰形態」を守ったとしても、肝心な教えの中身がなければ、国が栄える事はないと私は思います
国体護持には、本当は宗教精神という魂を吹き込む必要があります
天皇制の男系を守ることだけが、「国体護持」ではないのですよ、その中身が大事なんです
神道には「教えの中身がない」ということを、そろそろ気がつかないといけません
中身(教義)がないのに、神社で祀られている神を信仰しなさいと言われても、これは土台無理な話です
それは形だけの「信仰」なのですよね

もっともっと言いたいことはあるのですが、今日はこの辺で終わりにします
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ひとりごとです。。。意味不明だと思われる方は無視してください

2023-08-12 01:25:42 | 政治
この話、分かる方には分かると思いますが、意味不明と思われる方はそのままスルーしてください。。。独り言です

最近、ある種の精神的脱力感が半端ありません
その強い脱力感は、「日本神道」に対する、ある種の”失望感”からきているように感じます
私は某創〇〇会員のように、他宗教をすべて「邪教」だと切り捨てて、他宗排撃をするような悪趣味はありません
仏壇も神棚も「邪教の産物」として捨ててしまうようなことも致しません。。。そんな人間ではないと自分では思っているのですが
今は神棚に対して、ある種の「どうでもいい」感が半端ありません。。。神社のお札やお守りも、ただの紙切れや布切れのように感じます
それというのも、あえて名前は申し上げませんが、日本神道の主宰神に対する、半端ない嫌悪感が原因です

私はこれまで、この春先まで、日本神道の主宰神というのは、世界から見れば単なる民族神ではあるものの
高い精神性をもった存在であって、尊崇されるべき神として、崇拝とまでは行かなくても、ある種の敬意と尊敬を払ってきました
しかしながら、その神道の主宰神が、実は崇高な神の仮面(お面)をかぶった、嫉妬深い、妬みの存在だったとしたら。。。。
そんなものを神として尊敬できるのか?日本の神として、これからもお祀りすることができるのか?
ここが私の中で、強く引っかかっているのです
日本神道はその主宰神からして、自らを省みる事ができない、自分可愛さに凝り固まった、嫉妬深い、「妖怪のような」存在であった
この事実に、半端なく失望し、がっかりしているのです
これまで、この事実を私自身が簡単に受け入れられず、日記にも書けないできました。。。しかし、やっと書くことができました

私はこの大和の国日本が、穢れ、薄汚れた国だったとは思っておりません
日本はやはり神の国として、数千年以上の長きにわたり、存在していたと思っています
その神の国として存在できた理由の一つが、仏教を受け入れ、大和の国の美徳の精神として昇華してきたことにあると思っています
神の国を名乗る以上は、そこに住む民の心もまた、美しくなければなりません
ところが、長きにわたって国の柱として尊崇されすぎてきたがために、自らを一番尊い神だと勘違いしてしまった
信仰を受ける存在が一番おちいりやすい落とし穴が、「自らを一番偉い神だと思って慢心してしまう」ことです
そして、自分以上の崇高な存在が出てきたときに、その存在を嫉妬で攻撃し、引きずり降ろそうとしてしまう
「かみなり」は「神成」とも言うそうですが、自らを最高の存在として、神として祀られることを望んでしまう
それが神道の最高神だとしたら、とても悲しいと言わざるを得ません

もちろん、神社を崇拝する方をどうこう言うつもりは、私にはまったくありません
ですが。。。。私は思うのですが。。。。神道の主宰神、そして神道の小さな神々の実態、真実の姿が
白日の下にさらされつつある以上、高天原への信仰は、おそらく、徐々に崩れていくであろうと思います
その流れはおそらく、もう止めようがないのではないでしょうか?
当然のことながら、信仰の崩壊がすぐに起こるとは、私は思いません
もちろん、そんなことがあれば、日本そのものが消滅の危機にさらされてしまう事でしょう
ですが、これからの日本は、信仰の観点からも、「再生」が始まっていくと私は思います
日本の国は、そもそも神仏への信仰心から立て直さない限り、いかに国を存続させようと努力しても
まず、国の内部から崩壊していくのではないでしょうか?
日本が憧れる国、アメリカが今、信仰を失って内部崩壊が始まっているように。。。です

最後に、カズ石田さんの最新動画をご紹介しておきます
アメリカもまた、信仰を失って国が内部崩壊を始めています
人間として一番大切な信仰心を失うことが如何に恐ろしい事か。。。アメリカの崩壊は、対岸の火事では済まないと、私はそう感じます

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サバイバルに向いている人

2023-08-11 02:45:03 | 政治
私は、単に長く生きながらえて裕福な生活をしたいと、そう思っているわけでは決してないのですが
これから先、年齢を重ねつつ、どうやってこの日本で生き抜いていくか?最近、それをしょっちゅう考えています
生きている限り、自分のやるべき仕事はあるのだと思うし、今世の命は、「おそらくは難しい時代を生き抜いていくことになる」
と分かっていて、この地上に生まれてきたのではないかと思っています
だからこそ、最後まで自分の使命を全うするべく頑張らねばならないとも思うわけです

ただ、私は今の日本を憂いている多くの愛国者と同じように、(単純に)日本を救いたいと思っているわけではありません
いや、この言い方は語弊がありますね。。。言い換えます
もちろん、私だってこの日本を愛する気持ちは他の愛国者にひけをとらないつもりですし、素晴らしい日本の伝統を守りたいと思っています
でも、これまでの日本の歴史はともかくとして、今の日本は、本当に私が愛すべき国であるのか?それを考えてしまうことがあります
私の本音は、「日本は、後世に残すべき素晴らしい国民が集う国」に生まれ変わって欲しい。。。というのが本心なんです
救う価値のある偉大な国として、後世に残って欲しいと思っているわけです

保守系の愛国者の方々の弁だと、「日本は歴史と伝統ある、世界でも稀な国」であると言います
確かにその通りだと思います。。。ですが、今の日本社会は、その伝統が大きく崩れてきているのではありませんか?
人間としての美徳を失ってしまっても、後世に国だけを残せればいい、というのも、確かに意味はあるかもしれませんが
それは過去の建造物をただ保存するのと何も変わりはなく、それほど大きな意味があるとは思えません
要は、もう一度この国に生まれ変わって来たい。。。そう思えるかどうかが大事なのではないでしょうか?
私は国を失えば国の美徳が失われてしまう。。。のではなく、国民が美徳を失えば国を失う(国が滅びる)のだと思います

そういう気味で、私はこれから日本が大きな困難を迎えることも、甘んじて受け入れたいと考えています
それで国民の意識が変わり、国民に美徳が生まれていけばまた、国は何度でも復活するでしょう
いまは、たとえ廃墟の中からでも、もう一度国を立て直す覚悟をするべき時だと思っています。。。そこに年齢は関係ないと思います
そういう意味で、私は今、「サバイバルする人間の条件」を考えています
そこで、私が常日頃考えている、「サバイバルに必要なこと」、を考察していこうと思います
これはあくまで、「私が考える」サバイバルの条件です。。。異論があっても大いに結構だと思います
ご意見を聞かせていただければ幸いです

①積小為大で富を蓄積する人がサバイバルできる人間の条件の一つ
まずはこれです
積小為大とは何かというと、「小さい富をコツコツかき集めて大きくしていく」ということです
二宮尊徳は、昼間農作業で忙しく、なんとか夜に勉強するために菜種を植えて油を採り、その油で灯をとって勉強しました
そのように、倹約しながら、小さな富を積み重ねて蓄積していくことが、やはり本道であろうと思います
大きな富を得るために人はとかく大きな博打をうちがちですが、これから先、国がどうなるか分からない時代には
恐らく大きな投機的な投資は、自らの資産を失うもとになるであろうと予想します
中にはきっと、投資に成功して資産を形成していく人もいると思います。。。
そういう人はそういう人で、ある意味才能があるのでしょう
ですが、投機的投資で成功し続けていくことは、これもまた困難ないばらの道でもあるのではないでしょうか?

②他人からの援助をあてにする人はサバイバルに向かない
れいわ新選組を率いる山本太郎氏は、「政府はコロナ過の生活苦にあえぐ若者にもっとお金を配れ」ということを言っていました
まあ、お金を配るのは彼の政策なので、ここで意見を言うつもりはありませんが
でも、山本氏の意見に同調して「政府はお金をもっと配れ」みたいなことを主張してやまないような人は、サバイバルには向かないと思います
私はいま自営業なのですが、同業の中には「コロナ過で行政に補助金を申請してお金をもらった」ということを、自慢げに話す人がいました
でも、いまの状況はと言いますと、私には安定して売り上げがありますが、その方は今も顧客が戻らず、苦労しているようです
そんなもので、私は最初から行政の援助などまったく眼中になく、どうやって生き延びるか?のみを考えて仕事に没頭してきました
いま考えると、コロナ陽性患者を完全に避けることができないのであれば、「どうすれば濃厚接触者にならず、仕事を継続できるか?」
について、知恵を絞って対策を講じつつ、仕事をきらさないように注文を受け続けてきました
こうやって、積極的な仕事を続けることで、顧客の信用を勝ち得た部分があったんですね
コロナ患者を忌避して仕事を受けなかった他者は、まあ、コロナが5類になった今も、そう都合よく客足が戻ってこないわけです

③コンプライアンスは大事だが、政府の言い分を真に受けすぎる人はサバイバルに向かない
私は、コロナワクチンが半強制的であった2020~2020年ごろまで、どうやってワクチン接種を回避し、仕事も続けていけるか?
それをよく考えていました。。。何しろ切実な問題だったですからね
もちろん私はワクチン未接種者なのですが、仕事先でよく聞かれるわけですよ。。。「もう打たれましたか?」って、ワンパターンにね(笑)
で、考えたあげく、嘘をつかないいい方法を考えました
「残念ながらまだ3回目は打ってません」。。。私はそう答えることにしていました。。。嘘は言っていないので(笑)
だいたい、ワクチンが魔法の薬のようによく効くのであれば、打たない人に説教なんかしなくても、自分一人が摂取すれば事足りるわけです
素直すぎて、政府や世の人たちの世論に同調しやすい人は、サバイバルに向かない。。。生き残れない人のような気がします
それが、ハンナ・アーレントの言う、空気の支配。。。「全体主義」であることを理解できないわけです
ワクチンを半強制している一般人は、全然悪人じゃないわけです。。。むしろ凡庸であるわけです
「悪の凡庸」とはよく言ったもので、ナチスのアイヒマンが、上からの命令に忠実なだけの凡庸な男だったことは良く知られています

④プライドが高すぎて仕事を選びすぎる人はサバイバルに向かない
まあ、高級官僚が天下りするなどというような特殊な事例は別として
これから先、例えばリストラされてしまったとして
「プライドが許さない」として仕事を選びすぎる人は、サバイバルに向かないんじゃないかと思います
もちろん、社会通念として「悪」と認定されるような仕事を避けることは勿論大事です
しかしながら、この点ではいつも思うのですが、「母は強し」で、子供を一人で一生懸命育てているような母親は、やはりメンタルが強いですね
私の身内にもそういう女性は何人もいます
要は、サバイバルの一番大事な点は何かというと、「プライドを捨てても、生き残って見せる」という強い覚悟だと思います
腹が座っている人が一番強く、サバイバルに向く人。。。これがもっとも重要な結論ですね

⑤書をよく読み、先のことをよく考えて、いざというときの用意を怠らない用心深さがサバイバルには重要
これも大事だと思います
いまで言えば、ドルの信用が凋落しつつある。。。なんてことも、本当に世界情勢に興味を持ち、勉強している人には良く理解できるわけで
それがゆえに、将来はどう備えればいいか?そうしたことを考えることもできるわけです

以上、縷々語ってきましたが。。。自分自身の忘備録として利用し、今後も色々とサバイバルについて思考を巡らせたいと思います
それではまた

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最近はコロナワクチンを打つと免疫力が落ちる。。。と報道しているのですか?

2023-08-10 02:37:59 | 政治
最近は、日本政府の嘘つきっぷりに慣れてしまったと言いますか、すっかり、政府の主張は話1割以下しか信用しない私ですが
知り合いのお年寄りに聞くと、テレビでは「ワクチンを打つと体の免疫力が落ちる」とか、「政治家はコロナワクチンを2割しか打っていない」とか
コロナワクチンについても、いろんなネガティブなことを報道していると言います。。。
マスゴミがこんなことを報道する裏にはいったい何があるのだろう。。。などと、私などは彼らの裏の意図を勘繰るのですが。。。

そんなことなら、コロナ関連で、無駄どころか害悪でしかないワクチンのために
数十兆円の税金をドブに捨てた政府の責任追及をもっとやってくれればいいのに
と思うわけですが、まあ彼らにそんな大それたことができるわけもありません

私は思うんですが、日本人もまた、「反省のできない」人ばかりです
私は、たとえ世間の同調圧力が強く、またマスコミによって騙されたにしても、
それでも、他人にもワクチンを打つよう半強制した人は、他人の体に異物を入れることを強弁したことについて、素直に振り返るべきでしょう
「間違ったことをしたならば、やはり反省が必要なんではないの?」と思います
「政府が言っているから」ということで、何の疑いもなくワクチンを他人にも「打ちなさい」と主張し
打ちたくない人に対して「あなたが他の人にうつしたらどう責任をとるのか?」とまで言って、強く非難していたはずです
今になって政治家たちは「ワクチンは元々強制ではなかった」などと言い訳じみたことを言っているようですが
こういうのが「反省のできない」人たちなんですよ

いや、「私自身は言ってないから私は反省しなくていい。。。あんたが反省してろ」などと言うつもりは毛頭ありません
私だって、例えば小泉純一郎が総理になった時には、自民党員だったので小泉に一票入れましたし
その判断が間違っていたこと、今となっては反省しきりなんです
私が言いたいのは、「やはり人間として、判断が間違っていたならば、素直に認めるべき」
ということなんです
判断を間違えたら、その原因について素直に認め、反省すべきは反省すべきなんです

昔から、日本の官僚組織などでも、「官僚が集団で間違いを犯すと、間違いを犯した人たちは出世する」などという事が起きるそうです
真珠湾攻撃が起きる前に歓送迎会をやって酒を飲み、本国政府(日本政府)から
「翌日の○○時には必ずアメリカに宣戦布告の文書を手渡すように」と厳命されていたにもかかわらず
アメリカに宣戦布告文書を時間通りに手渡さなかった、当時のとんでもない日本の外交官たちが、戦後出世したことは有名な話です
彼らの大ポカのせいで、「日本は真珠湾攻撃という卑怯な攻撃をした卑怯な国」という汚名を、国ぐるみで着せられたにもかかわらず。。。です

そういうのが、やはり、反省のできない人たちなんですよね
集団でとてつもなく大きなミスやってしまったら、誤魔化して、お互いにミスを帳消しにしてしまう
それどころか、取り返しのつかない外交上のミスをした人たちが、自らをかばい合うことで、お互いが相手を持ち上げる
痛いところをつつかれないように、相手が間違っていても指摘しない。。。まあ、よくある馴れ合いですわね
暴力団から裏金を受け取ってしまったが最後、同じ穴の狢で、警察官が暴力団に取り込まれてしまうのと、全く同じ論理です
日本人は、昔はもっと「いさぎよさ」というのがあったように思うのですが
いつから、「自分は間違っていない」と主張することに固執するようになってしまったのでしょうか?
特に、まあ個人名をあげるとあまりよろしくないかもしれませんが
最近色々なところに出てくる「ヒロユキ」氏なども、屁理屈ばかり得意にしていて、反省のできない人なんだなと感じます

最後に、いまだに政府はマイナンバーとマイナンバー保険証に固執しています
彼らがこれほどまでマイナンバーに固執する理由。。。本当にうすら寒いです
「マイナンバーはセキュリティー上の問題があるからいけないのだ」は、問題の本質を全く理解していないマスコミの理論ですが
本当は、「もっと奥に秘められた目的がある」ということを指摘するマスコミは現れるのでしょうか?
この国はまるで、反省のできない妖怪国家のようです
政治家もマスコミも。。。そして、自らの間違いを反省のできない国民も
自らの責任回避に明け暮れるあまり、国が方向を見失って亡びるかもしれない。。。ということを考えて欲しいと思います

サバイバルの時代はこれからです
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またコロナウイルスが流行っていますが。。。マスクの効果はいかに?

2023-08-07 12:56:45 | 政治
またぞろ新型コロナウイルスが巷で流行っています
感染症5類適用の扱いになってから、私も仕事柄、感染者に接触することが増えてまいりました

以前、色々とご紹介した動画の中に、及川幸久さんが、感染症やウイルス学の専門家の話をインタビューで聞いている動画があったように思います
確か、ユーチューブだけでなく、ニコニコ動画で配信されていました。。。井上正康先生でしたかね
この先生のライブ適塾、色々と参考になりますので、ご紹介をしておきます
井上正康 LIVE適塾 世相解剖学(井上正康) - ニコニコチャンネル:社会・言論

井上正康 LIVE適塾 世相解剖学(井上正康) - ニコニコチャンネル:社会・言論

~そこが知りたい医療の真実~ 井上正康先生の対談などをLIVE配信でお届けするチャンネルです。年齢・学歴・職業一切問わず正...

井上正康 LIVE適塾 世相解剖学

 


井上先生の解説は非常に解りやすく、とてもためになるのですが、一つだけ、井上先生の解釈が間違っている可能性があることについて
私なりに。。。大変僭越なことであり、私は専門家でも何でもありませんので、間違っていたらご適していただきたいと思いますが。。。
一つだけご指摘させていただきたいと思います
それは、井上先生のマスクに関する見解についてです
井上先生は、コロナウイルスはマスクなどよりはるかに微小で小さいので、つけていても意味がない。。。そうおっしゃるのですが
確かに大きさから言えば、ウイルスは不織布などのフィルター膜よりもはるかに小さいものであり、一見意味がない。。。ようにも見えるのですが
実は、これを機械工学などの流体力学から見ると、解釈が間違っているように、私には思えるんですね

確かに、マスクを何度も使いまわすようなことは、とても不衛生なものなのですが。。。
コロナ患者と接触するときなどには、やはりマスクは必要だと私は感じます
確かに。。。感染症を防ぐには、まずは換気(空気を常に入れ替える)することが大事ですし、飛沫が飛ぶのを防ぐことも大事です
ですが、マスクによってウイルス感染が防げないかというと、実はそんなこともない。。。というのが、私個人の見解です
巷のマスクなどを見ると、「ウイルス除去率99.9%」などと書いています。。。これを過信することは禁物なのですが
実際に、不織布などの膜の網の目よりも、ウイルスははるかに小さい。。。しかし、ウイルスを一定割合で除去できるのです
その理屈はね、じつは流体力学にあるのです

実は、私は昔(10年以上前)、このフィルターを仕事で使う仕事をしていました
ですから、逆浸透膜や中空糸膜、不織布膜など、いろんなフィルターの理屈を勉強していました
その中でもね、不織布(綿花などのワタを何層にも重ねて圧縮した構造の布状繊維)はね
「繊維が細かく、目が細かいから異物を除去できる」のではないんですよ。。。それは理屈が違うのです
空気や水のような流体物には粘性(粘り気)があります、だから不織布の間を空気が通るときに、粘性によって流体の通過速度が落ちるんですね
そして、フィルターの隙間をウイルスなどの異物が通るとき、異物がフィルター繊維に接触します
その接触によって、異物が電気的にからめとられる。。。というのが、フィルターの機能の真実なんですね
ですから、普通の布で作ったマスクよりも不織布の方が、細かい繊維の層がはるかに多く、除去能力が高いんですね
不織布というのは、通過する空気から見ると障害物なので、障害物が多いほど、流体速度は遅くなり、接触回数が増える。。。という理屈なのです

特に、新型コロナウイルスは人間の体にくっつきやすくするためにプラスの電気性質(+荷電)の性質が強いそうですから
マイナス荷電の繊維などがあれば、とてもくっつきやすいと思います

まあですから、新型コロナ対策としては、コロナは空気感染と飛沫感染ですから
①部屋の換気
②飛沫の防止
③一緒の空間にいるときはマスク
これが実用的な対策なのだと思います。。。参考になりましたら幸いです
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