安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

今日の討論

2023-08-06 02:50:23 | 政治
今日の昼間、久しぶりに知人男性3名と、政治絡みの討論を行いました
意見を戦わせてみて、大きく意見の違う部分があるというのは興味深い反面、とてももどかしい一面もありました

前回の日記にて、私は「アメリカの本質は国家ではなく実態は企業である」と述べましたが本当にその通りだと思います
そのことについても、今日は(もう昨日になりますが)意見を戦わせました
いま私は、日本の国家の体質そのものがアメリカ的な企業国家の影響を強く受けており、とくに若い世代の人たちが
「勤勉に働くよりも、手っ取り早くお金を増やす方法」として、投資に興味を持つ人が増えていることに、危機感を覚えています
特に最近思うのが、コツコツと努力して基礎研究や技術を積み上げて成功していく、従来の日本的企業経営のあり方から
株式を取得して、手っ取り早く他社から技術を奪っていく、アメリカ型の投資家によるM&A的な資本主義経営に、企業の形が変わりつつある
ここが、最も大きな日本の危機であると思っています
つまり、「楽をして儲ける、手っ取り早くお金を稼ぐ」こうした考え方がスマートで賢いように見えるため
日本の国民性が投機的になっており、勤勉さが失われつつあるのではないか?と、私は思っていて、そのことに危機感があるのです
私はそのことを御三方に伝えたかったのですが、上手く伝わらなくて、もどかしい思いをしました

その原因は、最近では小泉構造改革あたりから始まったと、私は思っています
度重なる会社法の改正によって、会社のM&Aが加速し、「誰かの技術やノウハウを丸ごと奪う」ことが当たり前になりました
私は、M&Aがすべてだめだとは思いません
しかしながら、国が、起業家を育てるんじゃなく、手っ取り早い技術やノウハウの乗っ取りを奨励することは
はっきり言って、国を亡ぼすもとになると思っています
今の世界のスーパーパワーであるアメリカにおいては、残念ながら製造業は完全に廃れてしまった状況です
それは、国そのものが企業化し、技術を育てることを奨励しないで、金融による投機ビジネスを奨励してしまったからだと思います
もちろん、そこに反論のある方もいらっしゃるとは思います
しかし、今のアメリカが世界のスーパーパワーから転落する可能性がでてきて、非常に危うい状況になりつつあるのはなぜかと言うと
ドルの価値を支えてきたエネルギー支配体制、つまり石油利権によるドルの優位性が崩壊しつつあるからです

金融(通貨)の価値を維持するためには、その価値を支えるだけの「何か」がなければなりません
今のアメリカはバイデン政権以降、アフガンにおける、まるで敗戦のような撤退劇にはじまり
ロシア・ウクライナ戦争であれほどの支援を行ったにもかかわらず、一向に戦況が上向かず、ロシアに敗北を喫し続けていて
世界的に見たアメリカの軍事的影響力は、今現在も急速に低下し、崩壊しつつあります
これがドルの価値を崩壊させる誘因因子になっています
日本人は、この「金融(通貨)の価値を支える何か」に気がつかないといけないと思います
アメリカのマネをしていたらダメなんですよ。。。投機にうつつを抜かしていたらダメなんです
日本の通貨である円の価値を支えているのは「製造業の強さ」なんです。。。これは、多くの人がその通りだと納得するでしょう

ところが。。。です
かつての半導体大国であった日本の面影は、今は見る影もなく。。。。
かつて「日本においては、物を作るための部品はすべて自前で調達できる」といわれた時代は終わりました
製造業が技術的に他国に依存するようになってしまっては、円の価値は支えられない。。。。
今の政治家に、このことがちっとも理解されていないことに、私は本当に悲しい思いでいっぱいなのです
おそらく、心ある官僚の方々にはこんなことは自明であって、歯がゆい思いをされている方は沢山いらっしゃるでしょう
でも、今の日本の政治家は全然ダメですね

もうね、日本には狐とか狸とか、人を騙したり欺いたりする政治家は必要ありません
正直さと勤勉さ
これが国民に必要な精神だと理解し、勤勉な努力をする者が報われるための法整備ができる政治家
こういう政治家が必要なんですよ
デジタル庁を創ったり、マイナンバーをごり押ししたり、国民に投資を勧めたり、わけわからんLGBT法を強行採決させたり
こういう馬鹿な政治家はもういらない。。。。本当にそう思いますね
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アメリカを理解するときに肝心なこと

2023-08-05 01:52:01 | 政治
今日、とある高齢者女性と政治についての話をしていたのですが
「アメリカ政治の本質」について話すとき、相手にそれを説明するのがとても難しく、どう説明すればよいのか少し悩みました
そして得られた答えが
アメリカは良くも悪くも「個人主義社会」であり、その個人主義の最終的に帰結するところは、「アメリカは国家ではなく株式会社である」
という結論です

そう、アメリカの政治形態を見るとき、アメリカを一つの国家として見てしまうと、その本質を見誤ります
アメリカ政治の本質は「株式会社」だと、今、私は結論としてそう思っています
つまり、アメリカを所有しているのはアメリカの裏にいる「株主」たちなのです
そしてその「株主」たちは、厳密な意味ではアメリカ国民ではありません
そしてアメリカ政治の目的は、要するに「株主たちの利益」、という結論になります
このように解釈すると、アメリカの政治が本当に良く理解できるようになります
そして彼らアメリカの株主の発想はすべて、「株を所有していれば、すべてを自由に操ることができる」というところから始まります

我々平均的な日本人の発想からすると、日本を所有しているのは日本国民、ということになるわけですが
彼ら「アメリカの株主」は、そもそもその発想からして違うのです
彼ら株主からすると、国民は「労働力」以外の何物でもありません。。。だから、労働力は安いほどコストがかからないので良い
という発想なので。。。そもそも、国民を豊かにするという発想はないのです
彼ら株主から見れば、国民など労働力という彼らの所有物にすぎず、つまり、黒人奴隷と同じようにお金で売買される商品なのです
EUやアメリカが、「不法移民ウェルカム」なのも、その理由がうなづけるというものです。。。安い労働力、というわけです

すべてがその発想から始まっているので、例えば、小泉内閣の行った郵政民営化についても
要は、「郵便局を民営化し、その株を取得してしまえば、その資産を自由に利用する事ができる」という考えかたが根底にあると思われます
ですから、郵便局を民営化してしまえば、アフラックが株主になって、局員にノルマ付きで保険商品を販売させることも自由自在なわけです
元々郵便局は日本国民から多額の預金を預かっているわけで、これは考えようによっては、ていのいい貯金箱のようなものなのです
日本の資産を外国に売り渡した政治家の筆頭は、例えば竹中平蔵などがいますが
彼だけでなく、他の自民党の大臣や首相たちも、ほとんど例外がなく、日本の国の国体。。。仕組みを
「株主が自由にできる貯金箱、もしくはATM」に変えていっています
まあ、今のインベスト岸田や河野クズ太郎なんかも、ひどいもんですね。。。もう、売国奴という言葉さえ、彼らには生ぬるい
彼らは生きている間に、せいぜいこの世の桜花を楽しまれたらよろしかろうと思います

私は一日本国民として、「国民は平等であるべきだ」などという風には、もう思いません
そういう発想で、国民が政治に平等を求め過ぎたがゆえに、高い税金やデジタル監視社会という、高い代償を払わされようとしているのですから
民主主義は、「国民が政治に物質的な平等を求めすぎると、一人一人の自由が損なわれる」というジレンマがあります
国民が政治に「保護」を求めれば求めるほど、個人の自由は制限され、飼いならされる国民に変貌していきます
もう私は、政治に多くを求めることは致しません
それよりも、政府は国民に対する過剰な干渉をやめろと求めたいと思います
私はこれから年老いていったとしても、人生の最後まで、自分の努力によってサバイバルする意思を捨てないように生きたいと思います

最近の私は、自身の雑感を中心に日記を書いていますが
もうね、今は政治に抵抗しつつ、サバイバルでこの時代を生き抜くことを中心に考えています
これから先、もっともっと苦しい時代を生きなければならない時代が来るでしょう
そんな時代には、もう国の保護など求めるべきではありません
最後まで、希望を捨てないで生き切る。。。自らの努力で。。。それが今、私が考えていることです
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民主制国家の国民は。。。。

2023-08-04 03:03:22 | 政治
幸福実現党言論チャンネルを久しぶりにご紹介します


私はこの自民党の女性局のフランス視察の投稿がなぜ炎上しているのか?その理由を定かには知りません
まあ、あまりにも能天気な投稿だったのかどうかは知りませんが、この動画を見て感じるところがありましたので、一言書いておきます

最近私は、トクヴィルの「アメリカのデモクラシー(民主主義)」を読んだ感想をよく書いていますが
トクヴィルは、今から100年以上前の、当時のアメリカの民主主義の現状を見て
今の現代人でも見抜けないような、非常に深い洞察をしていることに、いまさらながらに驚かされます
彼は中世ヨーロッパの貴族社会と、フランス革命以降の民主主義、そしてアメリカの民主主義を比較しながら
アメリカ型の民主主義の、いったい何がいけないのか?それを本当に良く見抜いておりました
彼は、民主主義こそ専制国家に相応しい、うってつけの制度だと言います

民主主義は一見すると、専制国家のように、一人の国民が圧倒的な権力を持つことを不可能にする制度なのですが
その実、民主主義国家の国民が「平等」ということを実現するためには、「誰かに飼いならされることを甘んじて受け入れるようになる傾向を持つ」
と指摘します
つまり、政治(行政)が「平等」を謳い文句にすれば、大抵のことは我慢するようになる、というのです

民主国家と反対の貴族政国家の国民は、個人個人の結びつきが強く、民主国家でよく言われる「ヒューマン(人類)」という概念が希薄で
「国民全体が平等でなければいけない」という意識が非常に希薄でした
例えば、貴族政国家の国民のうち、上流階級の貴族たちはとても同族意識が強く、自分たちの権利を守ろうという意識は強かった反面
下層階級者への平等意識、つまり人類全体が平等でなければならない。。。という意識はほとんどなかったわけです
だから、自分たちの権利主張をしっかりする反面、下層階級の市民たちには、彼らが分を超えない限り、その権利をしっかり認めていました
つまり、貴族階級が下層階級の市民たちに無理難題を押し付け「専制政治を行う」、などという事はあり得なかったのです
貴族階級も、要は分を心得ていて、下層階級の市民たちが反乱を起こすような無理をすることを望まなかったわけです

ところが、です
民主主義国家の市民たちは、自由を欲するのと同時に、政治に「平等」を求めるようになりました
民主主義国家の市民は、「全員が平等でなければならない」という意識もまた強かったという事です
特にフランスのように革命によって「自由」を得た国と違って、アメリカはそもそも最初から「国民は自由」な状態でした
だから逆に、「国が国家権力によって国民を縛る」ということに、多少無頓着でもあったわけです
要は、「国民の平等」を保障することこそが国家の役割、のような一面が生まれてきたわけです
これは今のアメリカ社会には思い当たることが沢山あります
BLM(ブラック・ライブズ・マター)など、まさに平等意識の強すぎによる弊害、と言っていいでしょう
「黒人は虐げられてきた、差別されてきたから、白人よりも優遇されなければならない」
こういう意識が、BLMを助長させるアメリカ社会の、歪んでいびつな精神構造をあらわしているように思います
要するに、BLMのような歪んだ思想であっても、「人類の平等」を謳われては、誰も反論できないわけです

ここで上記の動画の問題に戻るわけですが
要は、日本においても、「国民への平等な補助制度」を謳うあまり、国の権力が強くなりすぎているのです
「国は豊かな者からお金を税金として取り上げて、貧しいものに分け与えるのが仕事」
みたいな方向に行っている、ということです
「誰であっても、貧しいものはすべて国の補助の対象」
みたいなことになってしまっては、いったいどれだけ税金を投入することになるのでしょう?
それが、フランスに見られるように、「高い税負担」となって、国民の勤労意欲を削いでいるのではないでしょうか?

里村氏の言うように、異次元の子育て支援を国がやり始めたとしても
それで日本の少子化が改善されるとは、私には到底思えません。。。それは、考え方が逆だと思います
要は自主自立の意識の強い国民が沢山いてこそ、国は活力が生まれ、少子化は改善されるのではないでしょうか
今日はそうしたことを考えました。。。また次回
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