MMTが世間一般に普及したおかげなのでしょうか?最近では減税を叫ぶ政党がいくつか出てきました
ですから、今は総選挙ですけれども、国民としては、自民党とは別の選択肢ができたという事で
投票行動に変化が出てきたように思えます
今回の総選挙の一番の争点は、皆さんどう思われるかは分かりませんが、私は一番が「減税」であると思います
政治家というものは、頭は良くない人が多いのですけれでも、世間の雰囲気というか、風を感じる能力だけは優れているようで
社民党や共産党までが減税を叫ぶ始末。。。。まあ、彼らの本音は違うところにあるのは間違いないですけどね
ということで、「小さな政府、安い税金」を標榜する幸福実現党に一つの提言をしたいと考えています
以前にも言ったことがあるんですが、幸福実現党はMMT現代貨幣理論がなぜこのように影響を及ぼしているのか?
それをよく理解していないように、私には見えるのです
もちろん、私は幸福実現党の政策に賛成するものです
贔屓目で見ているわけではなく、今の日本に必要なのはMMTではなくてむしろトランポノミクスであると本気で思っています
だからこそ、「小さな政府、安い税金」の幸福実現党の主張が、いま一つ説得力が持てないことに
もちろん、一部では目覚ましい影響を与えているでしょうけれども
世間がもう一つこの主張を受け入れないことに対して、残念な気持ちでいっぱいです
彼ら、現代貨幣理論を担いでいる人はね、本当は、「真の保守は自分たちだ」と自負しているのだと思うのですよ
伝統・文化を破壊する者こそ自由主義者であり、小さな政府を推進する者たちだと思っているんです
だから幸福実現党を「伝統の破壊者」だと思っている節があるんですね
これはある一面、正解です。。。もちろん幸福実現党は伝統文化の破壊者ではないというのはその通りです
ぶっちゃけ言っちゃいますが、宗教心のない自由主義者は伝統と文化を破壊する事こそ真の自由だと思っているんです
本物の宗教心のある自由主義者は、国の良い伝統と文化を守る保守主義者です
彼らには、その違いが全然分からない・。。。だから全部一緒にして、小さな政府をDSだとかレッテルを貼って攻撃する
違うっちゅうねん
そこで提言の本題なんですが
少なくとも、もう少しMMT現代貨幣理論と彼らの主張そのものを勉強した方がいいと思います
残念ですが、幸福実現党の主張していることを聞くと、貨幣理論を理解していないことがよく分かります
それは彼らの土俵に上がれと言っているんじゃないんですよ
「それでもMMTはダメなんだよ」と彼らを説得するために学ぶべき、と言っているわけです
こちらが彼らの主張を全く受け入れてない、貨幣理論を理解しようともしないから
かれらもこちらを歯牙にもかけないわけです。。。ある意味、小馬鹿にしてあざ笑っている面がある
私はそういう輩が現れるたびに反論しているんですけれども、彼らの主張は短絡的で、ある意味宗教的です
彼らが宗教的である理由は、経世済民という言葉を多用していることで理解できます
要するに「民を救うのが政治・経済の仕事」だと理解していて、それがある意味ユートピア思想であるわけです
だから、政府の仕事は国民を救う事、というフレーズが心の琴線に触れ、宗教的な側面が出ているようです
政治の仕事が国民を救う事であるのは、ある意味その通りであるわけですが
問題は、「その救い方・方法論である」ということが分からない、彼らは価値相対論の持ち主ですからね
ネズミ小僧のように、「相手が喜ぶのならお金をばら撒けばいいじゃないか」ということで
山本太郎のような、まあ事実社会主義者でしょうけれども、こういう人をも認める傾向があるわけです
本当は済民という言葉は、仏教で言うところの衆生済度の意味なんですね
もともと意味がまったく違います
衆生済度とは、一人一人の心を救うということであって、人にお金を配るという意味じゃない
一人一人に、人生を生きる意味と目的を教え、立ち直らせ、心を救うことが済度ですよ
宗教心のない(宗教心も色々であることは事実ですが)自由主義者は
長年人間社会の規範とされてきた宗教的な慣習や伝統・文化を、「縛り」ととらえる傾向があります
その慣習や伝統・文化から解放されることを「自由」と称しているわけです
この考え方、カール・ポパーの「開かれた社会とその敵」とまったく同じ思考傾向です
ですから、よく批判される新自由主義は、実は根底にあるのが無神論と無宗教、世俗的思考なんですね
この傾向は一致しているんです
逆に、トランプ氏の自由の思想は、根底にプロテスタント、福音派の信仰があります
本物の自由主義思想とは、実は宗教心、信仰心に裏打ちされているものであって
人間には神から自由が与えられているが、それは無条件に、利己的に何をしてもいいという自由ではない
自らの心を律し、神の教えを守って倫理的な心をもってはじめて、自由が許されるのだ
ということです
最近私がよく取り上げる「国家の逆襲」という本がありますが
この中で特に私が取り上げたいのが、価値の抜き取り(taking)のことです
価値の抜き取りとは何のことを言っているかというと、
アメリカの企業は利益が出た時、主に11月が多いのですけれども、「自社株買い」というのを行います
これは企業が利益が出ているのを良いことに、その利益で自社株をどんどん買い、爆上がりする株で含み益を出すというもので
これによって、企業経営者は天文学的な額の報酬を受け取っています
これ、実はマックス・ウェーバーの言う「資本主義の精神」に反した行いなんですよ
もともと、アメリカの繁栄を築いたプロテスタントたちの資本主義精神はどういうものかというと
「積小為大」、つまり、利益をさらに設備拡大などに投資して事業を拡大し、多くの人を雇い入れて社会に貢献する
社会や人のために貢献することで、金持ちも天国に入ることが許される。。。これがプロテスタントの倫理観です
「企業経営者や株主が儲けを吸い上げる」という、利己的な個人の欲の肯定は、決して「資本主義の精神」ではないのです
社会に貢献することがキリスト教徒の倫理であり、その倫理観が肯定されていたからこそ、資本主義は肯定されていたわけです
マックスウェーバーは見抜いていたんです、そのわずかな精神性の違いが「資本主義社会を成立させるか失敗させるかの分かれ道になる」ということを
それまでにも資本主義社会に似たような社会はあったが、資本主義社会として発展することはありませんでした
それは思想的に欠けているものがあったからです。。。それをマックス・ウェーバーは見抜いたわけです
この国家の逆襲をもって、「価値の抜き取りは駄目なんだ、小さな政府の弊害なんだ」と、出版関係者は言いたいのでしょうが
実は今の日本もまた、価値の抜き取りを肯定し、「投資で要領よく稼ぐ方がいい」と思っている人が増えていませんか?
これはね、日本人の性格もまた、価値の抜き取りを肯定する思考傾向に移行しつつあるという事で
決して将来的な繁栄を意味するものじゃないんですよ
私が彼らに言いたいことはね、小さな政府が悪いんじゃなくて、宗教を否定し、勤勉の精神や宗教的倫理観を否定する事こそ
本当の根本原因なんですよ
本当に国を繁栄させたいのであれば、MMTで金を刷ってもダメなんです
国民の精神性が高まらなければ、金を刷っても意味がない。。。。
ここ、私は大事な論点だと思いますよ
それではまた