久しぶりに暗くて重い話に戻ります。
夫を亡くして、女手一つで子ども3人を育てなきゃいけない母にとって
(実際、妹や弟の世話をしてきたのは私だけど)
私が子どもの頃から、私の行事で仕事を休むのが
何より嫌だった。
実際、入学式とか卒業式とか来てもらったことはないし
私の結婚式でさえ休むのが嫌で、文句を言われた。
(式は挙げていません)
じゃあいつも休まずに仕事をしていたのかと言うと
実はそんなことはない。
年に何度か旅行に行っていた。
今思えば、よく小学生の私に妹や弟を預けて…と思う。
(父方の)祖父もいたからだとは思うけど。
私としては、宿題をしただけで『家の事をやらないで!』と
ギャーギャーうるさく言われなくて済むから
母がいないことは、むしろ大歓迎だったが。
小学校の家庭科の教科書を開いて、ハンバーグとかを作っていた記憶がある。
母の旅行相手は、同業者の組合の人達や自分の姉達。
母は9人姉弟の7番目で、下2人が弟。姉が5人兄が1人いた。
姉達とは本当に仲が良かったみたいで。
今思うと、母はず~っと姉達に可愛がられる『末っ子』だったのだと。
私の結婚が決まった時の顔合わせに一番上の姉を同席させるくらい
姉達には色々と頼っていたみたいだった。
だからなのか、私にはとにかく『おねえちゃんでしょ~!!!』が口癖だった。
で、この姉達、実は私はほとんど会ったことがない。
一番上の伯母だけは知っているけど、他は母が仲良くしているだけ。
実は名前も知らない。
母が伯母さん達の話をする時は、住んでいる土地の名前を言って
例えば東京の伯母さんみたいにしか聞いていないから
名前を知る由もなかった。
父の姉妹の付き合いは私に押し付け
自分は姉達とよく旅行に行っていた。
私がアキレス腱を切った時に夫が助けてくれるよう頼んだ時は大激怒だったが
その後、宮城に姉妹旅行で来たから、家族で会いに来い!みたいに呼ばれたことがあった。
会いに行ったけど、日曜日だったし、顔を見せただけですぐ帰りました。
次の日から幼稚園始まるし。
まぁ機嫌がいいからいいか…で
その後、今のところに引っ越すことになった。
こっちに来たばかりの頃、私はどうしても受けたい講座があって。
安くないお金も払って、もうすぐ受講するという時になって
夫に仕事が入った。
小3と小4。土日2日間、朝から晩まで3人で留守番させるか…
出来なくはなかったと思うけど
引っ越したばかりだし、前に住んでたところよりも都会だし
母としては、ちょっと不安で…
安くないお金を払ったけど、諦めるか…
と、葛藤していたら、こっちに弟がいることを思い出した。
娘達は弟に会ったことがない。
弟も娘達には興味がないから、お祝い等も一切なかったし。
でも、一応おじさんにあたるわけだから
弟に電話をして、2日間こっちに来て家に居てくれないかどうか頼んでみた。
その頃はまだ、弟は電話に出てくれた。
娘達は自分のことは自分で出来るし
ご飯はちゃんと作っていくし、
ただ、娘達だけだと心配だから
同じ空間に居てくれるだけでいいから。交通費とか払うから!と。
が、なんで自分がそんなことをしなきゃいけないんだ!と
あっさり断られた。
もう講座を諦めるしかないかな…と思っていた時
たまたま母から電話があった。
最近弟に電話をして頼みごとをしたことを話したら
母は弟になんてことを頼んでいるの!!!と。
で、びっくりだったのが
私が(弟の代わりに)行くと言う…
娘達に話したら
娘達もびっくりで、ちょっと怯えた。
娘達は私がアキレス腱を切った時に母が来て怒鳴り散らしたことを覚えていた。
おばあちゃんに頼んだらダメだよ!とまで言う。
(怒鳴られたくないからね)
でも母は、私が弟に頼んで、それが弟の負担になるくらいなら
私が行く!と譲らない。
講座の日程まではあと少し。
来るなら3泊4日。
双子の出産の時も、アキレス腱を切った時も
あれだけ不機嫌で、手伝ってくれたことなんてなかったのに
大事な大事な弟の負担にならないためなら
あっさりこっちに来るんだ!と驚いた。
で、本当に来て、機嫌よく過ごし、帰って行った。
私としては助かったけど。
娘達も、その時に来てくれたことで
おばあちゃんが怒鳴り散らしたことが帳消しになった。
私としては、母が4日も店を休めたことにびっくりだった。
私の母も末っ子なので
構ってほしい感じは同じです。
娘なんだからやって当然みたいな・・・
ホントやっかいですよね、親って。
尊敬します!!
ありがとうございます。
血のつながり、本当に厄介ですよね…
いつまでもいつまでも可愛がってもらえる末っ子でいたかったのだと、今更ながら思いました。
産めたけど、母になってはいけない人って
一定数存在するのだと母を通して考えてしまいます。
ありがとうございます。
やりたい勉強をさせてもらえなった反動が出てしまったのだと思います。資格の勉強は10近くしました。
今考えても、理不尽な子ども時代だったなぁ…と思います。