少数派シリーズ/暮らし
21世紀になってから考え方が変わり年賀状や元旦メールは一切出さず
■20世紀の終わり頃、上司・同僚・部下には丁重にお断りして年賀状をやめた
若い頃は、元日に届く年賀状を心待ちにしていました。皆様も、年賀状を楽しみにしていると思います。しかし年嵩を増すと考え方も変わり、近年は年賀状はおろか元旦メールも送ることをやめました。年賀状の交換が、形式的であり空虚な気がしてならなくなったからです。職場では年末出勤最終日の打ち上げでベロベロになり、「また来年も宜しく!」と終電間際の時間に駅前で別れたのに、その数日後には「本年も宜しく」の賀状が届きます。それが世間で言う年賀状、職場への礼儀・繋がりということは十分理解しますが、私から見れば虚礼に見えて仕方ありません。20世紀の終わり頃、思い切って上司・同僚・部下には丁重にお断りして年賀状をやめました。
出世しなかった理由は、これが原因かも?(苦) また10年・20年会ったことがない遠方の仲間にも、「便りのないのが良い便り」として断りました。従って年賀状は双方向全くないので、元日はスッキリし、寂しさもありません。それに引き替え、マイ妻は年賀状大好き人間です。自分で作ればいいのに、かつての日本郵便CM・マツコデラックスのように、「夫(私)に丸投げ」です。日本郵便も年賀はがきの売れ行きが悪いため、年賀はがきの印刷サービスに熱が入ってますね。この時期になると憂鬱になる方も多く、とは言え親戚・知人や職場との付き合いのため、やめるにやめられないのでしょう。そんな方に私は大きな声で言いたい、『つまらぬ年賀状はやめなさい!』(その結果、人間関係が悪くなっても責めを負いかねます・笑)
■過去無理やり発行枚数を増やしたのでノルマ達成のため社員が自腹を切る
“年賀状仕舞い”(卒業)の増加やWebの影響から、昨今の発行枚数はピーク時2003年、44.5億枚の半分です。毎年急激に落ち、やっと日本郵便も腹をくくったようですが、判断が遅いですね。しかし今も売れないことを分かりながら、正社員を始め派遣社員まで厳しいノルマを課しています。親戚・知り合いに売りさばける程度の生易しいノルマ量ではなく、多大なものです。目標達成しなければ、出世や待遇に支障をきたす悪質な制度です。社員の中にはやむにやまれず、メルカリや金券ショップに持ち込むも、足元を見られ安く買い叩かれるので、毎年の年末には差額・数十万円も自腹を切る人が多数いると聞きました。そんな日本郵便・日本郵政を、看過することはできません。
■明治の頃は正月に年賀状を書いて送った!それが自然でしょ
話は変わり、「連名」宛名の扱いです。仲人や相手の夫婦ともに御世話になっている場合は、連名で書きます。しかし例えば主婦が相手の奥さんに送る際、見ず知らずの旦那さんでも敬意を表することから連名で書くことがあります。生活評論家が指摘したのは、受取った側は多数の年賀状の区分けを考えると、当事者同士の名前(単独名)だけのほうが効率的と言います。まあこの年齢になると、11月には親世代の「喪中はがき」が続々と届きます。多くが90歳前後で、昔の方はお元気だったんだなと感じます。『門松は冥土の旅の一里塚』とはよく言ったもので、正月を迎え自分の健康を大事にしたいと思います。と言いながら、アルコールに明け暮れる今日この頃です。貧乏所帯なので、新春は町会から配られる“門松の絵”が描かれた長細い紙を玄関に張って新春を過ごします(苦)。
明治の頃は、正月に年賀状を書いて送ったそうです。考えれば当たり前で、それが自然です。ヒネクレ者の私としては、何で12月に「謹賀新年」「あけ・おめ」と書かねばならないのかと思います。なお、年賀状のお年玉は一般からの要望によってなされたそうです。戦後しばらくは、1等はミシン・写真機・タンス・電気洗濯機など、当時、憧れの品でした。お年玉の商品も、時代に連れて大きく様変わりしてきました。だいぶ前、ニュースでやっていたのですが、幸運にも同じ年に一家で1等の大型液晶TVが2本も当ったのです。我が家では、年賀切手シートも当たらない年も。味気なくても、お年玉の原点「現金」もアリですね。でも宝くじといっしょで、年賀状をもらわなければ「当らない!」(哀)。
「年賀状の発売が既に始まっている」って間違った言葉遣いと知りました
21世紀になってから考え方が変わり年賀状や元旦メールは一切出さず
■20世紀の終わり頃、上司・同僚・部下には丁重にお断りして年賀状をやめた
若い頃は、元日に届く年賀状を心待ちにしていました。皆様も、年賀状を楽しみにしていると思います。しかし年嵩を増すと考え方も変わり、近年は年賀状はおろか元旦メールも送ることをやめました。年賀状の交換が、形式的であり空虚な気がしてならなくなったからです。職場では年末出勤最終日の打ち上げでベロベロになり、「また来年も宜しく!」と終電間際の時間に駅前で別れたのに、その数日後には「本年も宜しく」の賀状が届きます。それが世間で言う年賀状、職場への礼儀・繋がりということは十分理解しますが、私から見れば虚礼に見えて仕方ありません。20世紀の終わり頃、思い切って上司・同僚・部下には丁重にお断りして年賀状をやめました。
出世しなかった理由は、これが原因かも?(苦) また10年・20年会ったことがない遠方の仲間にも、「便りのないのが良い便り」として断りました。従って年賀状は双方向全くないので、元日はスッキリし、寂しさもありません。それに引き替え、マイ妻は年賀状大好き人間です。自分で作ればいいのに、かつての日本郵便CM・マツコデラックスのように、「夫(私)に丸投げ」です。日本郵便も年賀はがきの売れ行きが悪いため、年賀はがきの印刷サービスに熱が入ってますね。この時期になると憂鬱になる方も多く、とは言え親戚・知人や職場との付き合いのため、やめるにやめられないのでしょう。そんな方に私は大きな声で言いたい、『つまらぬ年賀状はやめなさい!』(その結果、人間関係が悪くなっても責めを負いかねます・笑)
■過去無理やり発行枚数を増やしたのでノルマ達成のため社員が自腹を切る
“年賀状仕舞い”(卒業)の増加やWebの影響から、昨今の発行枚数はピーク時2003年、44.5億枚の半分です。毎年急激に落ち、やっと日本郵便も腹をくくったようですが、判断が遅いですね。しかし今も売れないことを分かりながら、正社員を始め派遣社員まで厳しいノルマを課しています。親戚・知り合いに売りさばける程度の生易しいノルマ量ではなく、多大なものです。目標達成しなければ、出世や待遇に支障をきたす悪質な制度です。社員の中にはやむにやまれず、メルカリや金券ショップに持ち込むも、足元を見られ安く買い叩かれるので、毎年の年末には差額・数十万円も自腹を切る人が多数いると聞きました。そんな日本郵便・日本郵政を、看過することはできません。
■明治の頃は正月に年賀状を書いて送った!それが自然でしょ
話は変わり、「連名」宛名の扱いです。仲人や相手の夫婦ともに御世話になっている場合は、連名で書きます。しかし例えば主婦が相手の奥さんに送る際、見ず知らずの旦那さんでも敬意を表することから連名で書くことがあります。生活評論家が指摘したのは、受取った側は多数の年賀状の区分けを考えると、当事者同士の名前(単独名)だけのほうが効率的と言います。まあこの年齢になると、11月には親世代の「喪中はがき」が続々と届きます。多くが90歳前後で、昔の方はお元気だったんだなと感じます。『門松は冥土の旅の一里塚』とはよく言ったもので、正月を迎え自分の健康を大事にしたいと思います。と言いながら、アルコールに明け暮れる今日この頃です。貧乏所帯なので、新春は町会から配られる“門松の絵”が描かれた長細い紙を玄関に張って新春を過ごします(苦)。
明治の頃は、正月に年賀状を書いて送ったそうです。考えれば当たり前で、それが自然です。ヒネクレ者の私としては、何で12月に「謹賀新年」「あけ・おめ」と書かねばならないのかと思います。なお、年賀状のお年玉は一般からの要望によってなされたそうです。戦後しばらくは、1等はミシン・写真機・タンス・電気洗濯機など、当時、憧れの品でした。お年玉の商品も、時代に連れて大きく様変わりしてきました。だいぶ前、ニュースでやっていたのですが、幸運にも同じ年に一家で1等の大型液晶TVが2本も当ったのです。我が家では、年賀切手シートも当たらない年も。味気なくても、お年玉の原点「現金」もアリですね。でも宝くじといっしょで、年賀状をもらわなければ「当らない!」(哀)。
「年賀状の発売が既に始まっている」って間違った言葉遣いと知りました