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神宮外苑⑦明治神宮内苑が100年も緑を維持できたのには厳しい取り決めがあった/少数派

2023年09月25日 | 環境・海洋プラ
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神宮外苑⑦明治神宮内苑が100年も緑を維持できたのには厳しい取り決めがあった

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■設立当初、樹木遷移(自然淘汰)を主体にした「100年計画」が作られた
第2部的な、「明治神宮内苑・外苑100年の歴史と背景」の3回目。内苑が100年もの間、「杜」としての緑が維持できたかの心髄(理由)を案内する。100年前は植樹でありながら専門家が厳しいルールを設け、できるだけ手を加えない、樹木の遷移(自然淘汰に任す)による「100年計画」(100年後の在り方・現在見る光景)を見据えたことが素晴らしい。時の首相・大隈重信は、伊勢神宮など針葉樹を主体にした荘厳さ重視の造園デザインを主張した。100年前の先人達は、首相をも説き伏せる先見性や強い樹木への意思・迫力を感じる。当時、“子供だった木々”が成長し、100年経ち「巨木」となって鎮座する。それが、明治神宮が持つ「杜の重厚感」だ。

■「人の手を加えずとも樹木全体として天然更新が進む」徹底した考え方
Nharu『現代風に言えば、樹木などの“物質の循環”と、昆虫、鳥類、小動物ら“生命の循環”によって、永遠に持続する森林を完成していこうという理論と具体的方法を、100年以上も前に構築したのは驚くべきことだ。こうした科学的合理性にも基づくシミュレーション「林苑の創設から最後の林相(森林の様相)に至るまで変移(遷移)の順序の予想図」を作成し、植栽直後(I)、50年後(II)、100年後(III)、150年後(IV)を見通したことに、ぜひとも注目したいものである。当時の専門家が取り決めた厳しいルールが、下記の対策[画像参照]である。

Nharu①社殿地と参拝者が移動する参道以外は、一体的で連続する樹林地(植栽地)とする。②樹林地内は人の立ち入りを絶対に禁止する。③神社林は多種の樹種で構成する。植栽樹木を自然林へと遷移させるために、広葉樹や針葉樹など多様な樹種を混ぜ、高木層・中木層・低木層と樹高を多層構造にする。④樹林地では落葉は積もり、落葉は微生物で分解されて腐葉土となる。また倒木にはキノコが生え、腐って土に戻ってゆく。こうして樹林地の外に落葉や倒木を持ち出さなければ、樹林に肥料を与えなくとも、その栄養で植物は成長を続けていく。⑤土中の水分と木漏れ日の光を受け、木の実は発芽し、倒木の後には別の木が育ち、樹林全体としては天然更新が進む。こうして人の手を加えずとも、時間を経て自然林へと遷移していく。

Nharu全国から365種約12万本が献木され、計画的に植えられた。戦後から1960年代にかけて黒松(クロマツ)が約2000本、赤松(アカマツ)約1000本が、公害や病虫害の影響により枯死。70年代には煙害に抵抗力があるとして植えられた楠(クス)類が確実に本数を伸ばし、森林の遷移が順調に進んでいることが確認された。1970(S45)年の調査時には247種17万本、約50年後の2019年時点では樹木数は約3万6千本に減っている代わりに、残った木が巨木化しつつある。これは参道を掃き清める際に集めた落葉を森に戻す以外は人為的な手を加えず、森の変化を自然淘汰に任せているためである。この考え方は生物(動植物・昆虫など)にも及び、都会では珍しいどころか、新種、絶滅危惧種など3000種が報告された』。

M20230812

Sankoub
次号/神宮外苑⑧歴史を学べば神宮外苑に超高層商業ビルを建てる出鱈目さが分かる
前号/神宮外苑⑥明治神宮内苑は100年後の現在を見据えて全国から樹木が集められた

Ntopkeiji

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