少数派シリーズ/気象・季節・暦
チコ情報◇「春一番」は恐ろしい突風のことです!ウキウキ陽気なことと思っていませんか?
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■長崎県・壱岐島に「春一番発祥の地」があって江戸時代末期に突風による大惨事が起きた
NHK「チコちゃんに叱られる」を参考に、投稿者がその他の情報を加えました/キャンディーズの歌のように「♪春一番」は、待ち遠しかった春がやってきた! あるいはウキウキと陽気な季節がもうすぐやってくることと思っていませんか!それは、とんでもない間違いです。キャンディーズが悪い訳ではありませんが、この歌の影響で日本中の人が誤った解釈をするようになってしまったのです。簡単に言えば、春先(春前)に吹く突風のことです。状況によっては気象災害をもたらし、多くの方が亡くなる恐ろしい風です。本来の「春一番」について、気象庁の定義があります。①立春(2/4頃)から春分(3/21頃)までの間に ②日本海で低気圧が発達し地方予報区ぐらいの広い範囲で ③初めて、暖かく南寄りの風・8m/秒(10分平均)以上の風が吹くことです。[対象地域は北日本(北海道・東北)と沖縄を除く。相当規模の風が吹いても定義から外れる場合は、“その年は観測されなかった”と記される]。
『春一番発祥の地』があって、長崎県・壱岐島(いきのしま)の郷ノ浦(ごうのうら)です。郷ノ浦港の堤防には、大きな文字で「春一番発祥の地」と書かれ、近くの公園には石碑が刻まれています。それは江戸末期に、恐ろしい突風が吹いて大災害を起こしたからです。安政の頃・1859年、旧暦2月13日(現3/17)に、数多くの漁船が転覆、漁師53人が死亡しました。他を含め集落の半数・70軒で男手を失う大災害が起こり、今でも春一番として恐れられているのです。以前から「春一」(はるいち)と呼ばれていましたが、災害後に「春一番」とされました。その後、1959(S34)年に俳句歳時記に春の季語として春一番が載ったことから、徐々に広まっていきました。1960年前後までの新聞では「南の強風」や「春の嵐」などとされていたものが、63年頃に春一番の見出しが掲載されると、一気に認識されるようになったのです。
■大ヒット曲「春一番」の作詞家は”勘違い”していたのでは? 投稿者はそう思う!
しかし1976(S51)年にキャンディーズの曲が大ヒットすると、日本中で勘違いされるようになってしまったのです。作詞・作曲した穂口雄右(ほぐち・ゆうすけ)氏は同番組のインタビューで、「春一番が吹くと、そのあとに春が来る、その春が待ち遠しい」というイメージで作った。当時、周辺に誰も異論をはさむ人間はいなかった」とコメントしました。岡村隆史氏など番組出演者は、「エェ~」と疑いの目で笑っていました。
ここからは投稿者の文①|投稿者が思うに、曲が世に出回るにつけ、当時、「春一番」の誤った解釈が批判されたのだろうと思う。後で気付き、後付け(後なっての理由付け)にしたと思う。あの詩はどうみても”もうすぐ春だな~ウキウキしてきた”意味で、氏のコメントは言い訳に聞こえる。過去のこととは言え、間違ったことを取り繕っておりいい加減さを感じた。
曲紹介 春一番 |キャンディーズ YouTubeで聴く ← クリック!
ここからも投稿者の文②|下記に怖い事故もあるが、我が家では春一番が吹くと話題に上がる。妻が地元の有名ハンバーグ店の持ち帰り弁当を買い、橋を渡っていたところ突風に合い自転車ごと転倒した。前カゴに紙袋入り・弁当にはのし紙・輪ゴムで締められていたのに、なぜかハンバーグだけがポーンと車道に飛び出したのだ。今でも夫婦共々、不思議だと当時を振り返る。因みに高級な値段・貧乏夫婦ゆえ、家で砂や埃を払い洗ってから食べた(夫婦とも生存中)。
■さらに投稿者の文③|春一番や突風により全国各地で鉄道事故・惨事が起きている
温暖化・気候変動で、春一番以外にも暴風は全国で頻繁に起きている。地球温暖化が叫ばれる前の20世紀に、投稿者が今でも印象に残るのが、営団地下鉄東西線の車両横転と山陰線余部(あまるべ)鉄橋から車両落下事故だ。
▽営団地下鉄(東京メトロ)東西線の車両脱線・横転事故
1978(S53).2.28、江東区と江戸川区をまたぐ荒川の鉄橋上で突風を受け、10両のうち3両脱線・うち2両が横転、負傷者23人、奇跡的に死者は出なかった。当時、風による車両横転は珍しく、メディアは大騒ぎになった。投稿者の地元(江東区)だけに、印象深い。
▽山陰線余部(あまるべ)鉄橋から車両落下事故
1986(S61).12.28、兵庫県美方郡(現)余部鉄橋を走行中の回送列車8両が33mの強風に煽られ、全車両が40m下の蟹加工会社や民家に落下。従業員5人と車掌が死亡。美しい鉄橋とされていたが、2010年コンクリート橋に架け替えられた。当時、名古屋に転勤しており、いつか手前の城崎(きのさき)温泉へ行きたいと思っていた頃なので、同じく印象が強い。
NHKの同番組を参考に、投稿者(5歳+〇〇歳)がその他の内容
を付け加えました。従って番組のイメージとは異なります! バカ~!
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チコ情報◇「春一番」は恐ろしい突風のことです!ウキウキ陽気なことと思っていませんか?
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■長崎県・壱岐島に「春一番発祥の地」があって江戸時代末期に突風による大惨事が起きた
NHK「チコちゃんに叱られる」を参考に、投稿者がその他の情報を加えました/キャンディーズの歌のように「♪春一番」は、待ち遠しかった春がやってきた! あるいはウキウキと陽気な季節がもうすぐやってくることと思っていませんか!それは、とんでもない間違いです。キャンディーズが悪い訳ではありませんが、この歌の影響で日本中の人が誤った解釈をするようになってしまったのです。簡単に言えば、春先(春前)に吹く突風のことです。状況によっては気象災害をもたらし、多くの方が亡くなる恐ろしい風です。本来の「春一番」について、気象庁の定義があります。①立春(2/4頃)から春分(3/21頃)までの間に ②日本海で低気圧が発達し地方予報区ぐらいの広い範囲で ③初めて、暖かく南寄りの風・8m/秒(10分平均)以上の風が吹くことです。[対象地域は北日本(北海道・東北)と沖縄を除く。相当規模の風が吹いても定義から外れる場合は、“その年は観測されなかった”と記される]。
『春一番発祥の地』があって、長崎県・壱岐島(いきのしま)の郷ノ浦(ごうのうら)です。郷ノ浦港の堤防には、大きな文字で「春一番発祥の地」と書かれ、近くの公園には石碑が刻まれています。それは江戸末期に、恐ろしい突風が吹いて大災害を起こしたからです。安政の頃・1859年、旧暦2月13日(現3/17)に、数多くの漁船が転覆、漁師53人が死亡しました。他を含め集落の半数・70軒で男手を失う大災害が起こり、今でも春一番として恐れられているのです。以前から「春一」(はるいち)と呼ばれていましたが、災害後に「春一番」とされました。その後、1959(S34)年に俳句歳時記に春の季語として春一番が載ったことから、徐々に広まっていきました。1960年前後までの新聞では「南の強風」や「春の嵐」などとされていたものが、63年頃に春一番の見出しが掲載されると、一気に認識されるようになったのです。
■大ヒット曲「春一番」の作詞家は”勘違い”していたのでは? 投稿者はそう思う!
しかし1976(S51)年にキャンディーズの曲が大ヒットすると、日本中で勘違いされるようになってしまったのです。作詞・作曲した穂口雄右(ほぐち・ゆうすけ)氏は同番組のインタビューで、「春一番が吹くと、そのあとに春が来る、その春が待ち遠しい」というイメージで作った。当時、周辺に誰も異論をはさむ人間はいなかった」とコメントしました。岡村隆史氏など番組出演者は、「エェ~」と疑いの目で笑っていました。
ここからは投稿者の文①|投稿者が思うに、曲が世に出回るにつけ、当時、「春一番」の誤った解釈が批判されたのだろうと思う。後で気付き、後付け(後なっての理由付け)にしたと思う。あの詩はどうみても”もうすぐ春だな~ウキウキしてきた”意味で、氏のコメントは言い訳に聞こえる。過去のこととは言え、間違ったことを取り繕っておりいい加減さを感じた。
曲紹介 春一番 |キャンディーズ YouTubeで聴く ← クリック!
ここからも投稿者の文②|下記に怖い事故もあるが、我が家では春一番が吹くと話題に上がる。妻が地元の有名ハンバーグ店の持ち帰り弁当を買い、橋を渡っていたところ突風に合い自転車ごと転倒した。前カゴに紙袋入り・弁当にはのし紙・輪ゴムで締められていたのに、なぜかハンバーグだけがポーンと車道に飛び出したのだ。今でも夫婦共々、不思議だと当時を振り返る。因みに高級な値段・貧乏夫婦ゆえ、家で砂や埃を払い洗ってから食べた(夫婦とも生存中)。
■さらに投稿者の文③|春一番や突風により全国各地で鉄道事故・惨事が起きている
温暖化・気候変動で、春一番以外にも暴風は全国で頻繁に起きている。地球温暖化が叫ばれる前の20世紀に、投稿者が今でも印象に残るのが、営団地下鉄東西線の車両横転と山陰線余部(あまるべ)鉄橋から車両落下事故だ。
▽営団地下鉄(東京メトロ)東西線の車両脱線・横転事故
1978(S53).2.28、江東区と江戸川区をまたぐ荒川の鉄橋上で突風を受け、10両のうち3両脱線・うち2両が横転、負傷者23人、奇跡的に死者は出なかった。当時、風による車両横転は珍しく、メディアは大騒ぎになった。投稿者の地元(江東区)だけに、印象深い。
▽山陰線余部(あまるべ)鉄橋から車両落下事故
1986(S61).12.28、兵庫県美方郡(現)余部鉄橋を走行中の回送列車8両が33mの強風に煽られ、全車両が40m下の蟹加工会社や民家に落下。従業員5人と車掌が死亡。美しい鉄橋とされていたが、2010年コンクリート橋に架け替えられた。当時、名古屋に転勤しており、いつか手前の城崎(きのさき)温泉へ行きたいと思っていた頃なので、同じく印象が強い。
NHKの同番組を参考に、投稿者(5歳+〇〇歳)がその他の内容
を付け加えました。従って番組のイメージとは異なります! バカ~!
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