認知症と介護シリーズ5
「認知症は不便だが不幸ではない」本人にそう思わせる介護をしたい
大切なことは重度の認知症になった方でも「心は失っていない」ことです
「最初に知っておきたい認知症」(著者・杉山孝博)を参考にしました。
■介護者が穏やかに余裕を持てば認知症者も優しくなる
投稿者の妻は今のところ認知症とは縁がありませんが、いつか妻や私にその日が来るかも知れません。前号では認知症への誤解・不勉強から、当の介護者側(配偶者・家族)が苦しむ実態とその対策を、杉山孝博著 『最初に知っておきたい認知症』を参考に説明しました。そして何よりも大事なのが、介護者は認知症者の前では「世界一の俳優・名優になれ」(前号参照)と言うことでした。ある日、夫や妻、親が、今までの人ではなくなってしまう~認知症者は物忘れから始まり、相手を泥棒や食事を出さないと錯覚、徘徊や排泄物を部屋の壁に塗るなど、介護者からみれば地獄です。でも事前に認知症者の症状を理解していれば、かなり身体面や精神面で軽減できることです。
認知症の大きな特徴の1つは、「身近な人ほど意地悪になる」ことです。たまにしか会わない近所の人、朝・夜しか顔を見せない子供にはある程度しっかり対応します。しかし付きっ切りの配偶者、ヘルパーなどの介護者には強く当たります。これは幼児が母親に駄々をこねたり、困らせる心理と同じです。認知症者の心の深層は、介護者を絶対的に信頼しているからこそ、甘え、認知症の症状を強く出すと考えるべきと先生は仰っています。妻が私に強く当たってきたり、泥棒呼ばわりされても、ぐっと我慢。反発するのではなく、「まだ俺のことを思ってくれている」と理解したいと思います(涙?)。でも現実は大変、綺麗ごとでは済まされず、やはり我慢・我慢の連続でしょうね。どこまで耐えられるか・・・
もう1つが、「作用・反作用」の法則です。介護者が怒る・イライラして強く対応すると、認知症者から同じような強い反応が返ってきます。反対に穏やかに余裕を持てば、認知症者も優しくなるそうです。まさしく鏡に映った介護者の気持ちが、認知症者に映し出されるのです。一方、認知症者が暴言・暴力をふるうのは、伝えたいことがある反動だそうです。従って認知症者には、演技でも良い印象や優しい感情が残る接し方が求められます。介護者の心得として、ある程度の割り切りが必要と言われます。誤解してはいけないことは、役者に徹するのは相手を騙すことではなく相手をいたわる行為なのです。まだまだお伝えしたいことがありますが、関心のある方は御本をお読み頂きましょう。
■一人でも多くの方が認知症や介護の智恵を持てば双方の不幸が減らせる
NHKが、大々的に認知症の特集番組を放映しました(政府に追従ばかりのNHKだが、たまには良い番組もやる・笑)。皆様も、ご覧になった方が多いのではないでしょうか。感銘したのが、今回のタイトルのように、ある認知症者が「認知症になって不便だが不幸ではない」と言ったことです。相手にそう思ってもらえる生き方をさせたい!そんな介護をしたい!と思います。驚いたのは、中度・重度の方の半分が、会話ができなくても「文章が書ける」ことです。内容は、不安が隠せない中、認知症者が介護者へ詫びる文章ばかりでした。重度の認知症者でも心は失われていない、「心」を持ち続けていると思いました。一人でも多くの方が、認知症や介護の智恵を持てば、双方の不幸が減らせます。いろいろ申し上げましたが、よく考えれば私が先に認知症になって、“演技されている側”になっているかも知れません(苦笑)。
今号も最後は、認知症者の事件です。以前から心に突き刺さる事件があり、改めて時間を掛けて調べました。2006年・京都で、認知症の母と息子が桂川べりで心中を図ったものの、息子が死に切れず殺人罪に問われた事件です。母は夫の死亡後に徘徊が酷くなり、息子は退職して介護に専念せざるを得ませんでした。しかし生活保護が全く認められず、生活苦から二人で死のうとしたのです。裁判中、息子は「母の命を奪ったが、もう一度、母の子供に生まれたい」と打ち明けました。裁判官は涙を流し、「介護保険や生活保護行政などの公的支援の在り方も問われている」 「今後は自らを殺(あや)めず、母のために生きること」と励ましました(判決は懲役2年6か月、執行猶予3年)。何よりも社会保障をしっかりさせていくのが、まともな国の政治と思いますが・・・
「認知症は不便だが不幸ではない」本人にそう思わせる介護をしたい
大切なことは重度の認知症になった方でも「心は失っていない」ことです
「最初に知っておきたい認知症」(著者・杉山孝博)を参考にしました。
■介護者が穏やかに余裕を持てば認知症者も優しくなる
投稿者の妻は今のところ認知症とは縁がありませんが、いつか妻や私にその日が来るかも知れません。前号では認知症への誤解・不勉強から、当の介護者側(配偶者・家族)が苦しむ実態とその対策を、杉山孝博著 『最初に知っておきたい認知症』を参考に説明しました。そして何よりも大事なのが、介護者は認知症者の前では「世界一の俳優・名優になれ」(前号参照)と言うことでした。ある日、夫や妻、親が、今までの人ではなくなってしまう~認知症者は物忘れから始まり、相手を泥棒や食事を出さないと錯覚、徘徊や排泄物を部屋の壁に塗るなど、介護者からみれば地獄です。でも事前に認知症者の症状を理解していれば、かなり身体面や精神面で軽減できることです。
認知症の大きな特徴の1つは、「身近な人ほど意地悪になる」ことです。たまにしか会わない近所の人、朝・夜しか顔を見せない子供にはある程度しっかり対応します。しかし付きっ切りの配偶者、ヘルパーなどの介護者には強く当たります。これは幼児が母親に駄々をこねたり、困らせる心理と同じです。認知症者の心の深層は、介護者を絶対的に信頼しているからこそ、甘え、認知症の症状を強く出すと考えるべきと先生は仰っています。妻が私に強く当たってきたり、泥棒呼ばわりされても、ぐっと我慢。反発するのではなく、「まだ俺のことを思ってくれている」と理解したいと思います(涙?)。でも現実は大変、綺麗ごとでは済まされず、やはり我慢・我慢の連続でしょうね。どこまで耐えられるか・・・
もう1つが、「作用・反作用」の法則です。介護者が怒る・イライラして強く対応すると、認知症者から同じような強い反応が返ってきます。反対に穏やかに余裕を持てば、認知症者も優しくなるそうです。まさしく鏡に映った介護者の気持ちが、認知症者に映し出されるのです。一方、認知症者が暴言・暴力をふるうのは、伝えたいことがある反動だそうです。従って認知症者には、演技でも良い印象や優しい感情が残る接し方が求められます。介護者の心得として、ある程度の割り切りが必要と言われます。誤解してはいけないことは、役者に徹するのは相手を騙すことではなく相手をいたわる行為なのです。まだまだお伝えしたいことがありますが、関心のある方は御本をお読み頂きましょう。
■一人でも多くの方が認知症や介護の智恵を持てば双方の不幸が減らせる
NHKが、大々的に認知症の特集番組を放映しました(政府に追従ばかりのNHKだが、たまには良い番組もやる・笑)。皆様も、ご覧になった方が多いのではないでしょうか。感銘したのが、今回のタイトルのように、ある認知症者が「認知症になって不便だが不幸ではない」と言ったことです。相手にそう思ってもらえる生き方をさせたい!そんな介護をしたい!と思います。驚いたのは、中度・重度の方の半分が、会話ができなくても「文章が書ける」ことです。内容は、不安が隠せない中、認知症者が介護者へ詫びる文章ばかりでした。重度の認知症者でも心は失われていない、「心」を持ち続けていると思いました。一人でも多くの方が、認知症や介護の智恵を持てば、双方の不幸が減らせます。いろいろ申し上げましたが、よく考えれば私が先に認知症になって、“演技されている側”になっているかも知れません(苦笑)。
今号も最後は、認知症者の事件です。以前から心に突き刺さる事件があり、改めて時間を掛けて調べました。2006年・京都で、認知症の母と息子が桂川べりで心中を図ったものの、息子が死に切れず殺人罪に問われた事件です。母は夫の死亡後に徘徊が酷くなり、息子は退職して介護に専念せざるを得ませんでした。しかし生活保護が全く認められず、生活苦から二人で死のうとしたのです。裁判中、息子は「母の命を奪ったが、もう一度、母の子供に生まれたい」と打ち明けました。裁判官は涙を流し、「介護保険や生活保護行政などの公的支援の在り方も問われている」 「今後は自らを殺(あや)めず、母のために生きること」と励ましました(判決は懲役2年6か月、執行猶予3年)。何よりも社会保障をしっかりさせていくのが、まともな国の政治と思いますが・・・