>自民・石破茂元幹事長、「反中」「反日」利益にならず
2018.10.14 14:57 産経ニュース
自民党の石破茂元幹事長は14日、都内で開かれた日本と中国の政財界が集まるシンポジウムに参加し、今後の日中関係のあり方に関し「お互いの悪口を内政に利用するのではなく、環境問題や医療などの課題に共通認識を持って取り組める関係を構築することが大事だ」と述べた。
日中関係の現状については「中国において『反日』が政治的に利用され、わが国にも『反中』が根強いが、何の利益にならない」と指摘。「お互いが歴史を学び、いい所を認め合い、ほめていくことも大事だ」と強調した。
綺麗ごと言うのが好きな石破さんらしい物言いですね。
でも、中身何もないよね。
私もひとこと言っておきたい(わらい
日本が嫌中になったのは、江沢民時代以降からですからね。
反日・嫌中の元凶は奸“江沢民”
ちょいと当時の中国の情勢を回顧してみましょう。
89年に中国人民が民主化を要求して起ち上がりました、例の天安門事件です。
共産党は戦車を出動させ多くの犠牲者を出して鎮圧されたあの忌まわしい天安門事件です。
天安門事件は世界を震撼させ、西欧先進国は一斉に中国に制裁を課しました。
中国は事件の前年までは経済は10%台の高成長にありましたが、制裁で経済は低迷、外交も孤立すると言う体制存亡の危機に直面したのです。
この状況を打開するため中国政府は、もみ手をして日本ににじり寄って来ました。
中国側から天皇訪中の打診を受け、国内では反対運動が起きましたが、92年10月天皇陛下の中国御訪問が実現します。
中国の思惑通り、天皇陛下訪中実現の影響は、その後の欧米諸国の制裁解除へと結びついて行ったのです。
後に銭其セン元副首相(外交担当)は回顧録『中国外交20年の証言(外交十記)』で、1989年の天安門事件を受けた西側諸国の制裁を「打ち破る最良の突破口だった」と記述し、天皇訪中を政治的に利用した事実を認めている。
中国の狙い通り、 陛下の訪中実現の影響は大きかった。その後、欧米諸国の多くが積極的に中国との政治・経済分野の交流を再会し、中華人民共和国は再び経済成長の道をひた走るようになる。
ところが反日の奸“江沢民”は・・
江沢民政権は1994年に「愛国主義教育実施要綱」を制定し、「抗日戦争勝利50周年」にあたる1995年から、徹底した反日教育を推進していった。同年9月3日に北京で開催された「首都各界による抗日戦争記念ならびに世界反ファシスト戦争勝利50周年大会」で江は演説し、日中戦争の被害者数をそれまでの軍民死亡2100万(抗日勝利40周年の1985年に中国共産党が発表した数値)から死傷者数を含めた上で3500万とした。
1998年8月には、「日本に対しては、台湾問題をとことん言い続けるとともに、歴史問題を終始強調し、しかも永遠に言い続けなくてはならない」と、外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で指示を出した。江沢民の対日政策によって中国では反日感情が高まり、同時に日本でも嫌中意識が強まっていった。wikipedia
江沢民の扇動で反日が盛んとなり、これに日本が嫌悪感を持つようになっただけのことです。
日本は国交以前でも、中国に親しみを持つ親中な人が多かったんです。
ところが江沢民が反日扇動しだしたのを境に、嫌中派が増えていったのです。
今では80~90%の日本人は中国が嫌いです。
国の交わりは互恵が基本ですから、中国が反日なのに日本が親中していたら、これは単にばか者です。
そうまでして親中するは中国へ諂うと言うことです。
だから相手国が反日なら日本も反中でなければ、互恵関係にはならないのです。
友好互恵と単純に言うが、関係悪くなったときには双方が嫌うと言うのも、互恵の精神でありこれは当然なことなんです。
関係を改善するには、先に反日を仕掛けた中国側が自らの過ちを認め、友好に努めるのが先決です。
早い話、石破さんには中国へ向かって、いつまでも戦前のことを持ち出して日本を悪者扱いするのやめろよ、日本の内政に介入するなよ、ぐらいの諫言をしてほしいものです。