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「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く27 その5  わに塚へ

2023年02月27日 | ゆるキャン△

 武田八幡宮を辞して、参道を引き返して県道12号線へ左折し北に進み、上図の「わに塚のサクラ駐車場」に入りました。ゆるキャンの聖地スポットの一つで、「わに塚」の北東約100メートルに位置します。

 

 「わに塚のサクラ駐車場」の景色です。原作コミック第13巻40ページ1コマ目のアングルです。手前に停まっている青い車が今日利用したレンタカーのマツダⅡです。
 実は、この時の駐車位置を、作中で各務原姉妹が停めたラシーンと同じにしようと考えていましたが、既に白い軽に占領されていたので果たせませんでした。

 

 「わに塚のサクラ駐車場」の西に由緒ありげな神社があります。原作コミック第13巻40ページ1コマ目にも描かれているので気になっていて、これも武田氏関連の神社かな、と考えて立ち寄ってみました。石鳥居が小さくて、身をかがめないとくぐれない点は武田八幡宮の鳥居と同じでした。

 

 ですが、案内板の説明を読んで、武田氏関連のものではなく、もっと古い古代からの神社であることを知りました。要約すれば、日本武尊(やまとたける)の子で当地に封ぜられて甲斐の国を治めた武田王を祀ったことに始まる神社、ということです。武田廣神社は、その武田王の館の跡と伝えられ、「桜の御所」と呼ばれていたそうです。

 そして武田王が亡くなると、近くの塚に埋葬されたのですが、その塚が現在の「わに塚」にあたります。そして館跡には霊廟が建立され、これが後に武田廣神社となったものです。戦国期には武田信玄が諏訪神をここに合祀しており、そのために現地では諏訪神社とも呼ばれています。

 武田王については、「古事記」や「日本書紀」などの公刊史記には名が見えませんが、神道系の歴史書である「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」では日本武尊と弟橘媛(おとたちばなひめ)の子とされ、「古史古伝」のひとつ「ホツマツタヱ」では日本武尊と尾張国の宮簀媛(美夜受比売、みやずひめ)の子とされています。いずれも日本武尊の子とする点は共通しますので、元になる何らかの確かな記録または伝承があったのでしょう。

 

 武田廣神社付近より、「わに塚のサクラ駐車場」越しに南西方向を見ました。ちょうど私が停めたレンタカーの奥に一本の丸く繁った大木が見えました。それが「わに塚」のサクラでした。

 

 デジカメの望遠モードで撮影しました。付近一帯では最も大きな木であるようで、目立っています。「わに塚のサクラ駐車場」からは農道を利用した散策路をたどって行けます。

 

 その「わに塚」まで歩いていきました。散策路は車も通れますが、農業専用道なので一般車は通行禁止になっています。

 

 「わに塚」の脇に立つ新旧の案内板の新しい方です。八ヶ岳をバックにした桜の開花期の写真が貼ってあります。

 

 サクラの大木を見上げました。春の開花期の素晴らしさがリアルに想像出来ました。伝承ではここが武田王の墳墓であることになっていますが、実際に古墳のような丸い丘状の小山があり、古墳であるのかもしれませんが、その頂に上図のサクラが立っています。
 地元韮崎市では、桜の名所の一つとして紹介しており、古墳の可能性については一顧だにしていないようです。  (続く)

 

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