赤坂台総合公園ドラゴンパークは、甲斐市竜王338番地に所在しますが、利用している住民層は甲斐市よりも甲府市や韮崎市からの方々が相当の割合を占めると聞きます。確かにこれだけの広さがある総合公園は、公園緑地が多い山梨県でも稀です。
上図は、原作コミック第13巻62ページ3コマ目のアングルです。各務原姉妹の花見昼食の場所がここでした。
上図手前の地面に引かれる黒い帯線が、芝生広場の東縁を示しています。その手前が樹木の並ぶ周縁帯で、遊歩道などが配置されています。各務原姉妹は奥の展望塔の横から遊歩道を通ってここに来たのでしょう。
引き返して南側の「ピクニック広場」の横を通った際に、上図の景色を見ていて、あっ、と気付きました。
富士山が見えました。この日は曇り時々晴れという天気で、ドラゴンパークに居る時間帯は殆ど曇りでしたが、それでも富士山が見えたので嬉しくなりました。
遊歩道を引き返して、この辺りかな、と探して見つけた景色です。原作コミック第13巻63ページ1コマ目のアングルです。
赤坂台ドラゴンパークには9時47分まで居ました。この日は午後から天気が崩れるとの予報でしたので、なるべく巡礼コースを早めに回ろう、と考えて次のスポットへ急ぎました。
次の聖地スポットは、各務原姉妹が赤坂台ドラゴンパークの前に立ち寄った韮崎市の「わに塚」ですが、そこへの途中に上図の武田八幡宮が位置しているので、先に見に行くことにしました。
釜無川沿いの国道20号線を北西に進み、韮崎市役所の前を過ぎてすぐの交差点「武田橋北詰」で左折、武田橋を渡りました。武田橋からの県道602号線を道なりにたどり、その終点まで行くと、上図の武田八幡宮への参道に入りました。黒っぽく見える立派な鳥居は、二の鳥居にあたります。
県道602号線の終点が武田八幡宮でした。戦国武田氏の菱紋と、武田軍団の朱備えを思わせる真っ赤な社号標が印象的でした。一段高く石垣を積んだ上には、随神門と呼ばれる楼閣造りの門が建っています。
門前より、もと来た県道602号線を振り返りました。ここも南アルプスの裾野に位置するのでかなり標高があり、御覧のように韮崎市街も遠方に白っぽい細い線のように望まれました。
この韮崎のかつては武田郷と呼ばれた地こそ、甲斐武田氏の故郷にあたります。鎌倉時代の保延六年(1140)、源氏の新羅三郎義光の曾孫の龍光丸が十三歳の折、ここ武田八幡宮の神前で元服して武田太郎源信義と名乗りました。これが甲斐武田氏の初代となり、その居館はその東麓に構えられました。武田信義は武田八幡宮を篤くうやまい、社殿や什宝を寄進して保護に努め、武田家の氏神として尊崇しました。
この武田信義から数えて16代目が有名な武田信玄ですが、ゆるキャン世界においては、原作コミック第14巻60ページ2コマ目のように、大垣千明が武田信玄になりきっている場合があるようです。 (続く)