2024年10月20日、大徳寺の塔頭のひとつ真珠庵へ行きました。その久しぶりの特別公開にて源氏物語図屏風が初公開されると聞いた源氏物語ファンの嫁さんが「これ、絶対に行きますよ、ね?」と言い出したからでした。
地下鉄と市バスを乗り継いで大徳寺に行き、本坊の北に境内地を構える真珠庵へまっすぐに向かいました。上図はその山門です。江戸期の建物で、おそらくは寛永十五年(1638)の方丈造営の際に併せて建てられたものかと思われますが、寺の案内文にはまったく記載が見当たらず、文化財指定も受けていません。
真珠庵の表札を見ました。嫁さんは真珠庵には同志社大学在学中に一度行った事があるそうですが、私自身は初めてでしたので、今回の拝観はとても楽しみでした。
山門をくぐると石畳道が通用門をへて方丈の玄関唐門までまっすぐに続くのが見え、その左手には松の木が並んでいました。
松並木の奥には上図の庫裏がありました。杮葺の優雅な建物で、江戸初期の慶長十四年(1609)の建立とされています。書院である通僊院(つうせんいん)もほぼ同時期の建物であるらしいので、庫裏と書院とが相次いで整備された時期があったものと推定されます。
嫁さんが「真珠庵はですね、庭がけっこうあるんですけど、こちらの山門からの参道筋のところの前庭がもっとも綺麗に整ってていい雰囲気なんですよね」と嬉しそうに言いました。
それで「真珠庵は、大徳寺の塔頭のなかでお気に入り?」と訊いたら、「うーん、お気に入りと言うよりは、一休さんのお寺だったですからね、アニメの一休さんのイメージも浮かんできて親しみがある、って感じですかねー」と笑っていました。
その通り、ここ真珠庵は、室町期に大徳寺を復興して文明六年(1474)に後土御門天皇の勅命により大徳寺第四十八世住持を勤めた一休宗純(いっきゅうそうじゅん)を開祖として創建された塔頭です。周知のように、一休宗純は大徳寺住持となっても大徳寺には住まず、寺外に仮の住房を設けて半ば隠遁の生活をしていたと伝わりますが、その仮の住房がいまの真珠庵のルーツであったかと思われます。
本堂にあたる方丈の玄関である上図の唐門が、今回の特別公開の受付でした。拝観手続きを行ない、係員に見学順路の説明を受けた後、玄関廊から方丈に進みました。
今回の特別公開期間中においては、真珠庵の建物は内部のみ撮影禁止、外観や庭園だけは撮影OK、ということでしたので、とりあえず唐門の外から見える、上図の方丈の入母屋造、檜皮葺の屋根の綺麗な曲線と破風の格子を撮っておきました。 (続く)