僕にとって今シーズン一発目の大会。
結果はシングルス3位、団体戦予選敗退でした。
格上に勝ち切れなかった。
それが本当に悔やまれます。
「お前は何しにいったんだ!?」
「お前は何をしてきたんだ!?」
と、文字通り猛省。
シングルスはメダル獲得も、格上に勝ってポイントを重ねることをテーマにしているので、今回の結果は残念の一言に尽きます。
何が良くなかったのか、悪かったのか、それは大会期間中に、試合中に自分自身で気づき修正を試みることも出来ましたので、その点はよかったと思うし、成長していることだと思えました。
でも、気づき実行するのが遅かった。
卓球はメンタルのスポーツだとよく言われますが、自分自身のメンタルと同時に相手のメンタルも把握、コントロールする必要のある競技だと僕は考えます。
卓球台をはさんだ僅かな距離で向かい合う競技だからこそ、相手のメンタル、心理をも掴むことが出来る競技な訳です。
それが「ゲームのイニシアチブを持つ」ということになるのでしょう。
一流のアスリートはどんな競技であれその人がステージに立てば「今この舞台はこの人を中心に動いている」と思わせる「力」があります。
観客の立ち場でもそれをひしひしと感じるものです。
その「力」とは、オーラとか存在感、威圧感とか、第六感的感覚で表現されることが多いですけど、僕は必ずしもそうではなく、むしろそれは物理的要素があればこそのものだと痛感しました。
それが今回のスペインでの一番の反省。
その物理的要素が欠けていた。
だから勝てなかった。
勝ち切れなかった。
部分的には押していたし、明らかに勝っている部分も多々あった。
けれども、それを駆使して勝ちきることが出来なかったのは、明確に足りないものがあったから。
それは、日本の「道」で言う「心技体」の「心」の部分。
メンタルかというと必ずしもそうではなく、今回の僕の場合はその構成要素である「頭」の問題。
それをもっともっと磨いて、駆使していかなきゃ勝てる試合も勝てなくなってしまう。
その部分で劣っていれば、技や体が勝っていようとも総合評価は下になる。
心技体はその文字の順番通りのピラミッド構造で、まず体が底辺を成し上を支える。
その次に技があり、それらに支えられる形で頂点に立つのが心となるのはスポーツ界の常識。
競技と言うのはそのピラミッドの頂点の高さを競うもので、より高いものにするためには下をより強固なものにする必要があるし、そうではなく基礎はそのままで頂点だけをより高いものにしていけばそれはピラミッドではなく塔のような形状になり、ちょっとのアクシデントで倒れてしまうような、それこそ一発屋的な存在になってしまう。
僕が求めるものはそうではない。
だから体、そして技を重ねていく。
でもそれは案外簡単なことで、特に体なんてやったらやっただけ出来あがっていく。
筋トレは嘘をつかないから。
技も同様。
良い指導者についてしっかり練習していけば積み重ねていくのは簡単なことなのだ。
でも、心はなかなかそうはいかない。
そしてそれを成す頭。
もの凄く大切だ。
今シーズン一発目でそれに気づけたのは大きな意味をなす。
今後それを修正していけるかどうかは自分次第。
スタートの時点でどういう状態にあるか、個人競技であるが故に、舞台の上では自分自身で確認修正、そして実行しなければならない。
逆に、今回手ごたえを掴んだ部分も多々あった。
予想以上に「よし!」と思える部分もあった。
これには胸を張れる。
でも、それは体、そして技の部分でしかないので、それは今回の結果に甘んじることなく磨き続けなければならない。
そして、それらを活かす為の心を磨く。
大会期間中はジャパンオープン荻村杯での張本選手、そして伊藤選手の活躍がスペインの会場にも聞こえてきた。
「マジですか!?」
と思わず声をあげてしまった。
まだ10代の彼らがあれだけの活躍をしている。
心技体を積み重ねてきた時間は他の選手よりもはるかに短いはず。
なのにもうそこまで積み重ねているというのか?
ではなく、才能と言う持って生まれたアドバンテージがあるからなのか?
僕の考えはそうではない。
彼らももの凄く積み重ねてはいるはず。
でも、大切なのはその時間や量ではない。
彼らの場合特にその「質」が高いのだ。
それだけハードなトレーニングを必死になってクリアしていればこそ、なのだ。
さぁ、休んでいる暇は無い。
次に向けてスタートする。
大丈夫、僕は前へ進めている。
頑張れ、俺!
結果はシングルス3位、団体戦予選敗退でした。
格上に勝ち切れなかった。
それが本当に悔やまれます。
「お前は何しにいったんだ!?」
「お前は何をしてきたんだ!?」
と、文字通り猛省。
シングルスはメダル獲得も、格上に勝ってポイントを重ねることをテーマにしているので、今回の結果は残念の一言に尽きます。
何が良くなかったのか、悪かったのか、それは大会期間中に、試合中に自分自身で気づき修正を試みることも出来ましたので、その点はよかったと思うし、成長していることだと思えました。
でも、気づき実行するのが遅かった。
卓球はメンタルのスポーツだとよく言われますが、自分自身のメンタルと同時に相手のメンタルも把握、コントロールする必要のある競技だと僕は考えます。
卓球台をはさんだ僅かな距離で向かい合う競技だからこそ、相手のメンタル、心理をも掴むことが出来る競技な訳です。
それが「ゲームのイニシアチブを持つ」ということになるのでしょう。
一流のアスリートはどんな競技であれその人がステージに立てば「今この舞台はこの人を中心に動いている」と思わせる「力」があります。
観客の立ち場でもそれをひしひしと感じるものです。
その「力」とは、オーラとか存在感、威圧感とか、第六感的感覚で表現されることが多いですけど、僕は必ずしもそうではなく、むしろそれは物理的要素があればこそのものだと痛感しました。
それが今回のスペインでの一番の反省。
その物理的要素が欠けていた。
だから勝てなかった。
勝ち切れなかった。
部分的には押していたし、明らかに勝っている部分も多々あった。
けれども、それを駆使して勝ちきることが出来なかったのは、明確に足りないものがあったから。
それは、日本の「道」で言う「心技体」の「心」の部分。
メンタルかというと必ずしもそうではなく、今回の僕の場合はその構成要素である「頭」の問題。
それをもっともっと磨いて、駆使していかなきゃ勝てる試合も勝てなくなってしまう。
その部分で劣っていれば、技や体が勝っていようとも総合評価は下になる。
心技体はその文字の順番通りのピラミッド構造で、まず体が底辺を成し上を支える。
その次に技があり、それらに支えられる形で頂点に立つのが心となるのはスポーツ界の常識。
競技と言うのはそのピラミッドの頂点の高さを競うもので、より高いものにするためには下をより強固なものにする必要があるし、そうではなく基礎はそのままで頂点だけをより高いものにしていけばそれはピラミッドではなく塔のような形状になり、ちょっとのアクシデントで倒れてしまうような、それこそ一発屋的な存在になってしまう。
僕が求めるものはそうではない。
だから体、そして技を重ねていく。
でもそれは案外簡単なことで、特に体なんてやったらやっただけ出来あがっていく。
筋トレは嘘をつかないから。
技も同様。
良い指導者についてしっかり練習していけば積み重ねていくのは簡単なことなのだ。
でも、心はなかなかそうはいかない。
そしてそれを成す頭。
もの凄く大切だ。
今シーズン一発目でそれに気づけたのは大きな意味をなす。
今後それを修正していけるかどうかは自分次第。
スタートの時点でどういう状態にあるか、個人競技であるが故に、舞台の上では自分自身で確認修正、そして実行しなければならない。
逆に、今回手ごたえを掴んだ部分も多々あった。
予想以上に「よし!」と思える部分もあった。
これには胸を張れる。
でも、それは体、そして技の部分でしかないので、それは今回の結果に甘んじることなく磨き続けなければならない。
そして、それらを活かす為の心を磨く。
大会期間中はジャパンオープン荻村杯での張本選手、そして伊藤選手の活躍がスペインの会場にも聞こえてきた。
「マジですか!?」
と思わず声をあげてしまった。
まだ10代の彼らがあれだけの活躍をしている。
心技体を積み重ねてきた時間は他の選手よりもはるかに短いはず。
なのにもうそこまで積み重ねているというのか?
ではなく、才能と言う持って生まれたアドバンテージがあるからなのか?
僕の考えはそうではない。
彼らももの凄く積み重ねてはいるはず。
でも、大切なのはその時間や量ではない。
彼らの場合特にその「質」が高いのだ。
それだけハードなトレーニングを必死になってクリアしていればこそ、なのだ。
さぁ、休んでいる暇は無い。
次に向けてスタートする。
大丈夫、僕は前へ進めている。
頑張れ、俺!