身体障害者1級手帳をもらった途端、職場の立場が激変した悲しい現実
7/12(金) 15:00配信
現代ビジネス
身体障害者1級手帳をもらった途端、職場の立場が激変した悲しい現実
写真:現代ビジネス
24歳のときに母親が苦しんだリウマチを発症した編集者の小西恵美子さん。母親をみてきて、完治することを諦めていた小西さんは、痛み止めをはじめ薬漬けになりながら、仕事に情熱を傾けていた。しかし、目の前で誤魔化すこともできないほど、症状はひどくなっていった。
母の闘病姿を見てきた…24歳でリウマチを発病したとき
実は発症してから30年以上経った今、小西さんは一番体調がよく元気に過ごしている。そこに至るには長い時間と経験が必要だった。小西さんがどのようにリウマチと暮らし、そして自分の元気を取り戻していったのか。それを辿るために、連載で闘病の日々を綴っている。
今回は、発症してから10年ほどが経ったとき、症状がひどくなり、仕事もままならなくなった時の職場での対応について、現実をお伝えする。
身体障害者1級手帳をもらった途端、職場の立場が激変した悲しい現実
小銭をつまむ、財布から出す。そんな作業も時間がかかった Photo by iStock
日常生活が不便に
指の変形が進み、食事の時に箸を持ちにくくなっていた。薬を飲んでも関節を動かせば痛い。患部に熱を持って疼く時もある。1日1日の変化は目に見えないが、変形は進んで指は曲がっていった。とうとう箸は持てなくなり、日本料理や中華料理もフォークとナイフを使う。鯛茶漬けを食べに行った時、「手が悪いのでスプーンをいただけますか」と言うと、「どうしたの? 怪我?」と毎日会っている同僚に聞かれた。
ワンピースなど後ろにファスナーがある洋服は自分では着られなくなった。小さなボタンはとめられない。ストッキングは指であげるのがむずかしくなった。足を細く見せるために、足首やふくらはぎのところを締めてあるものは膝まで上げるのがやっとである。ストッキングは一番大きいサイズでゆるそうなものを買う。それでもはくのに時間がかかる。しだいにスカートではなく、パンツをはくようになった。パンツだとハイソックスでいいからだ。
財布に硬貨を入れる時、よく落としてしまう。膝が痛くて、硬貨をしゃがんで拾えない。腰を曲げて指で硬貨を足の側面まで押していき、靴を壁に硬貨を立てて取る。時間がかかる。店のレジでお金を落とすと、並んでいる人のイライラが伝わってきた。
足の指は変形して床につかない。指が浮いた状態で歩くので、お運び人形のようにすり足になる。当然、靴をはくだけで痛い。靴も制限される。硬い靴ははけない。外反母趾のように変形しているため、幅広の靴で変形した足の形に伸びるやらかい靴しかはけない。足に合う靴に出会うと、何足も同時に買うようになった。冬はムートンブーツを手放せない。
電車で通勤していたが、駅の構内や階段を歩くのがつらくなっていた。打合わせや取材には十分な時間の余裕をもって向かう。資料や新刊本の入った袋を腕にかけて持つと、重さで肘や肩の関節の痛みが増す。放り出したい気持ちになる。荷物が多い時は自分の車で行き、近くの駐車場に止めていた。
身体障害1級
障害者手帳を取得すると会社の規定で車通勤が許される、とときどき車できているのに気付いた総務から言われた。
連載の担当をしていたW先生は作家になる前は整形外科の医者だった。膠原病科やリウマチ科がない頃は、整形外科で診てもらう場合が多かったので、リウマチのこと、薬のことを聞いていた。
会社に障害者の届けを出すようにすすめられているとW先生に話した。
「僕は反対だ。会社に障害者の手続きをするとルートから外される。組織とはそういうものだ」
と言われた。私はピンとこなかった。
身体障害者の手続きのため、O先生に診断書を書いてもらう。指、腕、脚の動く角度を調べていく。右手の握力はゼロ、左手はかすかに動いた。右は親指の先が人差し指の第1関節にしかつかない。左手は人差し指と親指がほぼ平行になっているため、動かすと2本の指がくっつく。しかも人差し指は、第2関節が棒状になって曲がらない。先生は身体の状態を細かく記入していく。
診断書を区役所に提出した。「慢性関節リウマチによる両上肢機能障害、両下肢機能障害。身体障害1級」と通知がきた。会社に書類を提出。裏口にある駐車場の使用が許可され、ガソリン代の1部が交通費として支払われる。状況によって、タクシーの使用も認められた。
突然、編集長から呼び出され、「いつ具合が悪くなるかもしれないので、責任ある立場には置けない」と言われた。私は次長の肩書はそのまま、新入社員の時に教えた後輩に指示される立場になった。
「作家のTさんにインタビューを依頼してほしい。文化人の方に話を聞きたいページが決まらなくて。すぐに話を聞かないと校了に間に合わないから連絡をお願いします。担当は〇〇さんです」。それならば、担当者が依頼すればいいと思った。私はTさんと何度も仕事をして地道に信頼関係を築いてきた。急にお願いすれば、誰かが断ったので、応急処置のため、便利に使われていると受け取られるだろう。私も便利に使われていた。
原稿は後輩の確認が終わらないと入稿できない。情報ページの担当がふってくることもある。私は特集班や読物班というグループに属さず、いろいろな記事に状況によって携わることになった。表紙と連載は写真家や作家との良好な関係を維持するため、担当はそのままである。
「障害者になれば扱いが変わる」、W先生から言われた意味がわかった。所属していた雑誌は、障害を抱えながら活き活きと仕事をし、活躍している人の応援記事を掲載している。しかし内部にいれば違った。
私のモチベーションは下がった。意欲を失った。うつ状態になった。痛みが増していった。仕事が楽しくて、熱中するとストレスを発散できていたのに、仕事がストレスになっていた。睡眠障害はひどくなり、睡眠導入剤を飲んでも眠れず、量を増やした。
この状況を、体調をよくするための会社側の配慮と前向きに考えればよかったのだが、当時の私にはまったく余裕がなかった。障害者の手続きの前と後で違いすぎた。36歳、未熟だった。
退職を決めた
健康診断の結果で子宮がんの可能性があるので再検査をするように言われた。O先生にMTXの副作用ではないかと聞きに行った。日赤医療センターの婦人科のU先生を紹介された。子宮頸がんと子宮体がんの検査をする。子宮頸がんⅢbと診断された。
レーザー蒸散術をすることになった。手術時間は15分ぐらいの短いものだった。 医者は否定も肯定もしないが、私はMTXの副作用でがんになったと思った。
友人に会うと「顔色が悪いし、痩せたわよ」と言われた。その頃、インタビューしたアスリートの話では「試合であと一歩足りなかったのは自分の問題だった。不安になり、怖気づいて、試合の前日のギリギリまで練習をした。緊張のあまり睡眠も十分ではなかった。本番では力が出せなかった。ヨーロッパの選手たちは、前日は仲間とリラックスして談笑している。それが僕にはできなかった。そんな余裕はなかった。僕は考えさせられた。悪い結果は当然だと気がついた」。
失敗から学ぶ話はリアリティがあった。私にも当てはまる。薬を飲んで、ギリギリまで追い詰めて仕事をする。余裕はない。力を抜いて、自然体で、勇気をもって一歩前に進みたい。
以前より食べられなくなった。栄養を摂らなくてはと思うが、胃がもたれていた。胃だか十二指腸だかが痛い。
急に心臓がドキドキする。目の前が暗くなることもあった。身体はだるく、肩こりがひどい。そう意識すると、首も痛くなる。肩や肘の痛みも増していく。痛みが痛みを招き入れた。蟻地獄のようだ。
仕事への意欲がなくなって、一所懸命に作っていた笑顔もなくなった。もう気力では持ちこたえられなくなっていた。倒れると確信できた。
仕事を辞めたかったが、収入がなくなる。今後の生活が不安だ。どのようにして生きていくのかと考えると辞められなかった。休職という選択肢もある。1年間、療養生活をすれば、身体は快復するのか。長年、積み重ねて悪化させた身体が、1年でかなりいい状態になるとは思えなかった。私は八方ふさがりになっていた。
障害者の手続きをして5年間、頑張ったが、限界だった。
ストレスの1つ1つは小さくても重なると危険な状態に陥る。血管が破壊され、心臓の筋肉を流れる血液が減少する。私は身体も精神もストレスで満杯になり、キラーストレスに陥っていたのだ。
勇気をもって前に進もう。退職を決心した。
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次回は7月26日公開予定です
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小西 恵美子
hoku**** | 10時間前
拝見させて頂きました。涙がでました。
掲載のものは きっと日常の中の一部だけなのでしょうね。
その現状を望んで成っている訳でもない、さらに非情な日常の状況。
私の友人の友人ですが、初めに出合った時は 何もなかったその人は それから2年ほど経って急に引っ越すことに。。それも都会から田舎町へ。。5年ほど経ってから 事情を知らされました。同様の症状を抱えたという事です。
子をもうけたかったと。。その友人の旦那さんは奥さんの症状に気づきに遅かったことを後悔。毎日奥さんの支えの生活に。。次第に便りすらなくなり。。
色々お話を聞いていただけに、今回の掲載の内容には 胸が打ちひしがれる思いになりました。
意思のままに動ける 私たちなどからの応援の言葉など
気休めにしかならないと お察ししますが
それでも ほんのささやかな幸せを感じることができるよう毎日を
頑張っていて欲しいと 本心で願います。
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sno***** | 7時間前
中学1年生の時にリウマチを発症しています。祖母もリウマチでした。リウマチの痛みは、釘を打ち付ける時に誤って指を金槌で強打した時の痛み、と言う表現が正しいか分りませんが、激烈でした。私の場合は脚で、突然学校から歩いて帰れなくなりました。病院も転々としましたが、なかなか良くならず苦しみました。当時はステロイドと痛み止めしか治療法が無く、今でも当時のステロイドの影響と思われる症状で苦しんでいます。教師達の理解も無く偏見に満ちあふれており(リウマチは老人の病気と勝手に思い込んでいた)、とある学校行事に参加できないと言ったところ、3時間土間に正座させられました。勿論親が県の教育委員会に話をし大問題になり、教師の2/3が翌年異動か退職しましたが。全日制の高校にも行けず、通信制を選びました。日本は病気になった人に冷たいです。中学の時に感じ取りました。いつか誰もが老人になり病気になり易いのに。
aaaaa | 7時間前
リウマチのことはわかりません。こちらの記事の内容とは別の話になるかもしれませんが、気になったので書いておきます。
「子宮頸がんⅢb」と診断されてレーザー蒸散術をすることになった、と記載がありますが、子宮頸がんではなく、子宮頸部異形成のⅢbではありませんか?ガンのステージ3bなのであれば標準治療でも卵巣と子宮の全摘になるはずです。リウマチの方だけでなく、他の病気の方も記事を読む可能性があることも考えて、主体となる病気(今回の記事であればリウマチ)とは別の病名を出す場合でも正確にお願いしたいと思います。ちなみに私は子宮頸がんで全摘しています。
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返信1
rhi***** | 12時間前
こんにちは。
この連載は自分と重なり 共感して読ませてもらってます。
自分も同じ治療法がない難病のリウマチと闘いながらも 医師への不信感も募ってるのが現実です。
自分が亡くなるのは この副作用によって起こる
事と思ってます。
薬もやめたい どうしたら いいのか迷いでいっぱいです。
不自由な事が多く 辛いです。
ステロイドもやめないと 腰椎 胸椎 股関節で手術もあり骨折もしてます。
痛みとの闘いに心も疲れ診療内科の薬も飲んでます。
今も生物学製剤などの治療薬での副作用との闘いです。
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matu-au | 13時間前
リュウマチの痛みの辛さはわかります。しかし硬貨を落としてしまうほどの関節の障害がありながら、ハンドルを握っている事に驚きました。障害用に改造されているのなら、いいのですが。
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返信2
sak***** | 5時間前
仕事がなければ食べていけない。
家族のお荷物になって扶養されるのは、申し訳けない。
本当、人間いつでもパーフェクトな状態はない。明日は我が身だ。
だからと言って、AI社会になって、簡単な仕事が失われるほど、こういった本当は社会で守ってあげないといけない人が犠牲になっていくんだろうな。
子育てしながらのパートですら仕事ないもんね。
最近、危機管理とかで本業より、細かい書類を書く仕事が多い。これって、裁判対策かと思っていたけど、AI移行のためなんだろうね。
自分達の職を無くすために必死で書類記入。本当、世界は一部の金持ちのために動いている。人の人生壊してまで稼いだお金は何に使うんだろうね?豪遊も飽きるだろうに。
私は、ほどほど暮らせれば、お金より自由が欲しい。
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to***** | 9時間前
辛いと思います。
ショックなことかもしれないけど、でも、現状を認めてもらわないと、痛いと言ってもただの弱音や泣き言と周りにはとらえられてしまうから辛いですよね。
障害者手帳は、その人の病状の証明でもありますからね。
乗り越えられることを祈っています。
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GSP | 5時間前
とにかく、孤立しないように支援機関を頼ってください。助けてくれる機関があり、支援員がいます。絶対に道は開けます。いつか、あの会社をやめて良かったと思える職場に出会えることを願ってやみません。
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dek***** | 13時間前
総務を経験した立場から言わせてもらうと、1級の手帳所持者はありがたいですね。
障害者雇用率に大きく貢献してくれますので。
総務の方は車通勤も認めてくれたんでしょ?
悪いことばかりでも無いと思いますよ。
城航 | 3時間前
ほんの2日前、40年近くリウマチと闘っていた従姉が他界しました。
いつ発症したのか分からないけど、最後にあった15年前は一人で障がい者向けのアパートに住んでいました。
リウマチの影響ですべての部位が変形し、157,8cmはあったであろう身長も小学校低学年くらいになっていましたが、明るく朗らかな性格はそのままで、大好きな従姉に変わりはありませんでした。
数年前から実家に戻り(私の伯父は既に他界。義伯母は寝たきり)彼女の弟である従兄が介護していましたが、2日前静かに息を引き取りました。
直接の原因は何だったのか分からないけど、リウマチのせいで何十年も痛みに耐え、それでも明るい笑顔を絶やさなかった従姉。まだ小さかった私に生まれて初めて食べる心太を振る舞ってくれた従姉。
悲しいけれど、痛みから解放されて、今は天国で走り回っているかも。
koo***** | 6時間前
私はリウマチより痛い難病で歩けず長年、寝たきりでしたが病名がわからなくて障害者認定されず介護が受けられなくて困りました。
病名がわかってから身体一級にしていただけました。
この方は病気はお辛いでしょうけれど恵まれていてうらやましく思います。
この方は障害者として扱われて苦しまれたようですが、私は健常者として扱われて苦しみました。そんな苦しみはなくなるとよいですね。
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mak***** | 4時間前
私は白血球から臍帯血移植をし、復職後 を果たしましたが、配置転換を希望したらクビにされました。会社はリハビリ施設ではないと。 もうそんな考えの職場にはいられませんでした。妻と息子を抱えて無職になりました。悔しいですし、会社を恨んでいます。
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oya***** | 7時間前
私も重度の身体障害者一級です。
ですが病院で始めて診断受けた時に日々体調悪く無職で税金等も滞納して納めてなかったので障害年金も全く貰えません。
普通の厚生年金はその以前まで働いた分が16年分納めてありすがまだ40代なのでそれもまだ貰えません。
なので今は申し分けなく福祉にお世話になってますが障害年金が申請出来たのなら残りを障害者雇用でのアルバイトでも頑張ってみたいですが、いまは何も障害年金なども無いので丸々日々の生活費を稼ぐまでには身体が持たないので辛いですが福祉の方へお世話になる様になってます。
障害年金て身体壊して数ヶ月働かなくてその間に税金等払えて無い場合には申請資格無いとの事で貰えないんですよね。それ以前に数十年納めていてもたった数ヶ月無職になり納めていない間に障害おってしまうとその時に申請しても無理なんですよね。私はそれで少し困っています。仕方ないですが。
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mas***** | 9時間前
私も障害者で手帳も持っています。
仕事はできるのに障害者だからと面接さえ断られることが多々あります。
採用されても仕事にありつけず雑用ばかり。
健常者で仕事の覚えも悪く仕事が出来ないのに高額なお給料を貰っているのを見ると腹立たしくなります。
障害者=仕事出来ないという思い込みは止めて欲しいです。
mis***** | 10時間前
私も介護職の時に夜勤明けの自宅でけいれん重積発作を起こしててんかんになり精神障害者になったことを会社に告げた途端自己都合扱いで退職になった。
自分は介護福祉士の資格を取ることが長年の夢だったのに…。
韓国人から日本国民を守る会 | 3時間前
私の従姉妹と祖母はリウマチです。祖母は戦前生まれですから、ろくな治療も受けられなかったので、身体中の関節が変形しており、障害者手帳をもらえるのですが、頑なに嫌がり申請していません。口には出さないですが、昔、記事に書いてあるような酷い目にあったのかも知れません。当時は今より世間の理解が無かったので、もっと悲惨だったのかも知れません。日本は病気持ちには本当に生きにくい国です。