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九条家の離れ茶室「拾翠亭」には10畳と3畳の茶室二間があるが、茶席がの終わりに亭主は「クマ(?)でもお庭でカメラはフリーです」と言うと正客が席を立った。 老人はコヒーや煎茶を飲むと手水舎(手水場)へ行くのが近くなる。 我輩も同様で手水舎の場所を聞いて行くと3畳の茶室があり、茶人が写真を撮っていた。 クマ?とは我輩の聞き取り違いで「小間」の事だったのである。(笑) 我輩も小間に入り写真を撮ったが天上が低く中々撮り辛い。
お茶は茶を飲む習慣と茶の製法は平安時代に遣唐使によってもたらさた飲む薬用だったらしく、仏教の禅宗の広まりと共に精神修養的な要素を強めて広がっていった。 さらに茶の栽培が普及すると茶を飲む習慣が一般に普及していったとある。 室町時代の将軍、足利義満時代になると能と茶道が千利休が茶を飲む作法を広め定着し、武士階級に普及した。 桃山時代に信長、秀吉に取り入られさらに定着した。 映画やTVドラマで利休と武将の小間でのやり取りの茶室のシーンが良く映し出される。 明治の時代になると岡倉天心が欧米人にとっての「茶道」への近似体験として、「ティーパーティでのホストの心遣い」と紹介しており、言わば「茶を飲む儀式」としている。(wikipedia引用) 戦前、戦後の昭和40年前後頃まではお嫁入り前の女性の躾として、和裁、華道それに茶道が習い事が必要とされてきた。 我が女房殿もその一人だが、科学文化の進んだ現代の生活文化は洋式化され茶道や華道はすたれず趣味として現存していると思うのである。(現代は観光旅・レジャー・ファッション・クッキングやグルメ) 我輩も庭を散策に出た。
茶室側からみる庭の景色もおもむきが有り、下手な画像だが晩秋の景色が高倉橋が九条池に良く映えている。
庭を30分程歩き、薄茶茶会の亭主“浅井宗良”さんにお招きのお礼を言って拾翠亭を出たのが15時頃だったで再び京都御苑の南、丸太町方面へ歩いた。
カメラマンの腕にも寄るのでしょうが、本当に風情が、有って何とも、言えない美しさに、感動いたしました
日本の四季って、本当に、素晴らしいですね。
茶道も、華道も、同じですが、精神を落ち着かせ精神修養になりますね、奥様もなさったとか、お幸せですね。
正に「おもてなし」ですね。
楽しかったです。
コメント
茶道の作法は別として、200年前のお公家さんの茶室でオモテナシは感深い思いでした。
下手な写真でも撮るのも同じでした。
茶道もまったく経験ないので判りません。
コメント有り難うございます。
40数年前の京都の紅葉の名所には2合瓶持った紅葉狩りの酔客がブラリ、見受けられました。
我輩などもその内の一人で数度、飲み仲間と紅葉狩りをしました。
今ではそんな光景はめったに見受けられないなようですが、缶を持って紅葉みて歩いている人がおりますが、酎ハイなのかもしれません。
食堂へ入るとテーブルはビールを置いて食事です。
薄茶を頂いて、庭での紅葉狩り歳の聖でしょうか気分爽快でした。