へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

木を見て森を見ず

2007年11月24日 04時31分43秒 | Weblog
「女性に多い」などと書くと、「女性蔑視」と言われそうだが、その様な気は全く無い。
最近は男にも増えているように思えてならない。
情報化社会になって、「受動的」に情報を取り入れていると陥りやすいように感じる。
世を挙げて「情報化社会」などと言っているが、私には疑問に感じてならない。
「情報の量」だけは確実に増えている事は確かである。
情報の量が増えただけで、単純に「情報化社会」と言ってよいのだろうか?。
ネットが出来る以前においては、個人が情報を発信する事は「容易な事」ではなかった。
ネットの発達により、「世界中の情報」が瞬時に得られる様になったのだが、その一方で、個人でも簡単に情報が発信できる為、「意味の無い情報の氾濫」と言う問題も起きている。
ネット上では、「匿名」で情報を発信できる為、「独断と偏見による情報」「意図的な情報」「悪意のある情報」など、気を付けなければいけない情報も多い。
また、個人のブログなどでは、「自分に都合の悪いコメント」などを削除してしまうと言う、一種の「情報操作」も行われている。
私のコメントも何度か削除された事がある。
2日前にも、削除されたばかりである。
従来の情報に「錯誤」があるため、「新事実」としてコメントしたのだが、ブログの主にとっては、「面子を潰された」と感じたのだろう。
様々な機器の開発により、「便利な世の中」になるにつれ、多くの人が頭(脳)を使わなくなってしまった。
頭(脳)を使わずに、「与えられた情報」のみで生活していると、情報の偏りによって「情報の栄養失調(不足)」と言う問題が起きてくる。
「目先の問題(木)にばかりに気を取られて、広い視野(森)で物事を考えない」日本人。
日本の重要な事項を決定する「最高機関」である、国会でさえも殆ど論議される事は無い。
国民(選挙で票を投じる有権者)が関心を持たないからである。
国民が関心を持たない事を論議していては、選挙で勝つ事が難しい以上、当然の話である。
「政治が悪いから」と言う人が居るが、国民にも責任があるのである。
地球温暖化問題に対応する為、日本の京都で会議が開かれ、「京都議定書」が締結されたのだが、どれだけの日本人が「真剣に」受けとめたであろうか?。
資源を持たない日本にとって、「国際貢献」は「資源ナショナリズム」に対応する、「一つの手段」と言えるのではないだろうか?。
資源を海外に頼っている日本にとって、大動脈とも言える「重要な海上輸送ルート(シーレーン)」の安全は、その殆どを外国(アメリカ)に頼っているのである。
「アメリカの庇護の下で成り立っている日本」、アメリカが見放せばどう言う事になるか、民主党も解っている筈である。
大局的な見地(木ばかり見ないで、森も見る)に立たなければ、「政権を担う」ことは難しいであろう。
何となく「政権を担う気が無い」と感じるのは私だけであろうか?。
コメント (1)
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