安部、福田、麻生と、3代続けて短命な総理大臣が出来、民主党が散々批判をしていたのだが、「明日は我が身」と言う言葉があるように、批判をしていた側にも同じ問題が起きようとしている。
それでは何故このようなことが起きるかと言うと、総理大臣は「選挙に勝つことを目的に擁立する」と言うことが最大の要因で、「国民のための政治」ではなく「選挙に勝つための政治」に成り下がっているからなのです。
このように考えると「民意は十分に政治に反映されている」と考えるべきだろう。
「それはちがう」と考える人も多いだろうが、「民意を政治に反映する」と言うことを、「自分たちに都合が良いように反映して欲しい」と言う「身勝手な考え方」でしか考えていないからで、「民意を政治に反映させる」と言うことにも「裏表」があるのです。
「何かをしてくれそうだから」と言う言葉にも同じことが言え、「何か」にも裏表がある事に気が付くべきだろう。
実際の話「新しい政権は必ず何かをする」のだが、その「何か」は、有権者が期待するものとは限らないことに気が付くべきだろう。
「何かをしてくれそうだから」の「何か」は、「自分たちに都合の良い事」であって、それ以外の事は「何かではない」と言う、極めてエゴイズムに満ちた考え方なのである。
これは「医療・福祉」などにも言えることで、「自らの負担は少なく、見返りは大きく」と言う、極めて身勝手な考え方が根本にあり、「高負担高福祉」ではなく、「低負担高福祉」しか考えていないのです。
このように考えれば「総理大臣は飾り物」と言う事も出来、「気に入らなければ交換する」と言うことになるのだが、日本を取り巻く社会環境を考えると「いくら交換してもムダ」でしかないだろう。
これはあくまでも「仮の話」であるが、仮の話し「鳩山総理が辞任」と言うことになったとしても、「総理大臣の使い捨て」をやっていれば、「次の総理は誰がなるの?」と言う問題に直面してしまい、国際的な信用も失墜してしまうだろう。
何時までもこんな事をしていては、近い将来「ギリシャの二の舞」と言うことが現実のものになってしまうだろう。
それでは何故このようなことが起きるかと言うと、総理大臣は「選挙に勝つことを目的に擁立する」と言うことが最大の要因で、「国民のための政治」ではなく「選挙に勝つための政治」に成り下がっているからなのです。
このように考えると「民意は十分に政治に反映されている」と考えるべきだろう。
「それはちがう」と考える人も多いだろうが、「民意を政治に反映する」と言うことを、「自分たちに都合が良いように反映して欲しい」と言う「身勝手な考え方」でしか考えていないからで、「民意を政治に反映させる」と言うことにも「裏表」があるのです。
「何かをしてくれそうだから」と言う言葉にも同じことが言え、「何か」にも裏表がある事に気が付くべきだろう。
実際の話「新しい政権は必ず何かをする」のだが、その「何か」は、有権者が期待するものとは限らないことに気が付くべきだろう。
「何かをしてくれそうだから」の「何か」は、「自分たちに都合の良い事」であって、それ以外の事は「何かではない」と言う、極めてエゴイズムに満ちた考え方なのである。
これは「医療・福祉」などにも言えることで、「自らの負担は少なく、見返りは大きく」と言う、極めて身勝手な考え方が根本にあり、「高負担高福祉」ではなく、「低負担高福祉」しか考えていないのです。
このように考えれば「総理大臣は飾り物」と言う事も出来、「気に入らなければ交換する」と言うことになるのだが、日本を取り巻く社会環境を考えると「いくら交換してもムダ」でしかないだろう。
これはあくまでも「仮の話」であるが、仮の話し「鳩山総理が辞任」と言うことになったとしても、「総理大臣の使い捨て」をやっていれば、「次の総理は誰がなるの?」と言う問題に直面してしまい、国際的な信用も失墜してしまうだろう。
何時までもこんな事をしていては、近い将来「ギリシャの二の舞」と言うことが現実のものになってしまうだろう。