1度目の手術は何とか無事に終わったのだが、その後私が暴れた事も原因に成ったようで、切除した舌を補うために移植した大胸筋が上手く定着せず、それを修復するための手術をすることになるのである。
私は全く覚えていないのだが、手術をしたことによって付けられた何本ものチューブを取ろうとして暴れたらしいのだ。
再手術は1回目の手術から僅か2週間余り後の事である。
2回目の手術は6時間で、このときも手術後の記憶は曖昧で、記憶がハッキリするのは手術の2日後の事である。
しかし・・・・。
手術のあとの細菌検査で「耐性菌」に感染していることが判明し、急遽、隔離病室に移動である。
一応「移動」とは書いたのだが、悪い言い方をすれば「座敷牢」に閉じ込められたのと同じで、3週間近く病室から出る事ができなかったのであるが、感染源は特定できず、「院内感染」もなかったのである。
このようなわけで、耐性菌の感染から開放されるまでは38度から39度の発熱も珍しくなかったのだが、このこと自体は苦にはならなかったが、看護婦さんたちはかなりハラハラしたそうである。
何しろ、普通の患者であればダウンしているような状態でも、起きて部屋の中を動いていたのだから。
しかし、体重だけは大幅に減少するのである。
入院したときの体重は58キロ余りだったのだが、1ヵ月後には52キロ台にまで減ってしまうのである。
私自身はひそかに「シメタ」と思っていたのだが、主治医たちはかなり心配だったらしい。
それでも、当の本人が元気に動き回っているので「大丈夫だろう」と言う判断をしたそうである。
今現在は51キロ台で、153センチの身長を考えれば「適正体重」といえないだろうか。
体脂肪も「22%が18%」になり、それにつれて内臓脂肪も減少し、以前は「タヌキの置物」だとか言われていたお腹は見る影も無いのである。
更に、体重が大幅に減った事で動くのは非常に楽になり、無理してはいていたズボンも楽にはけるのである。
私は全く覚えていないのだが、手術をしたことによって付けられた何本ものチューブを取ろうとして暴れたらしいのだ。
再手術は1回目の手術から僅か2週間余り後の事である。
2回目の手術は6時間で、このときも手術後の記憶は曖昧で、記憶がハッキリするのは手術の2日後の事である。
しかし・・・・。
手術のあとの細菌検査で「耐性菌」に感染していることが判明し、急遽、隔離病室に移動である。
一応「移動」とは書いたのだが、悪い言い方をすれば「座敷牢」に閉じ込められたのと同じで、3週間近く病室から出る事ができなかったのであるが、感染源は特定できず、「院内感染」もなかったのである。
このようなわけで、耐性菌の感染から開放されるまでは38度から39度の発熱も珍しくなかったのだが、このこと自体は苦にはならなかったが、看護婦さんたちはかなりハラハラしたそうである。
何しろ、普通の患者であればダウンしているような状態でも、起きて部屋の中を動いていたのだから。
しかし、体重だけは大幅に減少するのである。
入院したときの体重は58キロ余りだったのだが、1ヵ月後には52キロ台にまで減ってしまうのである。
私自身はひそかに「シメタ」と思っていたのだが、主治医たちはかなり心配だったらしい。
それでも、当の本人が元気に動き回っているので「大丈夫だろう」と言う判断をしたそうである。
今現在は51キロ台で、153センチの身長を考えれば「適正体重」といえないだろうか。
体脂肪も「22%が18%」になり、それにつれて内臓脂肪も減少し、以前は「タヌキの置物」だとか言われていたお腹は見る影も無いのである。
更に、体重が大幅に減った事で動くのは非常に楽になり、無理してはいていたズボンも楽にはけるのである。