へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

言語療法士もビックリである

2012年01月25日 23時20分26秒 | Weblog
手術の内容はすでに書いてあるので省略するが、その結果として「言葉を上手く話せない」と言う問題がおきる。

3度目の手術の前に一度試したのだが、そのときは上手く言葉を発することが出来ず、言葉として通じたのは一部にすぎなかった。

3度目の手術の10日ほどあとから言語療法士による訓練が始まるのだが、2度目の治療を受けたあと「話せるようになるのはかなり先になるだろう」と言う判断がなされたらしい。

このとき「胃ろう」の話が出ているのだが、このことは主治医たちだけが知っていて、私は知らなかったのである。

私自身もかなり悲観的な考えに成っていて、「退院は早くて2月か3月ごろ」とさえ考えていたほどなのだが・・・・。

ところが、全くの偶然の出来事から、それまで話すことが出来なかったはずの言葉が出たのである。

何しろ、1回目の手術以来80日と言うもの「筆談」でしか意思が伝えられず、常にノートとボールペンを手放すことが出来なかったのである。

出たとはいっても完全ではなく、言葉の「70%」程度しか通じないのだが、それでもそばにいた看護婦さんは涙をこぼして喜んでくれた。

私自身もビックリである。

タダ、か、き、く、け、こ、などの「か行、が行」は発音することが出来ず、電話では上手く話が通じない。

当然のこと、主治医たちもビックリで、それ以後は言語療法士の治療を受けていないのである。

それでは何故急に言葉が出るようになったのであろうか。

これはあくまでも私の推測なのだが、口から食事をとるようになったことで、それまで上手く動かなかったはずの舌が、口に食べ物が入ったことで多少とも動かそうとするようになったことが良かったのだと思っている。

言葉を発することが出来るようになるとともに食事も上手くできるようになり、今ではミキサーにかけた流動食から卒業である。

はじめは「重湯」だったものが「五分粥」になり、今では「七分粥」でも食べられるようになり、時間をかければ普通のご飯も食べられるのだが、少々時間がかかり過ぎるので断念している。

退院した事で言語療法士に会うことが出来なくなり、急速な回復振りにどんな顔をするか見ることが出来ないのが残念である。
コメント
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