原爆の投下による悲劇は、日本が無謀な戦争を始めたことに原因があるところまで書いたが・・・・。
その後でも、原爆の投下を未然に防ぐ手立てはあったはずである。
歴史に「たら、ればはない」とは言うものの、後10日早く戦争を終結させていたら・・・・。
終戦の日は8月15日ではなく、「8月5日」になる。
広島に原爆が投下されたのはその翌日である。
さて・・・・。
ここからが最も重要な問題である。
昭和16年12月8日。
この日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃することによってアメリカとの戦争が始まる。
が、日本軍が独断で戦争を始めることは出来ない。
戦争を始めたくて仕方のなかった軍部であるが、天皇の承認なしでは対米戦争を始められないのだから。
そう、対米戦争を始めるにあたっては、天皇もその一翼を担っているのである。
もしも、頑として天皇が戦争に反対していたら。
戦争にはならなかったかも。
戦争にならなければ・・・・。
原爆の投下もなかったであろう。
不承不承ではあろうが、天皇は承認しているのである。
つまり・・・・。
軍部と共に、戦争を始めた「共犯者」なのである。
更に、前にも書いているように、戦争の終結を早める事だって可能だったはずである。
が、それもしていない。
「していない」と書いたが、実際はしているだろう。
が・・・・。
それがどの程度のものであったのか。
結果的にはその決断が遅く、広島、長崎への原爆投下に続くのである。
と言う事で、天皇にも重大な戦争責任があるのである。
が、その責任はアメリカの思惑によって免除されてしまった。
言い方を変えるなら、「恩赦」と同じような形によって助かっているのである。
アメリカの思惑。
アメリカはかなり早い段階から、終戦後の日本の統治について考えていたらしい。
その中で最も重要視したのが「日本国民による天皇崇拝」である。
なので、天皇の戦争責任を問うてしまうと日本国民が混乱をし、統治に悪影響が出ると考え、「天皇の戦争責任は問わない」と言う結論に至る。
だからこそ、あれだけひどいB29による無差別爆撃を繰り返したにもかかわらず、皇居とその周辺だけは除外していたのである。
京都や奈良の文化財も除外したらしいが。
しかし・・・・。
喉もと過ぎればなんとやらと同様に、天皇の戦争責任に関する話題は、表面に現れることなく消滅する。
これを別の角度から考えると・・・・。
昭和天皇は、「天皇を崇拝する日本国民によって命の危機を救われた」とも言えるのである。
つまり、天皇を崇拝する日本国民は「命の恩人」と言ってもよいのである。
が・・・・。
そんなことは何処吹く風で、常に「上から目線」でしか国民を見ていない。
書きたいことはまだ沢山あるが・・・・。
文筆を生業としているわけではない。
なので、文章は支離滅裂。
部分的には思い違いもあると思うので、気がついた時はご指摘を。
また折に触れた書くとして、「苦渋の決断」に関してはひとまず終わりです。
その後でも、原爆の投下を未然に防ぐ手立てはあったはずである。
歴史に「たら、ればはない」とは言うものの、後10日早く戦争を終結させていたら・・・・。
終戦の日は8月15日ではなく、「8月5日」になる。
広島に原爆が投下されたのはその翌日である。
さて・・・・。
ここからが最も重要な問題である。
昭和16年12月8日。
この日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃することによってアメリカとの戦争が始まる。
が、日本軍が独断で戦争を始めることは出来ない。
戦争を始めたくて仕方のなかった軍部であるが、天皇の承認なしでは対米戦争を始められないのだから。
そう、対米戦争を始めるにあたっては、天皇もその一翼を担っているのである。
もしも、頑として天皇が戦争に反対していたら。
戦争にはならなかったかも。
戦争にならなければ・・・・。
原爆の投下もなかったであろう。
不承不承ではあろうが、天皇は承認しているのである。
つまり・・・・。
軍部と共に、戦争を始めた「共犯者」なのである。
更に、前にも書いているように、戦争の終結を早める事だって可能だったはずである。
が、それもしていない。
「していない」と書いたが、実際はしているだろう。
が・・・・。
それがどの程度のものであったのか。
結果的にはその決断が遅く、広島、長崎への原爆投下に続くのである。
と言う事で、天皇にも重大な戦争責任があるのである。
が、その責任はアメリカの思惑によって免除されてしまった。
言い方を変えるなら、「恩赦」と同じような形によって助かっているのである。
アメリカの思惑。
アメリカはかなり早い段階から、終戦後の日本の統治について考えていたらしい。
その中で最も重要視したのが「日本国民による天皇崇拝」である。
なので、天皇の戦争責任を問うてしまうと日本国民が混乱をし、統治に悪影響が出ると考え、「天皇の戦争責任は問わない」と言う結論に至る。
だからこそ、あれだけひどいB29による無差別爆撃を繰り返したにもかかわらず、皇居とその周辺だけは除外していたのである。
京都や奈良の文化財も除外したらしいが。
しかし・・・・。
喉もと過ぎればなんとやらと同様に、天皇の戦争責任に関する話題は、表面に現れることなく消滅する。
これを別の角度から考えると・・・・。
昭和天皇は、「天皇を崇拝する日本国民によって命の危機を救われた」とも言えるのである。
つまり、天皇を崇拝する日本国民は「命の恩人」と言ってもよいのである。
が・・・・。
そんなことは何処吹く風で、常に「上から目線」でしか国民を見ていない。
書きたいことはまだ沢山あるが・・・・。
文筆を生業としているわけではない。
なので、文章は支離滅裂。
部分的には思い違いもあると思うので、気がついた時はご指摘を。
また折に触れた書くとして、「苦渋の決断」に関してはひとまず終わりです。