新聞に載っていた「郵便貯金の預け入れ限度額の推移」なのだが、僅か半世紀余りでこれほどの違いが出るとは、正に「隔世の感」である。
1946年は終戦の翌年で、私は未だ4歳だったのでまるで記憶が無いのだが、52年ごろ(私が10歳の頃)は、未だ「50銭(1円の半分)札」と言うものが立派に通用していて、駄菓子屋でお菓子が買えたのです。
1円持っていけば大威張りお菓子が買えたものだが、今では到底想像も出来ないだろうが、この頃は「卵が一個15円」「バナナは一本30円」「ラーメンも一杯30円」していたのだから驚きです。
そして、この記事を見てある悲惨な事件を思い出してしまったのです。
当時は百万円有れば「百万長者」と言われていたものだが、ある時、近所に住む貧しいおばあさんが「栄養失調」で亡くなったのだが、亡くなった後でわかったのは「布団の下に百万円もの大金を貯めていた」と言うのです。
当時は銀行にお金を預けず「現金で家に置いておく」と言う家も結構あったようだが、百万円もの大金を貯めながら「栄養失調で死ぬ」など、何とも哀れな話であるが、このおばあさん、身寄りが全く無かったそうで、頼る人がいなかったので「お金を頼りにした」のではないだろうか。
それにしてもこの大金、大卒の初任給が1万円にも満たない時期に一体どうやって貯めたのだろうか。
「高利貸し」をしていたと言ううわさもあったのだが・・・・。
1946年は終戦の翌年で、私は未だ4歳だったのでまるで記憶が無いのだが、52年ごろ(私が10歳の頃)は、未だ「50銭(1円の半分)札」と言うものが立派に通用していて、駄菓子屋でお菓子が買えたのです。
1円持っていけば大威張りお菓子が買えたものだが、今では到底想像も出来ないだろうが、この頃は「卵が一個15円」「バナナは一本30円」「ラーメンも一杯30円」していたのだから驚きです。
そして、この記事を見てある悲惨な事件を思い出してしまったのです。
当時は百万円有れば「百万長者」と言われていたものだが、ある時、近所に住む貧しいおばあさんが「栄養失調」で亡くなったのだが、亡くなった後でわかったのは「布団の下に百万円もの大金を貯めていた」と言うのです。
当時は銀行にお金を預けず「現金で家に置いておく」と言う家も結構あったようだが、百万円もの大金を貯めながら「栄養失調で死ぬ」など、何とも哀れな話であるが、このおばあさん、身寄りが全く無かったそうで、頼る人がいなかったので「お金を頼りにした」のではないだろうか。
それにしてもこの大金、大卒の初任給が1万円にも満たない時期に一体どうやって貯めたのだろうか。
「高利貸し」をしていたと言ううわさもあったのだが・・・・。