へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

損な性格

2010年01月14日 02時46分27秒 | Weblog
11日の「私が20だった頃」の中で「お前は損な性格だが、・・・・」と書いたのだが、この「損な性格」の中には「発言自体は正しいのだが、非常に誤解を受けやすい」と言うことも入っている。
最近もこの事が原因で騒ぎが起こっているのだが、1対1や1対2など人数が少ないときはその誤解を無理に解こうとは思わないのだが、その場に10人以上いる場合などは周りに居る人たちが誤解を解いてくれることも良くある。
1対1や1対2の場合は感情的になりやすく、誤解を解こうと努力するほど誤解が深刻になってしまうのであるが、その一方で、周りに沢山の人が居る場合は、周りの人が客観的に見てくれて「そんな事に文句を言う方がおかしいよ」とか「何でそんなことに腹を立てるんだと」と言って私を助けてくれる事も多いのであるが、大体において問題が起きるのは「人数が少ない時」だから困るのである。
過去に「イヤ」と言うほどこのような状況に追い込まれて来たのだが、このような場合の解決策は「自分を悪者にして逃げる」と言う他無くなってしまうのである。
そして、或る程度話をして理解されたように感じる場合も有るが、この場合もけして油断は出来ないのである。
更に、一見問題が解決したような後に出てくる「別にもう気にしてないから」などと言う言葉にも注意が必要なのである。
私の長い?人生の中でどれほどこの言葉に泣かされて来たことか。
これは、簡単に「気にしていない」と言う人ほど注意が必要で、何年も経ってから蒸し返されたり、問題がより深刻化していて困った事が数え切れないほどあるのです。
その典型的な人が「別れた妻」なのです。
他人であれば、私が逃げる事でそれ以上の騒ぎは起き難いのだが、結婚した相手ではそうも行かず、最終的には「離婚」しか手が残されていなかったのである。
今回起きた問題は「身内の問題」なのであるが、別れた妻の血を引いた者が絡んでいるだけに解決が難しく、この先どのような対応をすれば良いのかわからず、「お先真っ暗」と言った状態なのです。
このような私の性格、一体誰の血を引いたのか考えて見ると、それは、親戚の人の話を総合すると、父でも母でもなく「父親の母と母親の父」の血を色濃く継いでおり、正に「隔世遺伝」なのだそうです。
おじいさんは私が生まれる前に死んでいるので知らないのだが、おばあさんは99まで生きており、私を非常に可愛がってくれたのだが、普段は優しいおばあさんが、私が何か悪い事をしたときなどは人が変わったように厳しかったのを今でも覚えている。
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