「冬来たりなば」と言えば「春遠からじ」と続くのが当然なのだろうが、これはあくまでも日本の四季の話で、厳しい状態に置かれた日本の経済には当てはまらない。
バブル崩壊以前であればそれまで以上の景気回復も見込めたのだが、どうやらそのような恵まれた時代は終わったようで、これからは長く厳しい時代が続くのではないだろうか。
「物には限度がある」と同様に、「人間社会の発展にも限度がある」と言う事を理解する必要があるだろう。
人間は「あくなき欲望を持った生き物」ではあるが、現実の世界はそれ程甘い物ではなく、どんなに欲望を持ち続けたとしても、或る限界を超えてしまえば「無理な物は無理」だと受け入れる必要があるだろうと思うのだが。
例えがあまり適切ではないかもしれないが、山登りを考えてみればその事がわかると思うのだが・・・・。
山に登る人に「あなたはなぜ山に登るのですか?」と聞いたところ「そこに山があるから」と答えた有名な話があるが、高い山に登りたいと言う気持ちは私にもよく理解できるのだが、山登りをしていると「少しでも高い(難しい)山に登りたい」と言う気持ちが働きがちであるが、世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)に登ってしまえば最早それ以上の高い山は地球上には存在せず、それ以上の高い山を求めるのであれば「地球以外の星に行く」と言う他なく、とても出来る相談ではなく、言い方はおかしいが「今の日本はエベレストに登ってしまった」と考えるべきで、日本の経済状態を考えると、最早「富士山に登るのが精一杯」と言う状態かもしれないのである。
悪い言い方ではあるが、エベレストに登った人にすれば「富士山など山のうちに入らない」と言う感覚が働くように、日本の景気が富士山程度の回復をしたとしても多くの国民は満足はしないであろうが、これが悲しい現実の話で、私がこんな事を書けるのは、「これ以上の景気回復も科学技術の発達も望んでいない」と言う事が根底にあるからではないだろうか。
「見果てぬ夢を追い続ける」のが幸せなのか、「夢を諦めて目の前の小さな幸せに満足する」のが幸せなのか、人それぞれ価値観が違うので困った問題である。
バブル崩壊以前であればそれまで以上の景気回復も見込めたのだが、どうやらそのような恵まれた時代は終わったようで、これからは長く厳しい時代が続くのではないだろうか。
「物には限度がある」と同様に、「人間社会の発展にも限度がある」と言う事を理解する必要があるだろう。
人間は「あくなき欲望を持った生き物」ではあるが、現実の世界はそれ程甘い物ではなく、どんなに欲望を持ち続けたとしても、或る限界を超えてしまえば「無理な物は無理」だと受け入れる必要があるだろうと思うのだが。
例えがあまり適切ではないかもしれないが、山登りを考えてみればその事がわかると思うのだが・・・・。
山に登る人に「あなたはなぜ山に登るのですか?」と聞いたところ「そこに山があるから」と答えた有名な話があるが、高い山に登りたいと言う気持ちは私にもよく理解できるのだが、山登りをしていると「少しでも高い(難しい)山に登りたい」と言う気持ちが働きがちであるが、世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)に登ってしまえば最早それ以上の高い山は地球上には存在せず、それ以上の高い山を求めるのであれば「地球以外の星に行く」と言う他なく、とても出来る相談ではなく、言い方はおかしいが「今の日本はエベレストに登ってしまった」と考えるべきで、日本の経済状態を考えると、最早「富士山に登るのが精一杯」と言う状態かもしれないのである。
悪い言い方ではあるが、エベレストに登った人にすれば「富士山など山のうちに入らない」と言う感覚が働くように、日本の景気が富士山程度の回復をしたとしても多くの国民は満足はしないであろうが、これが悲しい現実の話で、私がこんな事を書けるのは、「これ以上の景気回復も科学技術の発達も望んでいない」と言う事が根底にあるからではないだろうか。
「見果てぬ夢を追い続ける」のが幸せなのか、「夢を諦めて目の前の小さな幸せに満足する」のが幸せなのか、人それぞれ価値観が違うので困った問題である。