へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

賞味期限に対する過剰反応

2007年11月14日 04時21分10秒 | Weblog
或るスーパーでの出来事。
私より明らかに年上と思われる女性が、店員に文句を言っていた。
客「この商品(缶詰)の賞味期限は長すぎる、メーカーで日にちを打ち間違えているのではないか?」
店員「・・・・・・」、どう答えてよいかわからないらしい。
客「責任者を呼びなさい!」
店員「少々お待ちください」
店長がやってきて色々説明するが、どうも納得が行かないらしい。
しばらくやり取りしてから「二度とこの店には来ない!」と言って出て行った。
私より年上なのだから、賞味期限など表示が無い時代に育っている筈である。
一部の悪い人たちの為に、賞味期限に対して過敏になっているのである。
缶詰などは、元々長期保存する為に作られた物で、2年や3年で悪くなるものではない。
私の若い頃は「作って1年未満の物は美味しくない」と言っていたものである。
時代が変わって、味覚も変わってしまった様である。
私の場合、賞味期限は「一つの参考資料」程度に考えている。
賞味期限が過ぎていても、まず「目と鼻で確認」して、次に「舌で確認」と言う事になる。
多少でも心配な時は「加熱処理」し、それも無理な時に始めて「廃棄処分」と言う事になる。
昔の人は全てこの様にしていたのである。
「大量生産、大量消費」と言う時代が何時までも続くわけではない。
「デフレ下の物価上昇」と言う事になれば、「嫌でもそうならざるを得ない」のでは?。
便利な世の中になって、人間の「五感」が鈍っている。
五感だけではない、暑さ寒さに対する抵抗力も弱くなっている。
これから本格的に寒くなると言うのに、灯油、電気、ガスの値上がりが家計を直撃する。
家計ばかりではない、人間社会全体に及ぶのだから大変な事になる。
今のうちに、「五感と抵抗力」を付けておくのが得策だと思うのだが。
資源を持たない日本が「資源ナショナリズム」に対抗する手立ては無いに等しい。
「インド洋における給油活動の停止」も、「マイナス要因」になるのではないだろうか?。
「専守防衛」と言うが、原油を始めとする資源を「海外に頼る」日本、その輸送ルート(シーレーンと言う大動脈)の安全は、一体誰が守っているのであろうか?。
昔から「海外協力」に消極的な日本、これからはそれが「アダ」になるのではないだろうか?。
いい加減で「島国根性」を捨てなければ、国際社会の中で「孤立」する事になるであろう。
「資源ナショナリズム」に対応するには「友好な関係」が必要になるであろう。
日本人の苦手な分野である。

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明るい未来

2007年11月13日 03時53分52秒 | Weblog
毎度毎度クライ話ばかりなので、タイトルを明るくしてみたが、「どう考えても」明るい話がみつからない。
一時的なものならあるのだが、所詮は「一時しのぎ」に過ぎない。
その原因は何処にあるのだろうか?。
一番の理由は「狭い国土」にあるのではないだろうか?。
狭い国土=資源に乏しい、と言う事に起因するのである。
自前で調達できるのは、「頭脳」以外には無いのでは?。
しかし「日本の頭脳」、天然資源と違って、年々「ネウチ」が下がっているのである。
その一方で、新興国(特にインド)の頭脳のネウチは上がる一方である。
それに追い討ちをかけるように、原油などの天然資源や輸入農産物、海産物の値上がりが続いている。
輸出の大幅な増加が見込めない中で、輸入する物資の価格は上昇する。
「貿易収支」などと書くと、何となく難しく感じてしまうが、解り易く言えば、「家計簿」と同じだと思えばよい。
給料(収入)が増えないで「物価が上がって支出が増える」と言う状態に成ったらどうなるか考えて欲しい。
日本の経済が戦後急速に発展したのは、国内の「新たな需要の発生」よりも、輸出産業によるところが大きい。
安い「外国の資源」を輸入して、「付加価値」を付けた製品にして高く輸出する。
つまり、「出て行くお金より、入って来るお金のほうが多い」ため、「余分に入って来た外国のお金」によって豊かになったのである。
しかし、時代が変わると共に「形勢逆転」と言う事態が起きてしまったのである。
5年ほど前の「就職氷河期」が嘘の様な「売り手市場」になっているが、これも「一時的」なものと考えた方がよいと思う。
原油高騰が、日本経済をじわじわと蝕んでゆくであろう。
「企業努力で値上げを抑える」と言う言葉が使われるが、「諸刃の刃」だと言う事に気が付いた方がいい。
「政府が何とかしてくれるだろう」などと言う事は期待しないほうがよい。
「資源ナショナリズム」が台頭してきている現在、「殆どの資源」を外国に頼っている状態では、如何ともしがたいのでは?。
一部では景気のよい話も聞くが、例外的なものではないだろうか?。
「デフレは脱却した」などと言う人もいるようだが、私に言わせれば「これからが本番」と言いたい。
原油高騰が様々なものに悪影響を与え、「価格上昇」を招いている。
この「価格上昇」は、インフレによる物とは性質が違うため、デフレの原因になってしまう。
「インフレによる価格上昇」は、給与の上昇につながるのだが、「原油高騰による価格上昇」の場合は、給与の上昇には結び付きにくい。
「資源の無い国に生まれた不運」と諦めるより仕方ないと思う。
資源ナショナリズムを考えている国の多くは、今まで貧しかった国々である。
「貧しい国から豊かな国になるために資源を利用する」と言うのは、仕方ない事かもしれない。
誰だって「豊かになりたい」と言う気持ちがある以上、「止めてくれ」とは言えないのでは?。
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情報化社会の中の情報不足

2007年11月12日 03時59分03秒 | Weblog
情報化社会が、情報過社会になり、更に情報禍社会へと変貌しようとしている。
その中にありながら、「情報不足」に陥っている人が多い。
「情報不足?」と思う人が多いのではないだろうか?。
ここでいう情報とは、「有用な情報」と言う限定された意味である。

「玉石混淆」と言う言葉があるが、これは昔の話である。
現在では、「僅かな玉が大量の石の中にある」と言ったほうがよいだろう。
たいした役にも立たない大量の石(下らない情報)の中から、僅かな玉(有用な情報)を探すのは大変な事である。
能(脳)動型人間の多くは、情報の入り口で「情報の選別」をしている。
この「情報の選別」と言う事が、なかなか難しいのである。
受動型(ロボット型)人間の多くは、「情報の選別能力」に欠けている為、余分な情報に振り回されて「一喜一憂」しているように感じてならない。
情報を利用するのではなく、情報に利用されているのである。
情報の中に隠された「ウソ」に気が付かず、「思わぬ損失」をしている人も多いのでは?。
「学習能力」と言う言葉があるが、受動的な生活をしていると、その「学習能力」さえ失われてしまう。
学習能力が無くなってしまえば、「単なるロボット」と変わりが無くなってしまうのでは?。
「今さえ良ければいい!」と言う人もいるだろう。
それ自体は「個人の自由」なのだから一向に構わないのだが、「いよいよ困った時」には「自己責任」で解決してもらわないと困るのである。
「個人の自由でした事の責任は、自己責任で解決する」と言うのが本筋であろう。
「いざとなったら生活保護がある」と考えている人がいるようだが、財政難が進めば、生活保護だって年金と同じ様に「もらえるかどうかわからない」と言う事になりはし無いだろうか?。
「もらえるかどうかわからないから」「生活が苦しいから」などと言う理由で、国民年金に加入しない人が増えているが、老後はどうするのだろうか?。
その様な人ばかりになったら、「生活保護と言う制度」そのものが「破綻」してしまうだろう。
「無年金」の状態で、どの様にして生活して行くのであろう?。
私自身も若い頃には、年金などと言う物には、「全く興味が無い」と言うのが本音であった。
厚生年金が25年、国民年金が15年。
厚生年金は給与から自動的に引かれるから問題ないが、国民年金は「何となく惰性で払った」と言うのが本音である。
今にして思えば、「払っておいてよかった」と思う。
「もらえるかどうかわからない」「払った額より少ない」と言うが、払わなければ「絶対もらえない」と言うことを忘れないで欲しい。
「もらえるかどうかわからない」「払った額より少ない」と言うのであれば、自分で貯金すればよい。
だが、現実の話として、「自分で貯金する人」がどれだけいるのだろう?。



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受動型人間と能(脳)動型人間

2007年11月11日 04時29分03秒 | Weblog
昔は圧倒的に「能(脳)動型人間」が多かった。
文明の利器(禁断の木の実?)が発達するにつれて、「受動型人間」が増えてきている。
受動型人間を私流に表現すると、「ロボット型人間」と言う事になる。
鉄腕アトムのように、「人間並みの知能」を持ったロボットが出来る可能性は「限りなくゼロに近い」といってよいだろう。
現在あるロボットは、すべて、人間が作ったプログラムを元に動いている。
多少の「学習能力」を持ったものもあるが、「多少」と言う程度なので、余り役には立たない。
「受動型人間(ロボット型人間)」も同じ様に、「外部から与えられる情報」に左右されている。
外部から与えられた情報を「鵜呑み」にして、「自らの判断で情報を選別する」と言うことが出来なくなっている。
別な言い方をすれば、「物事の表面」だけしか見なくなってきているのだ。
インターネットの発達によって、個人が自由に情報を発信する事が出来るようになったが、一部では「情報操作されている」と言う話を聞く。
「企業が個人のブログを装って商品の紹介をする」、「個人が企業からお金をもらって商品の紹介をする」、・・・・・。
「個人が紹介すると信用されやすい」と言う、「人間心理」を巧みに利用した方法である。
「受動型人間は騙されやすい」と言う特徴もあるのである。
「情報過社会」では、「次々と入ってくる情報」を自分の意思で「制限」しないと、「情報を整理する」と言う余裕がなくなってしまう。
その結果「情報過(禍)社会」と言う事になってしまう。
「情報過(禍)社会」になってしまった現在では、「情報を活用」すると言うより、「情報に振り回されている」と言った方が正しいであろう。
情報に振り回されていると、「思わぬ損失(逸失利益)」に気がつく事も無いのである。
「すべての電話やメールに対応して自分を見失ってしまった人」が増えている。
物があふれ、「便利で豊かな社会」になるのと反対に、「心が貧しく」なってきている。
原油高騰が、様々な物に悪影響を及ぼしている。
原油高騰と言う「外圧」によって、日本の経済(家庭の経済も)が受ける影響は計り知れない。
自民党と民主党が、「くだらない事で対立」している場合ではないと思うのだが・・・。
これも、テレビ、ラジオ、週刊誌・・・・などが、「面白おかしく」報道する「情報・禍・時代の副産物」ではなかろうか?。
受動型人間は、能(脳)動型人間よりも早く「冬の時代」が来るように思うなだが・・・・。
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貯金の取り崩しと借金生活

2007年11月10日 04時12分31秒 | Weblog
私個人の事ではありません、全人類の話です。
「ナンノコッチャ!?」と思うでしょう。
「貯金を取り崩した上に借金をする」と、どの様な結果になるか考えてみてください。
ここで言う「貯金」とは、地球の資源の事である。
それでは「借金」とは?。
温暖化、環境破壊(大気汚染、森林の減少など)などを意味します。
貯金が後何年分あるか?、そして後どの位い借金できるか?。
急速な経済発展を続けている中国。
その華やかに発展する陰で「深刻な公害」が発生している。
昔の日本(今も大同小異だが)がたどった道を歩んでいるのである。
しかし、「昔の日本」とは大きく異なる部分がある。
日本の十倍、13億もの人口を抱えているので、「汚染の規模」が違うのである。
来年の「北京オリンピック」に、「大気汚染」を理由に「参加を見合わせる」選手が出て来ている。
そして・・・・・。
中国で汚染された大気が、日本にも押し寄せてきているのである。
今まで大気汚染とは無縁であった、離島や地方都市でも「環境基準」を超えてきているのである。
偏西風に乗って「黄砂」が飛んで来るのと同じ理屈である。
グローバル化、国際化と言うが、科学や文化だけではなく、「環境汚染」も同じなのである。
これにインドが加わったらどの様な事になるのであろうか?。
中国に続いて、インドも急速に発展してきている。
インドも確か、10億の人口を抱えているはずであるから、その影響は軽視できないであろう。
地球の大気は、西から東へ流れている。
この大気の流れ(偏西風)は、インドから中国を経て日本へとやってくる。
10億と13億、地球全体の三分の一以上を占めているのだから、その影響は計り知れない。
「地球規模」で対策を考えなくてはいけないのだが、中国、インド共に「応じてくれる見込み」は少ないだろう。
日本の場合は、規模が小さかったのと、東側には太平洋があるだけだったので、汚染された大気も、アメリカに着く頃には「拡散」されて問題にならなかったのである。
従来の汚染対策は、「国内規模」で考えればよかったのだが、これからは「地球規模」で考えなくてはいけない。
「茶番劇」で大騒ぎしているようでは、とても無理であろう。

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小沢座長の茶番劇にお付き合い

2007年11月08日 04時11分41秒 | Weblog
小沢民主党代表の「ドタバタ騒ぎ」に幕が下りた。
幕が下りたといっても、これで「茶番劇」が終わったわけではない。
第二幕、第三幕・・・、と続くのではないだろうか?。
シナリオを書いたのは誰か?、小沢?、福田?、それとも・・・・・?。
小沢代表の過去を振り返って考えれば、予断は許さないのでは?。
私の経験から言えば、「辞めると言う人を無理に引き止める」のは、余り感心できない。
「足元を見られる」可能性があるからである。
安部前総理の時には「党首会談」を、「密室に談合」だとして拒否していたのに、福田総理になったとたんに応じたのは、何か「ウラ」があると思ったほうがよいのでは?。
人間社会では、何事にも「ウラ」があると思わなければいけない。
「血液がサラサラになるブレスレット」にしても、安易に信じる方にも責任があるのでは?。
昔からの教訓(タダほど高いものは無い)が生きていれば、被害に遭わずに住んだかもしれないのだ。
「タダで血液検査」、応じる人がいるから成り立つ商売で、「カモがネギを背負って来る」のを待っているのである。
店頭での実演販売、契約を急がせる、タダで物をくれる、などなど、気を付けなければいけないことが多すぎる。
景気の低迷が続けば、この手の「詐欺商法」が増えてくると思ったほうがよいのでは?。
警察が幾ら摘発したところで、「新たな手口」で「カモ」を狙っているのだ。
彼らは、「心理の弱点」を突いてくるから始末が悪い。
「自分は騙されたりしない」と言う人ほど、「騙しやすい」と言う話を聞いた事がある。
騙されやすい人も、人間社会だから生きてゆけるのである。
「弱肉強食の自然界」では、「真っ先に」えさとなってしまうであろう。
「弱肉強食の自然界を生き抜く」には、「騙し上手」でなくてはいけないのだ。
或る意味、人間社会も同じではないだろうか。
原油の高騰も、「枯渇」と言う問題が「根底」にある。
原油の高騰が、穀物相場の高騰を招き、穀物相場の高騰が・・・・。
これらを巡って、「丁々発止の駆引き(騙し合い)」が行われている。
今の日本では、この駆引きに勝つ事が出来るのであろうか?。
「島国根性」を捨て、「国際的視野に立つ人間」を育てなければ無理ではないだろうか。
と言うより、すでに「手遅れ」ではないだろうか?。
「教育再生の為に授業時間を増やす」と言う程度では、「焼け石に水」どころではないだろう。
「今現在のオトナ」が「シッカリ」しなければいけないのだから。




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久しぶりに、オカヤドカリの事でも

2007年11月07日 04時15分53秒 | Weblog
最近一ヶ月近く、オカヤドカリの事を書いていなかったので、久しぶりに書いて見る。
冬用のケースに替えて一ヶ月近く、地上組はすこぶる元気である。
三匹が脱皮に入ったのか、潜ったまま出てこない。
残りの五匹は、温度が低い割には結構よく動いている。
地上ではなく、砂の中を暖めているせいか、地上の温度が20度~21度にも拘らず、動きは悪くない。
餌の食べ方も、昨年より格段によい。
湿度に関しては、晴れる日が少なく、室内の湿度が高い為、ケースの中も高め(80%前後)に推移している。
当然の事ではあるが、結露が起きている。
これから冬に向かって、結露が悩みの種になってくる。
今年も昨年同様、特別に「湿度対策」をするつもりは無い。
一年近くにわたって、「湿度対策をしない」と言うより、湿度を低く保つようにしてきたが、「干からびて☆になった」@はいないのである。
どのブログを見ても、「神経質」なくらい、湿度に拘っているのが不思議である。
そればかりではない、@が死ぬ原因にしているのである。
「湿度不足」が原因であるならば、我が家の@は「全滅」していなければならない。
有機溶剤や化学物質、果ては蚊取り線香まであれこれ言う人が居るが、「笑止千万」である。
我が家は、「裏が竹薮」のため、蚊取り線香は手放せないのだが、一匹も@は死んでいない。
@に限らず、飼育している小動物が死ぬ原因は、「飼育容器内の衛生状態の悪化」が大半ではないだろうか?。
細菌、カビ、ウイルスなどに感染しても、小動物の場合、「気が付く事は困難」であろう。
「気が付いたら死んでいた」と言う事になり、原因がわからないため。「手っ取り早く」、乾燥や化学物質などを原因にしているのであろう。
ベテラン?と言われる人の話が、「確たる証拠」もなく語り継がれているのである。
私の飼育法は、「一般に言われている飼育法」とは、「対極的」と言っていいだろう。
対極的な飼育法でありながら、「一年間無事故」なのである。
「飼育密度」も、Mサイズ8匹を、夏用で60cm水槽より少し大きい位、冬用では60cm水槽より少し小さいサイズなので、明らかに「過密飼育」と言えるだろう。
「対極的な飼育法」に加えて、「過密」と言う悪条件が重なりながら「一年間無事故」と言う事が何を意味するのか?。
毎月二匹くらい脱皮しているのに、「体の一部が欠損した@」は、一度も見たことが無い。
なんとも不思議な話である。

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富士山で4人が遭難

2007年11月06日 04時35分03秒 | Weblog
救出後の映像を見て、「呆れて物が言えぬ」状態に成りました。
「夏山の延長」と言った感じで、私などの若い頃には「考えも及ばない」格好では、「無謀」「気違い沙汰」としかい言い様が無い。
「道に迷い、アイスバーンで動けなくなった」、「バカも休み休みにしてくれ」と言いたい。
「過保護に育てられた、情報化?社会の申し子」と言っていいだろう。
私の若い頃(この様な言い方はしたくないのだが)は、情報と言うものは、自分から求めなければ手に入らなかった。
当然の話ではあるが、「無用な情報」などは殆ど入ってこない。
しかし、インターネットが発達した現代では、「望むと望まざるとに拘わらず」情報は勝手に入ってくる。
「ここに大きな問題がある」と言うことに気が付いて欲しい。
情報があふれている「情報・過・社会」では、ともすると「必要な情報」が、「どうでもよい情報」の中に「埋没」してしまい、「情報・禍・社会」になってしまっている。
人間の「脳力」には限界がある。
「どうでもよい情報」に「脳力」が使われてしまえば、「当然の結果」として、「必要な情報」の入り込む余地はなくなってしまう。
情報に振り回され、「危険予知能力」「状況判断能力」に欠ける人が増えている。
危険予知、状況判断とも、同じ様なものではあるが、事前に情報を流す事は難しい。
「経験の積み重ね」によって養われるものであって、外部から与えられるものではないはずである。
「清潔思考」が、アレルギー発生の原因だと言われているように、「過度に危険要因を無くす」と言う事は、「新たな危険を生む」と言う事になるのでは?。
免疫と同じ様に、「ある程度の危険」には、目をつぶる勇気が必要だと思う。
小さな事に気を取られ、「その陰に潜む」、「より大きな問題」を忘れてはならない。
「有り余る情報」の中から、どれを選ぶかは「自己責任」でするしかない。
情報化社会を、「情報・過・社会」や「情報・禍・社会」にしないように気を付けないといけない。
何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」である。
余談ではあるが、何年か前に、警察の救助隊に「ヘリコプターによる救助」を要請した中年の女の話を思い出した。
「下山出来ないので救助して欲しい」と言う話に、救助隊が「ヘリは出動中なので民間のヘリを頼みますか?」と言う問いかけに、「それなら結構です」と答えたそうである。
「少し疲れたので、下るのが面倒」と言うのが理由である。
警察のヘリは無料だが、「民間のヘリではお金がかかる」と言う事を知っていての行動である。
救急車をタクシー代わりにする人もいると聞く。
「ナンとも呆れた世の中」になったものである。
民主党の小沢代表も、「同類」では無いだろうか?。
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最近、ブログのテーマが決まらない

2007年11月05日 04時38分16秒 | Weblog
民主党の代表である小沢さんが、辞表を提出したと言うが、何となく「茶番劇」のような気がして、話題にする気が起きない。
かつては「政治家」と呼ばれていたものが、今では「政治屋」と言った方が正しいのでは?。
昔は、「代議士になると、残るのは井戸と塀」と言われていたが、現在では?・・・・。
だがこれも、「或る意味で仕方ない事」なのかもしれない。
「国家の基盤」が整備されていなかった時代では、「国家の基盤整備」と言う重要な問題に対応しなければならなかっ為、一部の例外を除いて「個人的な問題」に対応してはいられなかったと思う。
しかし、「成熟した社会」になった現在では、基盤整備より「個人的な問題」が多くなっている。
お互いの「面子の張り合い」と言った所である。
政治だけの問題ではない、国民だって同じである。

私の好きな政治家に、後藤新平と言う人がいる。
いると言っても、今生きてはいない、過去の人である。
明治から昭和にかけて、「大風呂敷」と呼ばれていた人である。
鉄道大臣(明治時代)だった時、全国に鉄道を建設する計画を立てたのであるが、その計画案は、ナント「100年後の日本(東京が一千万都市に成る事も含めて)」を想定していたのである。
しかも、「100年後の日本」は、彼の想定通りになっていたのである。
後に、東京市長(現在の都知事)になった時も、自動車など殆ど無く、荷馬車や大八車ばかりの時代に、「現在の車社会」を予想し、幹線道路を100mにしようと計画ていたのである。
東京駅の八重洲口前と、昭和通り(48mに縮小されてしまったが)が、その名残である。
東京市議会から、「こんな広い道路を作ってどうするのだ!!」と言う糾弾に対して、彼は、「この道路も何時か狭くなる時が来る」と答えたそうである。
そして、彼の予想通りになってしまったのである。
後藤新平の言う事は、余りにも「荒唐無稽」に思われたのであろう。
「大風呂敷」と言うあだ名に現れている。
しかし、何時の時代でも、彼の様な人は「異端児扱い」されるのが関の山である。
温暖化、原油高騰、森林破壊、・・・・・・・。
余りにも問題が多過ぎて、100年後どころか、10年後の予想も難しくなっている。
「日本沈没」が現実味を帯びてきている。
「日本列島が海に沈む」と言う意味ではない、「経済的に沈む」と言う意味である。
「心の準備」はしておいた方がいいだろう。
「楽観的悲観論」で行かないと、毎日が不満だらけになり、「精神衛生」によくない。
心に余裕がなくなると、旨く行く事もダメになる事がよくある。
「泣いて暮らしても、笑って暮らしても、一生は一生」と言うではないか。
「マイナス思考」ではなく、「プラス思考」になれば、笑って暮らせるのではないだろうか?。
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建前と本音(適当なタイトルが思いつかない)

2007年11月03日 04時02分45秒 | Weblog
内容が、多少「建前と本音」と違うかもしれない。
私を含めて多くの人は、立場が変わると言う事が変わることがよくある。
「労使紛争」などでよく見られる。
「労」の側だった人が、出世して「使」の側に回ると、言う事が一変する。
何故こんな「わかりきった事」を書くのか?。
昨日のブログで、書き足りなかった事を書くためである。
「書き足りなかった事?」。
私の「遠い知り合い」の話である。
「遠い知り合い」とは、30年ほど前に勤めていた会社の同僚の事である。
私より10歳ほど若い彼は、購買担当の部長が、出入りの業者と癒着している事に腹を立てていた。
その後私は退職してしまったので、縁が切れていたのだが、5年ほど前に彼が「懲戒解雇」されたと言う話を聞いた。
「解雇の理由」がふるっている、ナント「出入りの業者との裏取引」だと言うのだ。
かつて腹を立てていた事を、今度は自分でしていたのである。
昨日のブログで「私が同じ立場になったら、しないと断言は出来ない」と書いたのは、この様な事があったからである。
「人間の弱さ」と言ったところです。
「他人の事は見えても、自分の事は見えない」
「人の振り見て我が振り直せ」と言ったところでしょうか。
「人間の本性は善である(性善説)」と言う人がいるが、私はそうは思わない。
建前としては、「そうあって欲しい」と思うのだが・・・・・。
人間の本性が善であれば、戦争、紛争、争い、その他犯罪行為など起きない筈ではないか。
「非常に残念」な事ではあるが、「悪い事をする人間」は、増えて行くような気がする。
一種の「群集心理」が働いている様に思う。
「情報化社会」が、「情報過社会」になり、ついに「情報禍社会」になってしまったのではないだろうか?。
「文明の利器」も、使い方を誤れば「凶器」になってしまう。
「安易な文明の発達が招いた災難」の様な気がしてならない。
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