児童文学作家を目指す日々 ver2

もう子供じゃない20代が作家を目指します。ちょっとしたお話しと日記をマイペースに更新する予定です。

7月のはじまり

2015-07-01 | 日記


こんばんは

どうやらもう7月ですね

早いです…


京大新聞文学賞という京大生じゃなくても応募できる公募に出そうと息巻いていたのに結局間に合いませんでした。悔しい。






ところで、「わたしの歩く理由」
いかがでしたか。

いろいろと難しいことをしようとして
自分の力不足なばっかりに上手くまとまったか、ちゃんとお話しになっているのか書きおわった今、若干不安です。

そもそも、ここで書くこと自体反則かも知れませんが(笑)


ただ、ボクの祖母の認知症が悪くなったりなんかもして。
なんだか上手く名付けられない感情や祈りのようなものの代わりにこのお話しがなればいいなーという、ほぼ自分のためだけに書いたようなシロモノになってます。




うーん、まっいっか!



そんなこんなで、あらためて
これからもよろしくお願いします。




写真は1ヶ月くらい前に帰り道ですごく自分好みの空と雲が頭の上に広がっていたので、慌てて撮ったものです。

あの時の胸からせりあがってくるような切なさはボクのカメラ技術じゃどうしても再現できないですね…。

明日もこんなかんじで晴れてほしいです(笑)

わたしが歩く理由

2015-07-01 | 物語 (眠れない日に読める程度)


わたしは見知らぬ町にいた。どこか懐かしく感じる風景。山の緑と商店街。
田園が続く向こう側には蜃気楼のような高架線の上を新幹線が走っていて、わたしはそれに憧れていたことを思い出した。あぁ、あれに乗って行けばいったいどこまでゆけるのだろう、と。 …辺りは昼下がりで、夏らしいセミの声が賑やかだった。子どもの頃は母方のおじちゃんとよくセミ取りにいった。従兄のブン兄ちゃんとふたり、おじちゃんに連れられて自転車でキーコキーコと一緒に並んで漕いでった。セミはアブラゼミが多くて捕まえた時はちょっと怖かったけど、おじちゃんもブン兄ちゃんもケラケラ笑いながら「大丈夫だ」と頭を撫でてくれた。おかげでわたしは虫が全然怖くなくなった。雑木林のけもの道を探険して図鑑にある虫を片っ端からつかまえたりもした。カミキリムシを素手でつかむわたしをみて周りの大人からはよく「おてんば」だと呼ばれた。けど、お母さんだけには「はしたない」と怒られてばかりだったな。


少し暑い。けれど汗はあまりでない。
古びた理髪店の角を曲がり、ガードレールを伝いながら道路に沿って新幹線の高架線を目指した。路肩に停められた白い軽トラにはトマトやきゅうりが山盛り積まれていて、一本かじってみたくなる。「おいコラッ! ダメダメ、それは“しょうひん”だから食べちゃいかん。」お父さんは怒ったら恐くて頑固な人だったけど、その日の晩ご飯にはきゅうりの浅漬けが一本まるまる食卓にでてきて、かぶりつくわたしをみてニコニコしていたから決して悪い人ではなかったと思う。わたしが知るお父さんの記憶はそれで全てだ。たしか結核だった。あまり覚えていない。まぁけどお母さんはお父さんより60年も長く生きた訳だったから、結局あのふたりは仲があまりよくなかったのかもしれない。お母さんはいつも「お父さんがもう少し長生きしてくれれば」と愚痴をこぼしていた。だからわたしは母親譲りの体で父親寄り性格に育ったんだと思う。お母さんよりも3年も長く生きて、自分がしたいと思ったことは絶対した。そう、わたしは丈夫で頑固な子なのだ。


足が疲れた。とくに関節の痛みが治まらない。高架線はまだ遠くわたしはちゃんと前に進めているのか不安になった。「おまえのその真っ直ぐなところが僕は好きだ。」そう旦那が旦那になる前夜、あの人はわたしの手をとって教えてくれた。嫁の貰い手がいないと嘆いていた母は何度か見合いの話を持ってきたがどの人とも上手くいかなかった。その頃はブン兄さん一筋だったのだ。でも、わたしが21回目の誕生日をむかえる前にブン兄さんは上京してしまった。しかし失意の底にあったわたしを救ったのもやはりブン兄さんだった。ブン兄さんのもってきた縁談に母は喜んだ。相手は銀行員の息子だった。胡散臭げな人だとはじめは思った。けれど、わたしの家で家族と一緒に夕飯を食べる度に、「美味しい美味しい、おまえのとこのきゅうりは世界一美味しい」と言ってポリポリかじる姿をみるうちに、わたしもいつの間にか彼に惹かれていった。父がいなくなってから農業はほとんど辞めていたが裏の畑できゅうりだけはわたしが育てていた。「ありがとう」それがあの人にはじめて言った感謝の言葉だった。


高架線にずいぶん近づいてきた。自分の中にちいさな自信が生まれた。わたしは思いきって田んぼの畦道を通って近道をする。足元で大きなウシガエルが跳ねてひゃんと間抜けな声がでた。あぁ本当に暑い。頭がぼんやりとする。わたしは今まで歩いてきた道を振り返った。とても長い道のりだった。南から北へと風がわたしを追い抜いてゆく。今度は正面に向き直ると、そこには山間に消える高架線が伸びていた。緑の上に建つ人工物はとても不自然な存在のはずだったが、わたしは違和感がなかった。びゅおおという音とともに白く細長い物体が視界に飛び込む。のぞみだかこだまだかわからないそれは一筋の閃光のように過ぎ去っていった。わたしは旦那とあれに乗って突き動かされるようにこの地を離れた。いつかのブン兄さんと同じように…

血がドクドクと頭へ沸き上がってくるようだ。ハンカチで何度顔をぬぐっても汗はあまりかいていなかった。わたしはたまらなくなって、その場にしゃがみこんでしまう。体の節々が痛かった。「大丈夫か!」と遠くから呼びかけられた気がした。一瞬わたしはおじさんかと思っけどまったく違うただの年寄りだった。わたしはお水をもらい、一口含んだところで意識が途絶えてしまった。














くぐもった音が聞こえる。
水中で歌うような滑稽さであった。


それが男性らしき人の話し声であるとわかるまでに相当な時間がかかった。ゆっくりと水面から浮き上がるように意識が覚醒していった。ベットの上で味気ないシーツのざらざらとした手触りが伝わる。病院特有の消毒くさい空気が鼻腔を刺激する。 白い天井とハの字に伸びたカーテンレール。わたしの 目はそのどこにも焦点があわず、まだ水の中にいるような気がした。


「あっ、起きた。」


男性がわたしの顔を覗きこんでくる。
精悍な輪郭と太い眉毛は本当にそっくりであった。あぁそうか、ようやく会えたんだ。

「あぁ、ブン兄さん。探しましたよ。」


すると、ブン兄さんは静かに首を横に降った。

「文三じぃさんは10年も前に亡くなったでしょ。」


意味がわからなかった。というより、わたしにはひらがなの音の羅列にしか聞こえなかった。わたしはブン兄さんの隣に立つ旦那に助けを求めた。またいつもの冗談でわたしをからかっているのだと。


「いいや、お祖父ちゃんももういないよ、お祖母ちゃん。」

「もう、俺らのことわからないのかな…。」


そう彼らは言った。






わたしは孫達の顔を思い出そうとした。しかし、息子の赤ん坊姿ばかり浮かんだ。わたしは都会に旦那とふたりきりで上京して、隆夫と美奈子を育てたのだ。はじめは苦労はかりで辛かったが、ふたりとも立派に育って家を出ていった。隆夫はいつでも元気な子だ。小学6年生の運動会はかけっこで一番だった。美奈子はとても繊細で優しい子。ピアニカが上手で他の奥様方にはよく「将来はピアニストになれる」と言われたものだ。あの子はずっと保育園の先生になりたいといって短大にいく勉強をしていた。わたしたち家族みんなで応援していたっけ。あぁそう言えば隆夫はどこに就職したのだったろうか。初出勤の時に寄越してくれた手紙が鏡台の引き出しにあったはずだ。早く取りに行かなくちゃ。

慌ててパタパタとスリッパをはいて外に出る。いつの間にか空は真っ暗になっていて、パジャマ一枚では少し寒かった。でも家に帰ればウールのコートがあったはず。ちょっとの辛抱だ。明かりひとつない雑木林は怖かったけど、今のわたしはへっちゃらだった。なぜなら幼少の頃ブン兄さんに連れられて裏山に………………



俺は事務の女の子に回された電話をとる。やはり病院からであった。「お母様が昨晩未明から行方不明に…」という内容だった。これで三度目だった。前回は十数キロも離れた土地まで踏破し、おまけに熱中症で倒れる始末だ
。近くの人が駆けつけてくれなければあやうく手遅れになるところであった。そんな事が過去にあったというのにうかうかと患者を抜け出させてしまう病院の管理体制の甘さに毒づく。勘弁してくれ。俺は納品書の見直しと電話対応を部下に任せ、とりあえず警察と嫁に連絡した。家にオカンが来たらちゃんと引き留めておいてくれと。わかったじゃあ午後のパートは休むね、といって嫁の電話は切れた。大企業や公務員でもない俺はそうポンポンと休みは取れない。はぁっ。目頭をぎゅっと押さえて画面に向き直る。もう五十過ぎの体は年々重くなるばかりだ。

母の徘徊は収まる気配がない。

それにいつも俺や息子たちを見るたびにオヤジや文三おじさんと間違える。

ただ、母は連れ戻される度に妙にすっきりした顔をする。

なにか得心したように

それは俺の勝手な
都合のいい想像かもしれないが、

















駆り立てられるように
けれどとても緩慢に
拾い集めていたのかもしれない





母さん自身が歩いてきたしるしを。














病院から少しだけ離れた村落で母は保護された。まるで少女のように目をキラキラさせながら隣家のきゅうりをかじっていたそうだ。














【おわり】