明朝、目を覚ました時にはすでに天気は崩れていた。時計はみたくない。普段なら自主トレでその辺を軽く走ってきたころだろう。朝練にはまだ余裕で間に合う。けど行きたくはなかった。 寝起きのまま僕は薄く明るい外に惹かれて、窓へと体を引きずった。窓ガラスを這う雨粒の軌跡を指でなぞる。下へ下へゆっくりとつたってゆく。雫は少しずつ身体を削りながら窓枠の少し上で止まった。外はようやく雨足が弱まり、ほとんど車の通らない道の信号だけが赤に青に窓を照らしていた。
もう、いいよな
少し肌寒くて、冬場の寂しい気持ちがチリチリと蘇る。曇り空にくもった窓ガラスは僕の角膜に濁った白い光りとなって映し出される。僕はどこかに行かなくてはいけない気がした。けれどそんなところはどこにもない気もした。急がなくてはいけないはずなのに、何に急いでいいかもよくわからなかった。
もう、がまんしなくていいよな
あえて窓を数センチだけ開けてみる。細かな雨が手の甲にあたり、やっぱり雨が降っているんだということを確認する。冷たいと思ったのは一瞬だ。それよりも冷えた外気が鼻の奥を刺激し、僕は透明な何かに再構築されてゆくような感覚だった。赤信号が青に変わる。
つらい
雨の雫を数えていた。1、2、3、4、5678… 途中で2と7がひとつになり、また僕は数え直さなくてはならなくなった。いくつものいくつもの雫が混じり合って、溶け合うのだ。
かなしい
こんなところ来なければよかったとおもった。部活も、勉強も、なにもかもかなぐり捨てて、地元の高校に進学しておけばよかった。推薦で入学したここは、地元から離れており、寮生活が基本だった。夏休みは夏の地区予選がある。おそらく今年もあまり家には帰れないだろう。でも、それだってもう自分には関係のない話だった。自分の実力では後輩とのレギュラー争いには勝てなかったのだ。僕は自分が思っていたよりもずっとずっと凡庸だということに今さらながら気がついた。というよりも、まざまざと突きつけられてしまった。
雨足が強まった。
電柱のそばに植えられたアジサイがうなずくようにゆれる。
あぁ そうか
もう、いいんだな
そして、僕は泣いた。
心のなかで、目一杯泣いた。
涙は出なかった。
かわりに雨が降っていた。
雨水はやがて地に染み渡り、
地下水となって、
どこからか湧き水となり、
川となり、海へと流れてゆくのだろう。
じゃあ、いったい僕の形のない涙はどこへゆくというのだろう。
どこへなら流してもよいのだろう。
AM8:10
制服には着替えた。
寝汗で気持ち悪かったからだ。
食パンを焼いた。
お腹がすいたからだ。
歯を磨いた。
トイレに行くついでだったからだ。
鞄をもった。
学校にいかなくちゃいけないからだ。
靴は履かなかった。
学校にはいきたくなかったからだ。
いろんな顔が頭に浮かぶ。
玄関の先には鉄の扉が立ちはだかっていた。
あぁ、そうだ
僕はふと思い出してひょいと外へ出た。
さっきのアジサイを見てみたくなったのだ。
【おわり】