南原繁の言葉―8月15日・憲法・学問の自由東京大学出版会このアイテムの詳細を見る |
この忙しい1ヶ月、通勤電車で何冊か読んだ。その感想。
この本は心にしみた。
昨年、東大の安田講堂で8月15日の終戦記念日に開催された集会の抄録と南原繁総長の演説集からのエッセンスである。
東大の正門から出て行く出陣学徒。皆、死を覚悟している。
それを血のにじむ苦渋で送る大学人。
軍部が本土決戦の総司令部として本郷を接収しようとする場面での命を掛けた抵抗。
占領米軍がやはり、日本のGHQ本部として本郷を接収しようとした時の抵抗。
その背景に大学人としての未来を見据えた「本気」があった。
その背景に、新渡戸稲造、内村鑑三につながる明治クリスチャンの自由の系譜があった。
明治に2つの系譜あり。1つは明治新政府が模範とした、破竹のプロイセンードイツ帝国。
そして北海道がモデルとした新世界の国、アメリカ。
それはそれぞれ、東京大学と札幌農学校(北海道大学)の理念へと受け継がれた。
南原繁は内村鑑三に師事し、その北海道の明治クリスチャンの精神を受け継いだのだ、というのが立花隆の理解である。
(注)北海道の新渡戸稲造、内村鑑三、有島武郎などの明治大正クリスチャンリベラリズムの系譜は、北海道で戦前「遠友夜学校」を作り、貧しくも向学心に燃える子供達を育てた。しかし、それらもやがて時代の荒波の中で危険思想として弾圧の嵐にさらされていく。戦後ではこの系譜は三浦綾子へとつながった、というのは私の勝手な解釈である。今はどうなっているのだろうか?
私は北海道の出身なので、この気風は共感できる。
地質学では、東大へはドイツからナウマン、そして北海道へはマサチューセッツからライマンが来たのである。
北海道大学にはクラークがやって来て、去るにあたり島牧村で馬上から「少年よ大志を抱け!」と残していった。
そして、それが理念となった。
東京大学で、この気風に通ずるのは、この本の中にも出てくる大江健三郎、そして編者の立花隆などはまさにその具現である、
と勝手に解釈。
理系では、寺田寅彦の自由な気風である。その寅彦の弟子の中谷宇吉郎は北海道大学へ移り、その気風を受け継いだ。
ただ、戦後は、そのアメリカ的自由な気風は、ソ連流左傾大学の中で多くの批判にさらされたようだ。
今の時代、この常識にとらわれない、自由な価値観「学問の自由」が危機にある。
その「学問の自由」こそ大学の命であるとは、南原繁のこころの底から沸き上がるメッセイージである。
戦後東大の正門から大きな菊の御紋がはずされたというが、なるほど、上の方にはまだ残っている。
この本を読んでいた時に、東大正門をおとづれる機会があり、思わずシャッターを切ってしまった。