司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10新潮社このアイテムの詳細を見る |
嵐の学会作業の中で読んだ一冊。司馬遼太郎ものは随分と読んだが、そのきっかけは学生。現在さる大学で助手をしている、かつての私の学生との出会いはおもしろいものであったが、その学生はいつも本を読んでいる。見ると司馬遼太郎。私の人生は一貫して文学音痴。こったことがあるものと言えば、松本清張全て、森村誠一全て、西村京太郎ものなど推理小説だけ。
司馬遼太郎が亡くなった時、極めて多く報道されたが、私は1つも読んだことがなかった。なんでこんなに騒ぐのだ?と理解不能であった。そして、その学生がなぜそんなに凝って読むのかも理解できなかった。以来、私はさまざまな文学ものなどを隙間の時間に読むようになった。以来、何百冊読んだかわからないが、読書趣味が続いている。
さて、この1冊。書かれた時代は私の幼き頃から小学生時代。司馬遼太郎はほぼ私の父の世代。そして、あの第2次世界大戦の修羅場からの生還者。私の父達の世代は、酒を飲むと軍歌を歌い、とんでもない修羅場であったのに、その時の青春時代を懐かしんでいる姿があった。私は幼心に<戦争なんて人がどんどん死ぬとんでもない怖い世界なのに、昼間は大人は皆、そういっているのに夜になって酒を飲むと、なぜ違うことをいって懐かしんでいるのか?わからん!>と思ったものである。昼は安保反対と叫び、キューバ危機で「戦争がまた始まるぞ!」と恐れているのにである。今は理解できる。命を掛けた青春であったからである。でも戦争は強制された命のやりとりであった。だからこそ、昼も夜もどちらも真実なのである。
この司馬遼太郎もそのような修羅場から帰還者であった。そして青春はまさに戦争の時代。彼が明治以降は狂った日本の歴史と 認識し、人間それも変わった人間をこよなく愛し、歴史の中からそれを描き出すことを通してメッセイージを送り続けたことはつとに有名である。私はこのエッセイ集をゆっくり読んで、私の生きてきた道、父の生きてきた道、その時代、そして日本と世界、科学の世界と未来を考え続けていきたいと思っている。
最初のエッセイ「請願時の狸ばやし」なんて最高!一気にこのエッセイ集に引き込まれた。
あすの休日は本屋へいって、その(2)を買おう。