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一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

越境の時

2007-09-06 15:45:22 | 読書
越境の時―一九六〇年代と在日 (集英社新書 (0387))
鈴木 道彦
集英社

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台風直撃前の札幌への移動の機内で読んだ。

60年代、ベ平連にコミットし、在日朝鮮人の裁判闘争にのめり込んだフランス文学者の思いを綴った一冊。歴史の深い傷を抱えた問題である。
私の周りにも少ないない韓国人研究者がいるし、これから私の関連する学会でも日韓関係をより絆を強くしようとし、私はその責任者でもある。
国際関係を築くにあたり、私にはある思いがある。

今から20年近く前、私はカナダのモントリオールにいた。その午後のコーヒータイム、アメリカンコーヒーの話になった。
私はつたない英語で、「ブランディー、氷で割ればアメリカン」という当時テレビではやっていたCMを冗談まじりで紹介した。
馬鹿受け。
カナダ人は腹を抱えて笑い出した。
ワハハハーー
ところがーー。
私と同室だったアメリカ人がすっくと立ち上がり、
「お前ら日本人は、トヨタがホンダがーー、デトロイトではーー!!!」
聞き取れない早口で何か怒っている。
<そうか、せっかくのうまいブランディーさえ薄めて飲んでしまう、それがアメリカ人だ、のようなとんでもなく馬鹿にしたように、誤解を生んだのか。>
当時、日本経済はバブルの絶頂で傲慢無礼な日本人が世界に溢れていた。
何も考えない発言が、思わぬ波紋を呼んだことに驚いた。

そして、その後日、皆から尊敬されているカナダ人と話す機会があった。
当時、カナダはケベック州(フランス語圏)の独立を巡って国を挙げての大騒動になっていたのである(結局、後に国民投票の結果否決されたが、薄氷の差であった)。話題はその独立騒動についてであった。滞在先でのセミナーはフランス語と英語が入り乱れる。英語はなんとかなるがフランス語はまるで駄目な私。そんな中にあって彼だけはどちらにでも簡単にスイッチする。
私は飲んだ時に彼に聞いた。

「どちらが母語?そうではない時、ストレスかかるでしょう?」
彼は、「いや全くストレスはない。生まれたときからこうだったから」
彼はカナダの首都オタワで生まれ、まさにケベックとオンタリオの境の川縁でどちらの言葉も使いながら育ったのである。

「独立なんて悲しいね。ケベック人だ、フランス人だ、アメリカ人だ、日本人だ、と一人一人皆違うのにくくってしまう。それが世の中の紛争のほとんどの原因だ、と彼は悲しそうにいった。そんな彼は若いのに皆から尊敬されるリーダーとなっていた。」

その後、私は世の中の紛争、騒動などの対立軸を見る時、いつもこのことが多くの人の心に沈殿していることが背景にあることがよく見えるようになった。

○○人はとか、××県人はとか、▲▲大生はとか、A型人間とか、B型人間とか、男は、女はとか皆、発想は同根である。
そのような会話が若者の間でなされているのを聞くとドキッとする。
冗談の内は誰も気がつかないが、エスカレートすると、だいたいが意見の応酬となる。アルコールなど入っていると時に胸ぐらをつかみ出す。

自らのアイデンティティーを、国や民族や団体や組織、集団に求めレッテルを張った時、そこに排除の論理が働き始める。そしてそれと同時的に個人のアイデンティティーが失われていく。その拡大版が紛争であり、国同士が国民をあげてはじめると、戦争が開始されるのである。

アイデンティティーの基本は個人。世界に二人といない個人。そして一度の人生しかない個人。自分だけではなく全ての人間がアイデンティティーを持つ。そこを根拠とすれば国を超えた、民族を超えた友情が生まれるはずだ、という青臭い真理を信じたい。

もちろん、国家や民族のアイデンティティー優先が幾多の悲劇の歴史を繰り返したことを知れば知るほどこの思いは揺るぎないものと思える。

この著者の全力を尽くした「越境の時」とは、上の垣根のことである。
鈴木道彦、78歳。晩節の重いメッセージだ。
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