オイラは英語が全く苦手で、中国のホテルでベルボーイに「Do you speak English」と訊かれ「すこしだけ」と日本語で喋って英語に直そうと考えていたら
ボーイは大袈裟に両手を肩まであげて、こりゃ駄目だという顔をして、「付いてきてください!行きましょう!」と日本語で答えるのはないか!
完全に馬鹿にしてるなぁコイツ!・・・と思ったけど黙っていた人ですからね・・・
写真集を作るにあたって友人達から同じような質問を受けましたので掲載をしておきます。
*「初めての写真集ですよね?今まですべてモノクロ写真で作品を発表してきて、なぜモノクロの写真集は出さなかったのか?それがいきなり未発表のカラーの作品になった訳は何ですか?」
―モノクロフイルムと印画紙が理不尽に高騰したという要因がありますが・・・
第一の原因はモノクロで撮影する事への違和感が出てきたのです。
モノクロは写真からの情報量が少ないので、見ている人が想像力を働かせて見てくれるという利点はあるのです。
でもモノクロの表現が一種のフェクトに過ぎないなぁという違和感が自分のなかに出てきた。それとモノクロで写真を撮るという行為は
自分の中で「写真になる」「写真にならない」という選別が出来上がってきていて、どうも物事を色メガネで見ている不自由さが嫌になってきた。
だからモノクロの写真集を作ろうという気には全くならなかった。
それで前々から携帯電話のカメラで毎日、好き勝手に撮った写真をブログ掲載していて、
自由で面白くて良いなぁという開放感を感じていたので写真集はカラーにしたということです。
*「タイトルが「生きてりゃいいさ」・・・そんな立派なテーマなの?」
-蒼穹舎の大田さんに原稿を渡したときは「ヨコタテニッキ」と決めていたのです。
しかし校正を見てみたときに「違うなぁ」と感じて・・・はじめに大田さんに手渡したスクラップブックに「生きてりゃいいさ」と片隅に書いてあった。
それは自分が書いた文字なんだが、どうしてそこに書いてあったのか全く思い出せなかった。
しかし違和感もなくこれでいきましょうとなったのです
しかし後からネット検索したら、歌手の河島英五さんの「生きてりゃいいさ」という歌があるということを知ってタイトルを変えようと思ったが・・・これしか思い浮かばなかった。
毎日とは言わないけど1週間に一度とか嫌なことが会った時とかトイレに置いておいてぺらぺらめくってくれれば良いなぁと思っています。
この写真集にはテーマはありません。人生にテーマが無いのと一緒だよ。
*「なぜ200ページを超える写真集なのですか?」
―愛読書で東直子著 「十階」 ふらんす堂刊という本が382ページあって、毎日、短歌一首とつぶやきが1年間休まず書いてある。これをトイレに置いていて毎日日付のページだけ読んで、もう5年間も飽きずに読んでいる。
だから毎日飽きずにながめてもらえたらなぁとページを増やしました。一読してそれで終りという写真集にしないためにも数が必要だと思っていた。
それと1年前にスクラップブックに160枚の写真を貼り付けて大田さんに渡したら
「もつと写真があるでしょう!もう2冊ばかり作ってきて」と言われて600枚ぐらい追加したのかなぁ・・・今では数を覚えてないけど・・・
それで銀座ニコンサロンで個展をやっていたときに太田さんが写真と写真にちょっとした文章を書いて掲示していたら
「こんな短い文も追加しましょう、出来るだけ多く送ってきて」と言われた。それで、なんだかんだしているうちに1年以上経ってしまった
*「写真サイズがL版でちいさいね」
―記念写真で写真をもらうサイズは、たいがいL版でしょう。
L版というサイズは手の中に入るし普遍的でしょ・・・写真の原点があるような気がしている
それとプリントをしやすいサイズだよ・・・アップの写真が多くなるけどね
*「失礼を承知で言うけど、売れないと思う写真集を作るという心境が分からないのです?」
―そうなんだよね・・・写真集を作った人に訊いて回ったけど「売れない」と言うんだよね・・・売れていても謙遜して売れないと言っているのではなく、本当に売れないらしい。
写真家の三木淳さんだと思うけど
「写真集を作るということはウンコをすることだ。すっきりするしこの世に痕跡を残すことになる」と言った記憶があるが間違っているかもしれないが・・・
*幾ら掛かったの?
―外車ではなく国産の大衆車(普通車)が一台は買える値段です。
今、自動車は軽四に乗っているので、当分というか軽四で生涯を終えるような気がしている。
*「初めての写真集ですよね?今まですべてモノクロ写真で作品を発表してきて、なぜモノクロの写真集は出さなかったのか?それがいきなり未発表のカラーの作品になった訳は何ですか?」
―モノクロフイルムと印画紙が理不尽に高騰したという要因がありますが・・・
第一の原因はモノクロで撮影する事への違和感が出てきたのです。
モノクロは写真からの情報量が少ないので、見ている人が想像力を働かせて見てくれるという利点はあるのです。
でもモノクロの表現が一種のフェクトに過ぎないなぁという違和感が自分のなかに出てきた。それとモノクロで写真を撮るという行為は
自分の中で「写真になる」「写真にならない」という選別が出来上がってきていて、どうも物事を色メガネで見ている不自由さが嫌になってきた。
だからモノクロの写真集を作ろうという気には全くならなかった。
それで前々から携帯電話のカメラで毎日、好き勝手に撮った写真をブログ掲載していて、
自由で面白くて良いなぁという開放感を感じていたので写真集はカラーにしたということです。
*「タイトルが「生きてりゃいいさ」・・・そんな立派なテーマなの?」
-蒼穹舎の大田さんに原稿を渡したときは「ヨコタテニッキ」と決めていたのです。
しかし校正を見てみたときに「違うなぁ」と感じて・・・はじめに大田さんに手渡したスクラップブックに「生きてりゃいいさ」と片隅に書いてあった。
それは自分が書いた文字なんだが、どうしてそこに書いてあったのか全く思い出せなかった。
しかし違和感もなくこれでいきましょうとなったのです
しかし後からネット検索したら、歌手の河島英五さんの「生きてりゃいいさ」という歌があるということを知ってタイトルを変えようと思ったが・・・これしか思い浮かばなかった。
毎日とは言わないけど1週間に一度とか嫌なことが会った時とかトイレに置いておいてぺらぺらめくってくれれば良いなぁと思っています。
この写真集にはテーマはありません。人生にテーマが無いのと一緒だよ。
*「なぜ200ページを超える写真集なのですか?」
―愛読書で東直子著 「十階」 ふらんす堂刊という本が382ページあって、毎日、短歌一首とつぶやきが1年間休まず書いてある。これをトイレに置いていて毎日日付のページだけ読んで、もう5年間も飽きずに読んでいる。
だから毎日飽きずにながめてもらえたらなぁとページを増やしました。一読してそれで終りという写真集にしないためにも数が必要だと思っていた。
それと1年前にスクラップブックに160枚の写真を貼り付けて大田さんに渡したら
「もつと写真があるでしょう!もう2冊ばかり作ってきて」と言われて600枚ぐらい追加したのかなぁ・・・今では数を覚えてないけど・・・
それで銀座ニコンサロンで個展をやっていたときに太田さんが写真と写真にちょっとした文章を書いて掲示していたら
「こんな短い文も追加しましょう、出来るだけ多く送ってきて」と言われた。それで、なんだかんだしているうちに1年以上経ってしまった
*「写真サイズがL版でちいさいね」
―記念写真で写真をもらうサイズは、たいがいL版でしょう。
L版というサイズは手の中に入るし普遍的でしょ・・・写真の原点があるような気がしている
それとプリントをしやすいサイズだよ・・・アップの写真が多くなるけどね
*「失礼を承知で言うけど、売れないと思う写真集を作るという心境が分からないのです?」
―そうなんだよね・・・写真集を作った人に訊いて回ったけど「売れない」と言うんだよね・・・売れていても謙遜して売れないと言っているのではなく、本当に売れないらしい。
写真家の三木淳さんだと思うけど
「写真集を作るということはウンコをすることだ。すっきりするしこの世に痕跡を残すことになる」と言った記憶があるが間違っているかもしれないが・・・
*幾ら掛かったの?
―外車ではなく国産の大衆車(普通車)が一台は買える値段です。
今、自動車は軽四に乗っているので、当分というか軽四で生涯を終えるような気がしている。