賭け?接待?マージャンやタレントの女性蔑視の問題を考えてみると今の世の中は「他人の悪い言動や素行をあげつらって執拗(シツヨウ)に詮索(センサク)する」国民一人一人が監視人になってきているんじゃないの?
一見するとそこに正義があるように思えてしまう。
そうだ!そうだ!お前が悪い!ざまあみろ!と留飲を下げていませんかね。そこにいくのは違うような気がしているのです。
オイラのモウロク頭では考えることが出来ないので「考える日々」の著者である池田晶子さんが生きていたら何と言っていたでしょうね。